表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/86

天王星の衛星アリエルから来ました ~蒼い星への旅~④

 天王星の季節が十度を巡ったころ、アリエルの内部海はふたたび温度を上げていた。


 潮汐加熱が増し、深部の温度は −10℃から +4℃へ。

 氷殻の厚みは 80 km から 65 km に減少し、

 深度 70 km の地点に、広さ 1200 km の“液体の窪地”が生まれた。

 そこは暗く、青黒く、太陽の光など届かぬ世界。


 その海の底、フォルミアンとルミノイドの記憶が交わる場所で、新たな生命形が、ゆっくりと形を帯びていった。


 それは、氷の祈りが水に溶け、水の記憶が形を欲したときに生まれた、第三の種――フォルミアン・ペラギア(Formian pelagia)。



彼らの身体は、もはや単なる結晶でも液体でもなかった。

 水‐アンモニアゲルの半透明の構造体で、密度は 0.93 g/cm³、長さは平均 1.8 m。体内の屈折率分布は連続的に変化し、外界の熱流や圧力波を光と温度で感じ取ることができた。


 筋肉にあたるものは存在しない。

 代わりに、体表全体に埋め込まれた結晶性“応力線維”が、温度差 ΔT ≈ 0.1 K で 0.3% 伸縮する。それによって彼らは推進力を得て、ゆっくりと氷海の中を泳いだ。


 彼らの体の内部には、フォルミアン由来の形態記憶格子が残されていた。一つの泳ぎの波が、形の記録を呼び覚ます。

 泳ぐとは、記憶を再生すること。彼らにとって運動は、祈りの延長であった。



 アリエルの海底では、温度 0〜5℃、圧力 500〜800気圧。

 水はアンモニアを15%含み、塩化物イオン濃度は 0.02 mol/L。

 この環境で、フォルミアン・ペラギアは、“光”の代わりに化学発光で相互認識を行っていた。


 体内の結晶微粒子が圧力刺激を受けると、電子遷移エネルギー ΔE ≈ 2.1 eV に対応する微弱な光(波長 ≈ 590 nm)を放つ。

 彼らは群泳しながら、その発光を“会話”に使う。


 色は言葉であり、

 揺らぎは感情であり、

 明滅は記憶の発話であった。


 彼らの海は、無音のまま、光の詩で満たされた。



 フォルミアン・ペラギアの神経網にあたるものは、ナノスケールの熱電対ネットワークである。体内温度差 ΔT = 0.05 K に応じて電位差が生じ、それが連鎖的に伝わって情報を処理する。


 一つの思考波の速度は 12 mm/s、全身を一巡するまでに 150 秒。

 人間の脳に比べれば遥かに遅い。しかし、彼らは「記憶の海」と共鳴している。個体が考えるのではなく、海全体がひとつの脳として働くのだ。


 その思考密度は約 10⁴ ビット/cm³、海全体で 10²⁴ ビット――地球のインターネットを超える規模。


 つまり、フォルミアン・ペラギアの群れは、惑星規模の集合意識の細胞にすぎない。



 彼らの海には他の生命もいた。

 ルミノイドの残滓から生まれた、微細なアミノシート群。

 それらは薄いフィルム状の生命で、熱エネルギー勾配を利用して漂う。


 フォルミアン・ペラギアは、それらを“捕食”した。

 捕食といっても、噛み砕くわけではない。

 体表に接触させ、電荷を反転させることで、相手の構造を自らの記憶格子に吸収するのだ。


 捕食とは、同化であり、共鳴であり、融合だった。


 吸収されたものは破壊されず、“形の層”として内部に蓄積される。

 やがてそれらが新しい行動や模様を生み、個体はゆっくりと変化していく。


 こうしてアリエルの海は、捕食と共存の連鎖で進化する巨大な結晶生態圏となった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