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木星の衛星エウロパから来ました④

 その複製分子は、やがて孤立したままでは留まれなくなった。海は濃度の勾配に満ち、分子は常に流され、崩れ、散ってしまう。


 だが熱水噴出孔の近く、ある条件が揃っていた。海底の鉱物から切り出された脂肪酸の断片が漂い、ナトリウムやマグネシウムなどの塩類と結びついて小さな滴を作った。脂肪酸は水になじむ端と、拒む端を持ち、自然と内側と外側を区切る。


 ──原始的な膜。


 複製分子は偶然、その内側に閉じ込められた。薄く不安定な殻に守られたその瞬間、外界の混沌から切り離され、分子は少し長く、少し多く、そこに留まることができた。


 膜の中は小さな「別世界」だった。濃度は安定し、反応は途切れず続いた。硫黄で縁どられた橋──ジスルフィド結合が鎖を補強し、分子は壊れにくく、模倣しやすい存在になった。


 それでも殻は脆弱で、熱や波に破れれば簡単に崩れた。しかし崩れるたび、内部の鎖は別の膜に取り込まれ、「複製の連鎖」は広がっていった。


 その姿はまだ細胞と呼ぶには程遠い。核もなく、器官もなく、ただ内と外を区切った小さな泡。けれど、その泡の中には確かに「情報」があった。


 壊れては写し、写しては壊れ、鎖は少しずつ長く、少しずつ多様になっていった。塩の海の暗闇で、硫黄に縁どられた文字なき遺伝子が並び、

それはまるで海に書かれた物語の最初の一行のようだった。



 エウロパの暗黒の海底には、無数の小さな泡が漂っていた。


 それらはすぐに壊れ、砕け、散っていく。だが散った断片はまた別の泡に取り込まれ、鎖を複製し、数を増やした。


 ──やがて、泡は「孤立」ではなく「群れ」として存在し始めた。


 熱水噴出孔の周囲、鉱物が温かさを放つ地帯では、泡たちは互いに寄り添い、膜と膜を重ね合わせるようにして並んだ。群れをつくることで、外部からの衝撃や化学的な攻撃を受けにくくなった。


 ある泡が壊れても、その内部の鎖はすぐに隣の泡へ移り、複製は途切れることなく続いた。


 ──「群れ」という仕組みそのものが、情報の保存装置となったのだ。


 群れを成すうちに、泡には微かな違いが生まれた。


 あるものは鎖の複製を得意とし、

 あるものは熱水のエネルギーを取り込み、

 またあるものは外界の有機分子を効率よく取り込んだ。


 それぞれが自らを写しつつ、同時に「群れ全体」に資源を提供し、偶然の差異が、やがて「役割」となった。まだ意識も仕組みもない。だがすでに、そこには協力の萌芽があった。


 だが、群れを構成する泡は短命だった。数時間もすれば殻は裂け、鎖は溶けて消えてしまう。しかし、複製分子が群れ全体に絶えず移動しているため、群れはひとつの「流動する記憶」として存続した。


 個が滅びても、群れが続く限り、情報は失われない。まるで海そのものが記憶を保持するかのように、暗黒の水は、最初の「生命の記録」を抱え込んでいった。


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