月の民ですが、地球で進化し水星の民と出会う①
地球の衛星、月
月の民は、肉を持たなかった。
彼らの外殻は玄武岩や斜長石に似た鉱物で組成され、網目状の構造を持っていた。
その内部を満たすのは「導電ゲル」と呼ばれる半流動体であり、これが外界の振動や放射線を電流へと変換し、彼らの代謝を担っている。
殻の表面には「耳」と呼ばれる結晶突起がいくつも並び、振動や電磁波を感知し、群体間の通信に用いられる。
彼らは言葉を持たないが、拍子と共鳴を通じて意志を交わす。
死とは、個体の崩壊ではない。残された痛覚や記憶は群体全体に流れ込み、新たな個体の行動を規定する。
したがって、彼らにとって一度の死は、全体に刻まれる「学習」となるのだ。
そして彼らは自らの跳躍力によって、月の引力を離れた。
夜空を渡る群れは、互いに拍を合わせていた。結晶の耳を震わせ、「トン……トトン……」と響きを刻む。その律動は群体の意志であり、合図であり、祈りでもある。
月面の溶岩洞から飛び出し、真空を漂い、太陽風を帆とした。長き時間をかけて、ついに蒼い惑星──地球へと到達した。
だが、大気は彼らにとって猛毒であった。 酸素は導電ゲルを灼き、水蒸気は殻を膨張させた。 重力は六倍。跳躍は奪われ、殻は地に叩きつけられる。 仲間は次々と崩れ、殻を砕き、導電ゲルは土に吸われて消えた。
──それでも、わずかに生き残る者がいた。
酸素を「毒」ではなく「触媒」として利用し、水の分子から電子を抜き出す術を身につけた。酸素分子は極めて高い電子受容体である。月の民がこれを利用したのは「偶然の適応」だろう。これは地球における好気性微生物の進化に類似していた。
新しい代謝を獲得したのだ。




