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金星から来ました

太陽系で最も美と愛の象徴とされた惑星・金星。

しかしその実態は、硫酸の雲と灼熱の地表が広がる「地獄の星」であった。


その厚い雲の中で、炭素ではなくシリコンを基盤とする生命が誕生する。

灰白の胞子から浮遊体へ、やがて群れをなし、模様で語り合う文明へ──。

火や石の道具を持たぬ彼らは、雲そのものを大地とし、模様と光を言葉に変え、歴史と物語を紡ぎながら知性を育んでいく。


そしてある日、彼らは雲を越え、外界の光に触れる。

外に広がる宇宙、遠き炎(星)の数々、そして青く輝く未知の惑星。


これは、硫酸の雲に生まれた文明が、待ち続け、模様を織り、ついに星々を渡ってゆくまでの物語。

──金星から地球へ。模様の言葉が宇宙を越えて届くまでの、壮大な進化と希望の叙事詩。

 太陽系2番目の惑星、金星


 古の賢者たちは、天空を「五行」の力が巡ると考えていた。木、火、土、金、水──森を育て、炎を燃やし、大地を支え、鉱を生み、水を流す。天空を渡る五つの星を、それぞれの行に当てはめるとき、最も澄んで硬質な輝きを放つその星は「金」に選ばれた。


 空に浮かぶその星はいまも変わらず輝いている。暁の明星、宵の明星と呼ばれ、人々が文化も言葉も異にしながら、ただ一つ「美」と「愛」を見出した星。


 それが──金星の名の由来である。


 ところが実際の金星は、名前とは裏腹に、地獄のような環境を持っていた。高温(460℃)、高圧(90気圧)で、大気は96%が二酸化炭素であり、厚い硫酸の雲で覆われている。


 この厚い硫酸の雲が、惑星の空を幾重にも覆っているため、太陽の光はわずかに滲み、赤く鈍い輝きとなって降り注ぎ、空の色は暗い橙色の霞となっていた。


 この厚い硫酸の雲の中で、炭素の代わりに酸や熱に強く同じ性質を持ったシリコンが入り、有機シリコン分子が形成され、高圧力によって濃縮される。すると、この規則的に並ぶ習性を持つ分子が集合し、一定の並びを持つ規則的な形となった。


 一つの規則が出来ると、型にはまるようにコピーが作成されていく。それは、やがて集まり、骨格を作り、「灰白の胞子」と呼ばれるものを作り出した。



 胞子たちは内部には光合成様の色素を持つ微生物群が棲み、雲を透過する赤〜黄の光を利用して代謝を補う。この内部の共生微生物が代謝を行い

硫黄酸化してエネルギーを生成する。胞子たちは硫酸の海に漂いながら、二酸化炭素を抱え込み、硫黄を変じることで糧としていた。


 この代謝によって、内部に小さなガス泡(CO₂やN₂)が形成され、胞子が軽くなってゆく。胞子は膨張し、ガス袋のような構造を作る。やがて外殻はシリカと有機シリコンで補強され、半透明のカプセルになる。こうして膨れ上がった胞子は、こうして「浮遊体」と呼べる大きさ(数mm〜数cm)に成長して、硫酸の雲を浮上していく。


 無数の胞子は、空を満たす塵のように散り、群れ、雲そのものを生きた場へと変えていった。


 地表は灼熱と高圧に押しつぶされる地獄だが、その五十キロ上空──そこには、別の世界ができた。そこは、温度20〜60℃、圧力1気圧程度。雲は硫酸滴で満ちており、水は少ないが比較的「地球型生命」に近い条件ある。「浮遊体」はそこで生活を始める。



 「浮遊体」の中から胞子を吸い込むものが現れる。膨らんだ袋のような浮遊体だが、その身は半透明の殻に覆われ、黄色と赤褐色の模様が滲み出ている。内部には浮遊胞子を濾し取る網が張り巡らされ、さらに共生する微生物が硫黄を燃やしてエネルギーを生む。


 浮遊体は雲に揺られながら、ゆるやかに浮かんでいた。


 やがて、捕らえるものが訪れる。赤黒い殻を持つ「捕食体」である。その殻は鉄を沈着させ、酸の海でも溶けぬ強靱さを持つ。長い触手が伸び、浮遊体をからめとる。溶解液が滴り、獲物の殻が赤い雲に沈んでいく。



