15、裏切りの夜と、消えない記憶
『台風が来ているから、今日の会議は延期にしよう』
部長の予定で急に決まった会議だったが、すぐに終わる内容ではなかったため、台風の影響で明日以降に延期になった。
今はまだ雨がぱらつき始めた程度だが、この後激しくなり、交通機関が止まる可能性もあるらしい。
そのおかげで、今日は予定より早く帰れそうだ。
19時には恋人の斗真さんが来ることになっている。
妹・紫苑の誕生日と就職祝いをする予定だ。
外食でもいいと話したけれど、「映える料理を作りたいから」と、主役のはずの紫苑が料理を担当することになった。
私は仕事で遅くなるかもしれないから、もし間に合わなければ先に食べていてと伝えてある。
会議が延期になった今、急げば18時には着けそうだ。
もしかしたら、少しは手伝えるかもしれない。
◇
紫苑は五歳年下の妹だ。
私が小学五年生、十一歳のときに両親は交通事故で亡くなった。
その後、唯一の親戚だった祖母に引き取られたけれど、高校二年生、十七歳のときに祖母も亡くなった。
それからずっと、私が紫苑を育ててきた。
大切な、大切な妹だ。
家に着いて玄関を開けると、男物の靴があった。
斗真さんの靴だ。
予定より一時間も早い。
不思議に思いながら、そっとダイニングの扉に近づき、耳を澄ます。
『瑠璃にはバレないよな?』
『ふふっ、バレてないよ。そんなヘマするわけないでしょ』
『それならいいけど……紫苑って顔に出るから心配なんだよな……』
『失礼な! それにお姉ちゃん、こういうの鈍いから大丈夫でしょ』
『鈍いって……まぁ、それもそうだな。じゃあ瑠璃が帰ってくる前に……』
『んっ、そうだね。ヤろっか』
——一瞬、何を言われたのか分からなかった。
そして次の瞬間、バンッと扉を開けた。
ソファに寄り添って座っていた二人が、勢いよく振り向く。
『あ、お、おかえりー……お姉ちゃん……』
『る、瑠璃、早かったな! お、おかえり! お疲れ様!』
あまりにも挙動不審な二人。
その姿を見て、ここ最近感じていた違和感が、確信へと変わった。
『……浮気するくらいなら別れてって言ったのに……。しかも相手が紫苑だなんて……』
ぽろぽろと涙がこぼれる。
『な、何で泣いて……! 浮気とか何のこと……』
(この期に及んで、シラを切るなんて……)
『最近よく二人で内緒話してるし、この前見たの。ホテルに二人で入っていくの……』
『ホテル? 何のこと……はっ、まさか……!』
『お姉ちゃん! 違うよ! そんなんじゃなくて!』
一瞬きょとんとした顔をした次の瞬間、青ざめる。
『もういい。裏切るような人たちなんて……さようなら』
そのまま家を飛び出した。
雨は先ほどより激しくなっていた。
傘も持たずに出てきたせいで、スーツも髪も、全身がずぶ濡れになる。
両親を失ってから、何よりも大切にしてきた紫苑。
夢を諦めてでも、紫苑には我慢をさせたくなくて、必死に働いた。
そんな私を支えてくれたのが斗真さんだった。
二人のためなら何でもできると思っていた。
二人がいるから、生きていけると思っていた。
(でも……違った。二人にとって私は、ただの邪魔者だったんだ……)
雨の中、あてもなく歩く。
冷たい雨粒が容赦なく打ちつける。
過保護だったかもしれない。
でも、紫苑のために尽くしてきたつもりだった。
(何がいけなかったの……私が悪いの……?私がいなければ、あの二人は幸せだったの……?)
斗真さんにも、紫苑を優先することは伝えていた。
それでも誠実に付き合ってきたつもりだった。
(それが不満だったの……? もう分からない……)
頬を伝う雫が、雨なのか涙なのか分からない。
気づけば、昔よく通った公園の近くだった。
『──瑠璃!!』
背後から声がする。
振り返ると、びしょ濡れの斗真さんが息を切らして走ってくる。
思わず後ずさる。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「紫苑を好きになってしまった」と告げられるのが怖い。
信じていた二人に裏切られたと、はっきり突きつけられるのが怖い。
愛していた二人を憎んでしまう自分が、何より怖い。
『こっちに来ないで!!』
気づいたときには、信号も見ずに横断歩道へ飛び出していた。
キキィィッ!!
ブレーキ音とクラクションが響く。
『瑠璃!!!』
その声を最後に、強烈な衝撃が全身を襲い、視界が真っ白になった。
◇◇◇
「ん……」
しとしとと雨の音がする。
「また……あの夢……」
アレク様と婚約してから。
正確には、アスターとアレク様が出会った婚約披露会から。
雨の日は決まって、この夢を見る。
頬に触れると、やはり涙で濡れていた。
前世――
恋人と妹の裏切りを目の当たりにし、家を飛び出し、トラックに轢かれて死んだ日の夢。
これは――警告なのではないか。
「アスターとアレクシスの邪魔をしてはいけない」という。
私は悪役令嬢で、二人が結ばれるためだけに存在しているのではないか――
……そんな気がしてならなかった。
読んでいただきありがとうございます。




