月から来ました①
地球の衛星、月
「見上げると誰もが同じ月を見ている」──そう思うとき、人は不思議な慰めを得る。月とは人類にとって、誰しもが畏れと親しみを抱いてきた特別な天体であった。清らかな光を放ちながらも、満ち欠けによって「生と死」「清と穢」を映し出し、ときに「無常」や「寂寞」、そして「憧憬」の象徴ともなった。
大昔から日本人は、朧月夜や三日月、満月といった移ろいに異なる情緒を見出し、その繊細な自然観を和歌や物語に託してきた。
「見上げると誰もが同じ月を見ている」という感覚は、孤独や別れを抱くときにも、心を支える光であったのだ。
──しかし現実の月は、地球と違い大気も水もほとんど存在しない極限環境の星である。では、もしもそこに「生物」が進化したとしたら、いったいどんな姿や生態を持つのだろうか。
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まだ月が若く、火山の熱が収まりかけた頃。
昼と夜の差が過酷に世界を裂いていた。
夜は−170℃の闇、昼は+120℃の炎である。空気はなく、水もほとんど存在しない。あるのは灰色の岩と砂、そして宇宙から絶え間なく降り注ぐ紫外線と放射線だけだった。
生命の兆しはなかった。
ただ、鉱物の表面に散らばった有機のかけらが、静かに岩に貼りついていた。
ある昼、太陽の光がシリカ結晶の面に差し込んだ。紫外線は分子を叩き、「酸化鉄の赤い鉱物」が電子を放ち、「有機のかけら」はそれを受けて鎖をつなぎはじめた。
鎖はばらばらに壊れることも多かったが、一部は鉱物の面に沿って並び、互いを写し合う鏡となる。その鏡に映るように、同じ形が次々と増えていった。
こうして岩の表面には「膜」が生まれた。
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この新しい膜は透明ではなかった。薄く、干渉する構造を持っていたため、光を受けると虹色に輝いた。赤から青へ、青から緑へ、見る角度で色を変え、岩肌に淡い模様を描き出す。
昼になると膜は光を吸い、電子を取り込み、鎖を延ばして広がった。夜になると凍りつき、硬い鉱物の薄片となって岩に貼りついた。繰り返す昼夜の中で、膜は生き延び、少しずつ範囲を広げていった。
やがて一部は剥がれ、風も空気もない月でただ重力に従って転がった。
新しい場所で光を受けると、そこでも虹の膜が芽吹いた。
月の岩肌に、わずかながら虹色の斑点が散り始めた。
それは「晶芽」と呼ばれる存在──鉱物と有機の境界に宿った命の芽吹きであった。
晶芽は岩に張りつき、光を受けてわずかな代謝を繰り返した。個はなく、ただ散りばめられた斑点として存在し、月面に「光の花畑」を咲かせていた。
やがて晶芽たちは互いに共鳴し始めた。昼に膨張し、夜に収縮する律動が、岩盤を通じて隣の膜に伝わる。そのリズムは「問い」と「答え」となり、群れ全体がひとつの鼓動を持つようになった。
群れが大きくなると、岩の表面は虹色の波で覆われた。赤い輝きは「危険」、青い輝きは「水」、緑の帯は「安定」。 それはまだ言葉ではなかったが、確かに「会話」だった。
こうして月には、静かに響く群体の文明が芽生えた。