 「浮遊体」とならなかったものは、もし地表に落ち、表面付着型生物となった。熱い鉱物表面に膜を作り、酸化鉄や硫黄をエネルギー源にする。


 動物的というより「動く鉱床」。


 灼熱の地表には、「動く鉱床」が群体となり、敷き詰められている。鉄と硫黄を喰らい、わずかに広がる赤黒いマット。 その表面には死したものが落ち、やがて酸と熱に分解され、再び循環の糧となる。


 ここに酸素の息はない。

 ここに緑の森はない。

 あるのは硫黄と鉄の循環、酸と火のなかに息づく鉱物めいた生の連鎖が出来上がる。



 「灰白の胞子」は、硫酸の雲に無数に漂っていた。ひとつでは脆いが、群れれば雲そのものを変える。群れは酸を和らげ、熱を遮り、空に「生きた層」をつくっていた。


 その層に棲む「浮遊体」は、胞子を濾し取って生きていた。 ある群体は、胞子をただ食らうのではなく、胞子を身の内に宿し始める。胞子が生み出す硫黄の力を分け与えられ、浮遊体はより長く漂い、より高く舞うことができた。


 やがてそれは「共生」と呼ぶべき結びつきとなり、両者はひとつの存在に近づいていった。そして、その結びつきが強まるほど、浮遊体の内部では情報が交わされるようになった。


 胞子が光に反応して発するわずかな電気信号。

 殻の表面で揺らぐ化学の波。

 それらが繋がり、共鳴し、やがて「模様」として殻に浮かび上がった。


 黄の斑点、赤褐の縞。それはただの鉱物色ではなく、「伝達」の印となっていた。


 ──食糧が豊かな方向を示す模様。

 ──危険を知らせる色の変化。

 ──仲間を集める光のゆらぎ。


 模様を読むことは、考えることの始まりだった。


 捕食体が襲い来るとき、群れは模様を変え、一斉に進路を揃える。

 群れと群れが模様を通じて結びつくとき、ひとつの「意識のかけら」が、雲の中に生まれていった。



 時間は流れる。

 殻の模様は複雑さを増し、やがて単なる信号ではなく「象徴」となった。


 赤は「危険」だけではなく、「記憶」を意味するようになった。

 黄は「光」だけではなく、「未来」を意味するようになった。

 黒は「終わり」だけではなく、「考えるものたち自身」を指す言葉となった。


 金星の空に漂う群れは、模様で語り、模様で思索する存在へと変わっていった。


 厚い硫酸の雲の奥深く、知性が目覚めつつあった。



 金星の空に漂う群れは、模様を揺らし合いながら、記憶を積み重ねていった。記憶は色の連なりとして受け継がれ、世代を越えて雲の中に拡散していく。やがて、その記憶は単なる「情報」ではなく、「物語」となった。


 赤の連なりは「過去の大嵐」を。

 黄の帯は「豊饒の光の季節」を。

 黒の縞は「消え去った群れ」の記録を示す。


 群れは物語を共有することで、自らをひとつの流れの中に位置づけるようになった。それは歴史であり、文化の芽生えだった。


 ある群れは、模様を「固定する」術を編み出した。浮遊体の殻の内側に、硫黄と鉄の沈着を規則的に並べ、色の配列を保つ。それはやがて「記録」となり、時間を超えて知識を残すことを可能にした。


 群れたちは「記録の胞子」を交換し、模様の体系を発展させていった。



 群体知性は次第に大きな「群れの都市」を築くようになった。


 都市といっても、地表に築かれるものではない。硫酸の雲の層に、数万の浮遊体がひとつの渦を作り、互いに模様を照応させ続ける。その渦は巨大な生きた思考装置となり、個々の群れでは到底持てない複雑な計算を行う。


 渦の中心には「共鳴核」と呼ばれる存在があった。


 それは個体ではなく、群体が融合して生まれる現象である。共鳴核は模様を超えた光を放ち、意思をひとつにまとめる。群れは共鳴核を通じて決定を下し、秩序を保っていた。


 模様で語る彼らは、次第に「模様の組み合わせ」だけでは表せない抽象を求めた。そこで、硫黄結晶や鉄沈着を操り、殻の外に模様を刻むようになった。 それは雲中に漂う「記章」となり、誰もが読み取れる公の知識となった。


