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木星の衛星エウロパから来ました⑦

 熱水噴出孔は、生命の揺りかごであり続けた。だが噴出孔は不安定で、時に止まり、時に別の場所へ移った。そのたび、群れは「餌場」を失い、壊滅することもあった。


 しかし、ある群れは気づいた。

 ──温度のわずかな変化を辿れば、噴出孔の位置を探れることを。


 彼らは「熱の勾配」を利用して移動を始めた。泡そのものは流されるままだが、群れ全体で流れを操り、より温かい場所へ集まるように変化していった。


 初めて、群れは環境に受け身ではなく能動的に応答した。


 群れの移動は、単独では成り立たなかった。ある群れが温度変化を感じ取り、膜を震わせる。その震えは隣に伝わり、やがて群れ全体に連鎖する。


 すると、海底の巨大な織物が、一斉に揺れるように進路を変えた。


 それは個々の意思ではなく、群体としての共鳴だった。だがその姿は、まるで見えざる意志に導かれるようでもあった。


 やがて噴出孔の周りは、群れと群れの戦場となった。資源を多く取り込んだ群れは繁栄し、資源に乏しい群れは押しやられて消えていく。


 しかし一部の群れは、防御の戦略を生み出した。膜を厚く強化し、他の群れの侵入を防ぐ。あるいは、膜の内側に反応性の分子を溜め込み、侵入者が触れると化学反応で壊してしまう。


 ──防御と攻撃。生命の本能ともいえる行為が、暗黒の海で静かに形をとり始めていた。


 群れはもはや偶然の集合体ではなかった。感じ、応じ、移動し、守り、時に争う。その連鎖のすべてが「情報」として蓄積され、次世代へと伝わっていった。


 それはまだ「思考」と呼ぶには幼く、「生存戦略」と呼ぶには洗練されすぎていた。



 熱水孔の周囲で群れ同士は互いに競い、時に融合した。やがて複数の群れが隣接し、互いの変化を“信号”としてやり取りするようになった。


 ある群れが温度の変化に応じれば、その反応はすぐに隣に伝わり、さらにその隣へ伝播する。こうして数十、数百の群れが、まるでひとつの巨大な泡のように同調して動く現象が起き始めた。


 それは偶然の重なりに見えたが、内部の鎖は確かに「隣に合わせる」という配列を残すよう進化していた。


 彼らのやり取りは、言葉ではなく化学だった。


 硫黄濃度が上がれば、膜を厚くせよ。

 温度が下がれば、鎖を縮めよ。

 有機分子が豊富なら、複製を加速せよ。


 この反応は群れ全体に一斉に広がり、群れ同士はあたかも「合意」に達するかのように行動した。


 それはまだ会話ではなかった。しかし、合意のある行動=原始的な言語と呼べるものだった。


 数千の泡が互いに模倣し、連鎖し、共鳴したとき、熱水孔の周囲はまるで巨大な一枚の生物のように震えた。そこには「個」も「群」もなく、ただ全体が同じ刺激に同じように応答する、一つの意識の塊があった。


そして、複製分子はその同調を記録するように配列を変化させた。「合意の行動」を次代へ渡す──それが進化の道となった。


 ある時、熱水孔が静まり、温度が大きく揺らいだ。群れ全体が一斉に応答し、移動を始めたその瞬間、内部で鎖の一部がこう記録した。


 ──「われらはひとつ」


 それはまだ言葉にならない、分子の連鎖にすぎない。だが確かにそこには、「自己」と「他者」を分ける感覚が生まれていた。


 それはまだ幼子の夢のように脆く、しかし確かに、宇宙に芽吹いた「もう一つの意識」だった。


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