水星の民ですが、地球人と接触しました⑦
*地球の民
インド洋で、数百体規模の群れが一斉に海底ケーブルへ接触した。膨大な電流が吸収され、複数都市が停電に陥る。防御フェンスは突破され、都市は一斉に停電した。
交通、通信、医療が停止し、人類社会は大混乱に陥った。
人類はこれを「襲撃」と呼んだが、水星の民にとっては「生存行為」に過ぎなかった。
彼らに「戦争」という概念は存在せず、行動はただ律動の維持に従っていた。
彼らの認識体系には「戦争」という概念は存在しない。
あるのは「律動を保つための行動」のみであった。
全面敵対の中、ビーコンには最後に送られた符号が記録されている。
――「名を守れ」
翻訳は不完全だが、これは「個体識別符号を維持せよ」という意味だと解釈された。
群体全体が敵対行動を取る中で、なお「名」という橋を保とうとする意志が存在した可能性を示す。
*水星の民
蒼の民は約した。月に畑を作る、と。そこに電流を与え、共に生きる、と。
だが同じ時、別の手が深海を掘った。彼らの冷却の母体、群れを束ねる水の揺りかご。
それを侵すことは、存在の根を断つこと。
合意は崩れ、群体は敵意に傾いた。
――蒼の民、約し、同時に奪う。
――合意は破壊に等しい。
数百の影が一斉に進む。海底の血管を覆い、流れを吸い尽くす。都市は光を失い、人々は恐怖に沈む。彼らはそれを「襲撃」と呼ぶ。
だが水星の民にとって、それはただの飢えの回復。
律動の維持。
生存のための行為。
――「名を守れ」
それはL-17の残した記録。
名は無意味かもしれない。
だが名は、痛覚を超えて残る橋となり得る。
群体の記憶は今も循環している。
蒼の民は敵か。資源か。それとも、橋を渡る同胞か。
答えはまだ合意されていない。
*
人類と水星の民は、同一資源――電流――を生存の基盤とした。
その不可避の競合が、接触からわずか数年で全面的な敵対を生んだ。
しかし記録は残る。
一度だけ、符号が「名」として交換された事実が。
科学者たちは報告書の末尾に小さく記した。
「敵対は避けられなかった。だが、名を呼ぶ行為は、なお橋たり得る。」
名の概念が彼らに新たな回路を刻んだことは確かだ。
だが、それが未来の和平の橋となるか、さらなる誤解の種となるかは、まだ定まっていない。
(終)