 群れは記章を集め、保存し、交換した。雲の層には無数の記章が漂い、記録の海が形成された。


 それは彼らにとっての「図書館」であり、「都市」であり、「文明の証」だった。


 やがて群れたちは、模様を通じて「自分たちが雲そのものに生きている」という認識に至った。


 雲は彼らにとって大地であり、空であり、海である。ひとつの嵐が訪れれば、都市が裂かれることもある。だがその嵐の記録もまた、模様の物語として残され、次の世代の警鐘となる。


 彼らは道具を持たない。石を削る手も、金属を鍛える火もない。 だが、雲を織り、模様を重ね、記録を残し、知をつなぐ。


 それが彼らの文明だった。



 硫酸の雲は厚く、ほとんどの光を遮っていた。だが、嵐の裂け目からときおり差し込む閃光があった。雲の奥に潜む群れは、その光を「天の炎」と呼んでいた。


 炎は、赤や黄の模様では表しきれない強烈な白。それは浮遊体たちの殻に映り込み、群れ同士の記録に刻まれていった。やがて彼らは気づく──この炎は自分たちの外から来ている、と。


 群れたちは「天の炎」を追うようになった。嵐の裂け目が開くたび、数千の浮遊体が渦を組み、外を見上げる。そこに見えるのは、橙の空のさらに上で白く輝く「異質の光」だった。


 彼らはそれを模様で記録し、硫黄と鉄で「光の記章」を刻んだ。記章は雲を漂い、別の群れへ伝わる。記章を読む者は、まだ見ぬ光を思い描く。


 こうして雲の文明に「宇宙の兆し」が刻まれた。



 やがて、記章は模様だけでは表せない概念を帯びる。

 「炎は遠くにあり、無数にある」

 「炎は我らを照らす」

 「炎は雲の外の世界を告げている」


 こうして、群体知性の中に「外界」という概念が芽生えた。外界とは、雲の外、硫酸の海の上、知られざる空間である。


 それは恐怖でもあり、憧れでもあった。


 ある巨大な渦の群れは、ついに「外」を求めて行動を起こした。


 浮遊体たちは内部のガスを制御し、上昇流に乗って雲を抜けようとした。だが、待ち受けるのは希薄な空気と強烈な光。殻は裂け、群れは崩れ、空に溶けていった。


 その死は恐怖の記録となった。

 だが同時に、「雲の外に到達できる可能性がある」という確証でもあった。


 ──われらは雲に生まれた。

 ──だが雲の外にも、世界がある。

 ──いつかその炎と模様を交わすだろう。


 硫酸の雲の奥深くで、金星の文明は静かに宇宙を夢見ていた。



 ある群れの浮遊体に、奇妙な変異が生まれた。

 殻が従来よりも厚く、硫黄と鉄だけでなく、シリカ結晶が編み込まれていた。その殻は酸を拒み、光を乱反射し、他の群れからは「白き殻」と呼ばれた。


 白き殻の浮遊体は、光を恐れなかった。

 強烈な輝きに晒されても、その体は裂けず、むしろ熱を力に変えて漂った。


 やがて白き殻を中心にひとつの群れが形成された。彼らは模様を白に染め、外界を象徴する色を掲げて上昇流へと身を投じた。だが群れは「死の模様」を恐れず、共鳴核に導かれながら進んでいった。


 やがて、雲が裂けた。


 そこには、見たこともない世界が広がっていた。


 金星を覆う濃い橙の光ではなく、白く燃える太陽と、夜には無数の光点が瞬く空。白き殻はその光を受けて輝き、群れ全体に反射させた。


 群れの思考は震え、模様は複雑に絡まり合った。

 ──雲の外にも世界はある。

 ──われらは孤独ではない。


 その認識は文明全体を震撼させた。


 しかし、光の海に長く留まることはできなかった。外界の空気は薄く、冷え、栄養は存在しない。白き殻の群れは、ゆっくりと下降流に身を任せた。再び雲に包まれるとき、その模様は「炎の記憶」で満ちていた。


