32、私の前世①
『あー!!私のお菓子!!紫苑、食べたでしょ!?』
『た、食べてないよ!』
頬にお菓子の食べかすをつけた紫苑が、口を手で覆い隠しながらもごもごと咀嚼し、誤魔化そうとしている。
五歳年下の妹の紫苑は口が達者になり、最近では嘘をつくようになった。
『私のお菓子!返してよ!』
『いたいいたい!えーん!!』
『泣けばお母さんが助けてくれると思ってるでしょ!許さないんだから!』
そんな私は、言葉より先に手が出るタイプだった。
五歳年下といえど、許せることと許せないことがある。
『あらあら、どうしたの?』
『お母さん!私のお菓子、紫苑が食べた!』
『あら……紫苑、ダメでしょ?それはお姉ちゃんのだからねって言ったのに……』
『だってぇ〜!』
『ほらほら、じゃあ瑠璃のお菓子を買いに行こう。紫苑も謝ってね』
『あなたは甘いんだから……』
よく言えば天真爛漫だった私は、アニメやドラマの影響を受けやすく、素直な子供だったはずだ。
いつも元気いっぱいで、家の中より外で遊んでいた記憶がある。
家族仲はよく、五歳のときに妹の紫苑が生まれた。
紫苑とは五歳離れていたが、喧嘩は多かった。
それでも休みの日には家族で出かけ、一緒に過ごしていた。
私が五年生の十一歳のころ、両親が事故で亡くなった。
まだ紫苑は六歳。
来年小学生になるとはいえ、幼いことに変わりはない。
二人きりになった瞬間、考えるより先にそう思っていた。
幸い、祖母が代わりに面倒を見てくれることになった。
田舎に住んでいたが、そのタイミングで一緒に暮らすため上京してきてくれた。
しかし都会の空気が合わなかったのか、体調を崩すようになった。
おばあちゃんまで何かあったら――と思い、田舎の家に戻ることにした。私と妹も一緒に。
だが祖母は少し回復したものの、完全には体調が戻らず、私が高校三年生のときに亡くなった。
もう、本当に私と妹しか残らなかった。
紫苑がいてくれるおかげで天涯孤独ではないけれど、私はより一層気負っていたのかもしれない。
私がしっかりしなきゃ、と。
過保護になっている自覚はあったが、私には紫苑しかいなかった。
親が唯一残してくれた妹を守るのは、お姉ちゃんとして当然だと思っていた。
それからは高校を卒業し、短大に通いながらアルバイトを詰め込み、紫苑を育てた。
それも、マンションを購入した直後に親が亡くなったからだ。
保険のおかげでローンはなくなったが、頭金の支払いが大きく、手元に残るお金は多くなかった。
ある意味、家持ちの貧乏だった。
高校卒業後すぐ働くことも考えたが、就職難の事情もあり、高卒採用枠は賃金が安く枠も少ないと教えてもらった。
悩んでいると、短大進学を勧められた。
そして短大を卒業し、大手商社の事務職として就職できた。
短大卒としては給与条件も良かった。
そこで出会ったのが五歳年上の城田斗真さんだった。
斗真さんは入社当初から同じ部署だった。
私は営業補佐として働くようになり、斗真さんと話す機会が多くなった。
斗真さんは若手エースでイケメンだったため、よく一緒にいる私は女性社員から嫌がらせを受けた。
時折、トイレなど女性しか入れない場所で責められることもあった。
「最近、城田さんに付きまとっているの? 調子に乗らないで」
「そうそう、城田さんはみんなに優しいの。勘違いしないで」
「……」
仕事上の会話をしているだけだったが、このようなことは多かった。
反論しようと思えばできたが、しなかった。
こちらが何か言えば火に油を注ぐだけだと思ったからだ。
家では紫苑が待っている。
残業もあまりしたくなかった。
私が耐えればいいだけだと思っていた。
そんな日々を過ごしつつ、入社して二年近く経ったころ。
ある日、斗真さんと退勤時間が重なり、駅まで一緒に帰った。
最近よく一緒になるなと思っていた。
斗真さんは、いろんな方にご飯に誘ってもらえるのはありがたいが、家で紫苑が作って待っているため断るのが申し訳ないと話した。
すると斗真さんは「……これ、ここにつけとけ。……おまじない」と言って指輪をくれ、右手の薬指にはめてくれた。
ぴったりだったことに驚く。
不思議に思いながらも深くは考えなかった。
左薬指の意味は知っていたが、右だったこととおまじないという言葉から気休めだと思っていた。
しかしその後、お誘いは減った。
おまじないの効果に感動したこともあった。
こうしたこともあり、以前より親しくなっていたので、つい身の上話までしてしまった。
今まで誰にも自分から話したことはなかったのに、不思議とすんなり言葉が出たことに驚いた。
両親は亡くなっていて、今は妹と二人暮らし。
祖母も四年前まで面倒を見てくれていたが亡くなったことを話した。
『それは……大変だったな』
『両親が亡くなったのは小学五年生の頃で、祖母も四年前に亡くなったので、今の生活には慣れました。あとは妹が無事大学を卒業して就職してくれれば安心なんですけど』
駅も近く、そろそろ別れというとき、斗真さんは私の手を軽く引いた。
人気のない方へ連れて行かれ、何かあったのかと思うと、真剣な表情で斗真さんが振り返った。
『いきなりで驚くかもしれないが、俺は渡瀬が好きだ。俺にお前を支えさせてほしい。付き合ってくれないか』
『え……?』
『今すぐ返事をしなくてもいい。ただ、俺がそう思っていると知ってほしかった』
『わ、わかりました……』
告白だった。
ただひたすら驚いた。
告白は今まで何度か受けたことがあった。
だが当時は自分のことで精一杯で、紫苑のことしか考えられず断っていた。
こんな素敵な人に告白されるとは思っていなかった。
ーーもう自分の人生では二度とないかもしれない。
気づけば前向きに考えていた。
今までは考えることすらせず断っていたのに。
いつも気にかけて助けてくれる斗真さんは、次第に私の中で大きな存在になっていた。
感謝と共に、好意を持っている自分にも気づいた。
事情を知った上で頼ってほしいと言われ、とても嬉しかった。
いつも「お姉ちゃんだからしっかりしなきゃ」と思っていたからだ。
ーー心は決まった。
朝はいつもより早く目が覚めた。
斗真さんにこの気持ちを伝えたい。
しかし私には、私以上に優先しなければならないものがある。
それも伝えなければ。
それでも――この気持ちを、なかったことにはしたくなかった。
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