土星の衛星タイタンから来ました⑥
形を得て動けるようになった第三の生命は、栄養となる分子の濃い場所を巡って競い合った。しかし、メタン湖の栄養は均質ではなく、濃い場所は限られていた。やがて一部の個体は、ただ漂う分子を摂取するだけでなく、他の小胞を捕らえ、膜を分解して内部を奪う戦略をとり始めた。
それは「捕食」だった。
捕食者が現れると、防御者も進化した。
硬化した膜を持つ個体。
化学的に毒性分子を分泌する個体。
すばやく逃げるため、鞭毛様の突起を発達させた個体。
捕食と防御のせめぎ合いが、生命の形態を多様化させ、進化を加速させた。
単独では捕食者に対抗できない個体が、やがて 群れを作り、防御を共有するようになった。
小型の個体が先行して警戒し、光信号で仲間に知らせる。
大型の個体が後方で壁となり、毒性分子を放出して群れを守る。
これにより「集団行動」が生まれ、孤立した個体よりも高い生存率を得た。
次に現れたのは「協力して狩る」行動だった。
複数の個体が周囲を取り囲み、光信号で合図を送り合い、獲物を追い込む。それはまだ原始的なものだったが、戦略を共有するという新しい知性の使い方だった。
群れの中で、個体は自然に役割を担った。
速く動けるものは「追跡者」。
強固な膜を持つものは「防御者」。
光信号が得意なものは「伝令者」。
これらは偶然の結果ではなく、群れの中で「適した役割を持つ者が生き残る」という進化の必然だった。
やがて狩りや防御の戦略は、結晶や湖底に記録され、次世代へと伝えられるようになった。「ただ生きる」から「協力して生きる」へ。
そこに 社会が誕生した。
*
狩りと防御を繰り返す中で、ある群れが湖底に沈む鉱物の欠片を利用した。膜で掴んだその結晶片は、たまたま捕食対象の膜を裂き、内部を奪いやすくした。それは偶然の出来事だったが、群れの記憶に深く刻まれた。
──「外のものを使えば、生存率が高まる」
こうして最初の道具使用が始まった。
群れの個体は光信号で「鉱物を使え」と合図し、他の仲間がそれを模倣した。やがて、尖った石片は「狩りの道具」に、丸い石は「防御の盾」に、平たい鉱物は「殻を削る器具」に使われた。
道具は個体の延長となり、「身体の外にもう一つの手を持つ」 ような存在へと進化した。
最初はただ拾って使うだけだったが、やがて工夫が始まった。
鉱物片を擦り合わせて形を尖らせる。
炭化水素の膜で鉱物を固定し、持ちやすくする。
電流を流して鉱物の性質を変え、強度を高める。
こうして「加工」という概念が生まれた。
道具を扱える個体は群れの中で優位に立った。彼らは狩りの成果を増やし、群れ全体を養ったため、道具を伝えることそのものが社会的義務となった。
次第に、光信号の中に「道具の使い方」を示すパターンが組み込まれる。それはすでに「技術の言語」と呼ぶにふさわしいものだった。
道具を使い続けるうちに、個体たちは気づいた。
「なぜ尖った鉱物は獲物を裂き、丸い鉱物は防御に適しているのか」
「なぜ金属片に電流を流すと、光が走るのか」
問いが生まれた。問いは模倣では答えられない。観察と試行が必要となる。
こうして、学問が生まれた。