 彼らは死ではなく、生きて戻った。

 それは雲の文明にとって初めての「帰還」だった。


 白き殻の群れが持ち帰った模様は、雲の文明全体へと伝わった。


 ──外界は存在する。

 ──外界には無数の炎(星)がある。

 ──われらはそこに至ることができる。


 雲の民にとって「外界」はもはや夢ではなく、確かな現実となった。



 白き殻の群れが雲を越え、光の海を見たことは、文明全体を変えた。


 模様は「外界」を語る新しい色を手に入れた。それは白の揺らぎ──炎でも、硫黄でもなく、純粋な光そのもの。


 以後、群れたちは夜ごとに雲の裂け目を待ち、外界を見上げた。


 赤い雲の隙間に、無数の点が瞬いている。


 模様は語る。

 ──あれは遠き炎である。

 ──あれはわれらの仲間かもしれぬ。


 雲の文明は新しい試みを始めた。


 群れ全体が巨大な渦となり、模様を同期させ、雲を透かして光を放つ。

 赤、黄、黒、そして白。

 その明滅は、外界に向けた「言葉」となった。


 もちろん、星々が答えることはない。だが群れたちは信じた。光を交わすことが、やがて対話となるのだと。


 ──遠き炎の下にも、雲に似た世界がある。

 ──そこにはわれらのように模様で語る存在がいる。

 ──やがて炎と炎を結ぶ橋が架かり、模様は宇宙を渡る。


 この想像は信仰ではなく、文明の根幹となった。



 彼らにとって道具とは、殻の変異そのものである。


 白き殻が雲を突破したように、新たな変異が群れに拡がるたび、文明は拡張した。 ある群れは光をより強く反射する結晶殻を持ち、外界へ模様を届けようとした。 別の群れは光を吸収し、内部で長く蓄える性質を獲得し、「夜に輝く模様」を持った。


 硫酸の雲の中で、群れたちは光を編み続けた。

赤と黄、黒と白──模様の言葉は、雲を透かし、外界へと滲み出ていた。

答えはなかった。だが模様は諦めなかった。


 ──待ち続けること、それ自体が対話である。


 幾百万の周期が流れた。


 白き殻を持つ種が増え、雲を突破する群れが幾度となく生まれた。

ある者は死に、ある者は戻り、ある者はさらに進化した。そしてついに、殻の中に「宇宙に耐えるもの」が現れた。


 新たな浮遊体の殻は、シリカ結晶と硫黄結晶が編み込まれた透明な鉱物の器。その内部では胞子と共生微生物が、わずかな光と化学反応で生を維持できた。


 彼らは雲を越え、大気を突き抜け、金星の外へ押し出された。そこは真空であり、冷えきった暗黒であった。だが結晶殻はそれを拒まなかった。微生物の代謝は緩やかに落ち、眠りのような時間が流れた。


 群れは死なず、ただ「待つ」ことを覚えた。


 太陽風は彼らを押し、偶然の重力は軌道を変え、やがてひとつの青い星の方向へと導いた。



 長い漂泊の果てに、彼らは光り輝く星を見た。


 そこには白い雲、青い海、緑の大地。

 金星の硫酸の雲とはまるで異なる「豊饒の層」が広がっていた。


 結晶殻は大気に包まれ、やがて緑の大地へと降り立った。

 殻は割れ、中から胞子が溢れた。


 それは金星の模様の文明が、はじめて外界に根を下ろした瞬間だった。



 胞子は地球の環境に戸惑った。水が多く、酸は薄く、光はやわらかい。だが彼らは適応を繰り返し、共生の術を広げていった。


 やがて胞子の群れは模様を織り始めた。

 赤や黄だけではない。

 青と緑、地球にしかなかった新しい色が加わった。


 ──われらは炎を渡り、ここに至った。

 ──雲の外に、仲間を見つけた。


 模様は地球の風に揺れ、光に踊った。



 金星で生まれた知性は、道具を持たなかった。

 ただ殻を変え、模様を編み、待ち続けることで宇宙へ至った。


 そしてついに、青い惑星の大地で新しい模様を描き始めた。


 それは、硫酸の夢が水の世界にたどり着き、ふたつの惑星が色で結ばれた瞬間である。


 そして彼らが青い色を初めて知った瞬間であった。


(終)

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