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月から来ました③

 月の地下、跳躍者たちが集う大洞窟。


 長い耳は震えを止め、足音も消えていた。彼らは息を潜めるように静まりかえり、ただ天井の裂け目から差し込む光を見上げていた。


 そこにあったのは、見慣れぬ色。灰でも、赤でも、白でもない。


 蒼


 地平の彼方、宙に浮かぶ蒼い球体。それは彼らの模様にも、記録にも存在しない、新しい色だった。


 ひとりの跳躍者が、恐る恐る耳を揺らした。

 トン……

 足で岩を叩き、低いリズムを打ち込む。


 すぐに仲間が応えた。

 トトン……トン……


 やがて洞窟全体に波が広がる。

 コン……コン……トトン……


「見よ」

「蒼い星」

「遠くの仲間」


 振動が重なり、洞窟は巨大な太鼓のように鳴り響いた。


 跳躍者たちは洞窟を飛び出し、月面に集った。

 低重力の大地を一斉に蹴り、跳ね、足跡でリズムを描く。

 トン……トトン……トン……

 長い耳が震え、地殻を通じてリズムが広がる。


 そのリズムは、ただ仲間同士の合図ではなかった。

 ──外へ、空へ、蒼い星へ。


 彼らは初めて自分たちの言葉を「外界」に向けて放ったのだ。


 その夜、地球の人々は空を見上げた。

 月面に奇妙な影が揺れ、模様が刻まれていくのを見た。それはただの地形ではなかった。跳ねるように広がるリズムの跡──まるでウサギが餅を搗いているかのような影絵。


 人々はそれを神話として語り継いだ。

 だが実際には、それは文明の最初の呼びかけだった。



 月の洞窟に住む跳躍者たちは、長い耳を震わせ、足で岩を叩きながら合唱していた。彼らの文明はリズムで織られ、模様で記録される。


 だがある夜、天井の裂け目から見えた「蒼い星」が、すべてを変えた。


 蒼──彼らの世界には存在しない色。


 その未知の輝きは、彼らのリズムに新しい拍を加え、群体全体の記憶に「憧憬」という感情を刻んだ。


 彼らは夢を見始めた。いつかあの蒼き星に跳び移ることを。


 蒼き星に至るには、ただ洞窟の中で響き合うだけでは足りなかった。跳躍者たちは進化を重ねた。


 跳躍力の強化:繊維の脚はより硬く、より弾力を増し、月面で遠くまで飛べるようになった。

 殻の強化:体表の鉱物層は真空と放射線に耐える鎧となり、長旅に備えた。

 群体跳躍:一匹の力ではなく、群れ全体で同期して跳ぶことで、互いに守り合える技術を獲得した。


 月は重力が小さい。彼らの跳躍はやがて、地平線を越え、空へ届くほどに高まった。



 ついに「旅の祭り」の夜が来た。


 無数の跳躍者たちが集まり、月面に大きな円を描いた。

 トン……トトン……トン……

 岩に刻まれたリズムは次第に速さを増し、合唱は嵐のように洞窟を震わせた。


 群れは一斉に跳んだ。


 白銀の体が宙に舞い、蒼い星の方角へと軌跡を描いた。それはただの跳躍ではなかった。


 ──進化の跳躍だった。


 月の引力を離れ、彼らは宇宙へと解き放たれた。


 真空の宇宙を漂いながらも、彼らは死ななかった。体表の鉱物殻が内部を守り、内部の群体リズムが「生命の鼓動」を保ち続けた。


 彼らは宇宙空間そのものを「長い夜」として眠り、太陽光を浴びるとわずかに覚醒して進路を修正した。群れ全体がひとつの舟のように揺れながら、数えきれぬ年月をかけて蒼い星へと近づいていった。


 ある朝、群れはついに地球の引力に捕まった。


 青い海、白い雲、緑の大地。


 月の洞窟では決して見られぬ色が、眼下に広がっていた。


 彼らは大気圏の熱を越え、殻を赤く灼かせながらも耐えた。幾つかは燃え尽き、幾つかは砕けた。だが多くの跳躍者が雲を突き抜け、蒼き大地に降り立った。


 彼らは岩を叩いた。

 トン……トトン……トン……

 月と同じリズムを、今度は蒼き星の大地に刻み込むために。


 その夜、地球の人々は空を見上げ、月の影を見てこう語った。

──「月にはウサギがいる」


 だが真実は、ウサギは月から地球へやって来ていたのだ。


(終)

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