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木星の衛星エウロパから来ました⑤

 暗黒の海底。

 熱水噴出孔の裂け目からは、常に泡が生まれ、群れが形成されていた。

 群れは漂流しながら広がり、やがて別の群れと出会った。


 最初はただ膜と膜が触れ合い、混ざり合うだけだった。しかし、内部に抱え込んだ鎖はそれぞれ異なる配列を持っていた。ある鎖は複製が速く、ある鎖は安定性に優れ、また別の鎖は外部の有機分子を捕らえやすかった。


 ──それらが一つの場で混じり合うと、争いが始まった。


 ある群れは、弱い殻しか持たず、熱水の衝撃で容易に破れた。殻が崩れると、内部の鎖は周囲に散り、別の群れに取り込まれていった。


 またある群れは、複製速度が遅すぎて、次世代を残せなかった。彼らの情報は、暗黒の海に消えていった。


 だが、壊れにくい膜を持ち、効率的にエネルギーを取り込む群れは、競合相手を呑み込み、情報を蓄えていった。


 こうして、最初の自然選択が静かに始まった。


 しかし淘汰は破壊だけではなかった。群れ同士が互いに吸収し合い、鎖を交換し、やがて「新しい配列」が生まれることもあった。


硫黄の橋で補強された鎖は、より長く、より複雑に、情報を保持できるようになった。その中には、膜の生成を助けるもの、エネルギー代謝を効率化するものさえ現れ始めた。


それはまだ「遺伝子」と呼ぶには未熟だったが、確かに「適応」を加速させる情報の芽生えだった。


やがて噴出孔の周囲には、「強靭な膜を持ち、硫黄の橋で補強された鎖」を内包する群れが広がり、互いに資源を取り込み、相互作用する小さなネットワークが生まれた。


──それはまだ原始的な姿にすぎない。だが確かに、エウロパの暗黒の海に、生態系の胎動が始まったのだった。



 熱水噴出孔の周囲には、すでに数多の群れが集まり、淘汰と融合を繰り返していた。その中で、一部の群れは単なる生き残りではなく、互いの特質を分担することで安定する道を選び始めた。


 ある群れは、熱水から噴き出す水素と二酸化炭素を結びつけ、小さな有機分子を作り出す力を持っていた。また別の群れは、硫黄化合物を分解し、周囲のエネルギーを取り込むのに優れていた。さらに別の群れは、膜を厚く修復する働きを得意としていた。


 単独では不安定だったそれぞれが、互いに隣り合い、供給と利用の循環を生み出した。


 水素を利用する群れが作り出した有機分子は、硫黄を利用する群れに吸収され、エネルギーとして燃やされた。その余剰の副産物は、膜修復を担う群れへ渡り、彼らはそれを資材にして殻を再生した。


 ──それは偶然の連鎖だった。しかしその偶然の連鎖は、やがてひとつの「代謝の輪」を描くようになった。


 初めて「持続的な生きた循環」が成立した瞬間である。


 この循環は、単なる群れ同士の関係に留まらなかった。鎖の一部は融合し、新しい配列を取り込み、「代謝の情報」を次の世代へ受け渡す仕組みを強化していった。


壊れやすい泡であっても、群れのネットワークに属する限り、その機能は他の泡へと引き継がれた。


 こうして個々の寿命を超えた「機能の記憶」が誕生した。


 ──それは生命の本質的な要素、すなわち 情報と代謝の持続 の始まりだった。


 暗黒の海底、熱水孔の周囲。泡はただの泡ではなく、互いを繋ぐ網目のように連なり、まるで巨大な有機の絨毯のように岩肌を覆った。


 そこでは、数千、数万の泡が一斉に複製し、一斉に壊れ、また一斉に再生した。


 その脆さこそが強さであり、絶え間ない更新こそが安定だった。

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