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君は群青  作者: 猫ざらし
5/6

5日目 君と群青①

 昔から、感情というものが希薄な子どもだった。

「美月ちゃんって、優しいね」

 何をされても怒らなかったし、小学四年生のときに仲の良かった友達が転校しても、そういうものだろうという感情しか湧かなかった。

 相手の女の子は、何時間も泣き続けていた。日の暮れた公園。二人でブランコに座りながら、どうすればいいのだろうと考えていた。早く誰か来てくれないかな、と。そんなことを思っていたのだから、なかなか薄情なやつである。

 だけど。私たちの頭上には、子どもだけの力では到底動かせないものが存在していることは、小学四年生になれば分かるものだ。

 だとすれば、彼女はどうして泣いていたのだろうか。

 離れていても、一生の友達だよ。言うのは容易い。だけどそんなこと、離れ離れになってしまえば私たちには確かめようもないわけで。

 それに、きっと求められていたのは、そんな不誠実な言葉じゃない。

 もちろん親しかった友達と離れるのは、私だって寂しい。そこまで淡白な人間ではない。だけど、どうにもならないことに激情を顕にできるほど、私は勇敢な子どもではなかったのである。

 そのあと、どんな言葉をかけてその子と別れたのかは思い出せない。

 最適解がわからないまま、一人で帰路についたとき。確かに私の胸には寂寥が込み上げていた。だけどそれは、友達が転校するからではなかった。

 群れのように広がる秋のひつじ雲を見上げて、一人歩く。

 この先、私が誰かに心を動かすことはあるのだろうか。群れながら風に流されて形を変える雲が、羨ましいと思えた。

 かくして、わたくし竹木美月という人間は、決して優しいわけではなく、めんどくさがり屋で共感生の乏しい、非常に面倒な人間なのである。


 私の根無し草のような人間性は、お父さんと死別したお母さんが再婚してからは、一層加速した。

 あれは土曜日だったか、日曜日だったか。

 とにかく、高校一年生の時だった。

 自分の部屋で窓を開けてネイルを塗っていると、お母さんが部屋に来た。

「美月、本当によかったの?」

 そう聞かれたのは、二回や三回ではない。

「全然へーき。むしろ楽しみ」

 再婚が娘にとっていいものかどうかなんて、再婚相手に数回会っただけの女子高生に判断できるわけないだろ。ペットを飼うわけじゃないんだから。

 そう思ったけれど、それを口にすれば余計に面倒なことになるので、口を閉じる。

「ならいいけど……あとその、ね……」

 お母さんの視線が泳ぐ。

 何か、私に言いづらいことがあるらしい。だけど、言いづらいことというのは結局、言うか言わないかの二択しかないわけで。考える時間が勿体ないのになぁなんて、思っている間に言葉が続いた。

「あのね、相手の方、中学三年生の娘がいるの……美月の一つ下」

 これには中々驚いた。驚いて、ネイルがはみ出る。除光液ちょうど使い切っちゃったから、買いに行かなきゃ。面倒な思考を避けるように、そんなことが浮かんでは消えた。

「……妹ができる、ってこと?」

「そうね」

 姉ではないから妹ね。なんて言っているけれど、問題はそこではないのだ。

「一個下かぁ」

 同年代といっても千差万別である。派手な子、地味な子、自分勝手な子、熱血スポーツ少女。

 そして、再婚するということは一つ屋根の下で暮らすというわけで。なぜそんな大事なことをずっと黙っていたんだ、この野郎。なんて物騒な口調にもなるものだ。口には出さないけれど。

「それはビックリだわ」

「そうよね、ビックリよね」

 共感ではない。私に判断を委ねているのである。お母さんは、昔からそういう人だった。決断することが、とにかく苦手なのだ。

 思えば、この人に何かを反対されたことは一度もないかもしれない。

「へぇ一個下ね……」

 どんな子なの、なんて。聞いたところで意味はないと思った。

 親なんて、子どもの性格のほんの一面しか知り得ないのだから。私の家が、その良い例である。

「いいんじゃない?人多い方が楽しいし」

 まじかぁ。そんな気持ちは奥の奥に押し込んで、笑顔をつくる。

 私がどうこう言ったところで、どうにかなる問題じゃない。それに、今はとにかく一人になりたかった。一人になったからって、何かが変わるわけではないのだけれど。濁った水槽で新鮮な水を求めているような、そんな心境だった。

 お母さんは重い荷物を置いたように安堵の表情を浮かべると、リビングに戻って行った。その荷物は、いま私の目の前に置かれているのだけれど。

「妹かぁ……」

 面倒くさいな。私の中にあるものは、それだけだった。そもそも、面倒くさいか面倒くさくないか。私の中には、その物差ししかないのだ。

 机の上に突っ伏して、ネイルが乾くのを待つ。

 煩わしいものを、全部消し去ったその先で。立つ私は、一体誰なのだろう。

 気を抜けば、面倒だと自分すらも消し去ってしまいそうだった。



* * *

 


 甲板の日差しが煩わしくて、乗り物酔いを口実に友人の輪から外れた。

 海は綺麗だ。だけど綺麗なものには、新鮮さが求められる。つまるところ、ずっと変わらない海景色に、私は早くも飽きはじめていたのである。

 逃げた先は、剥げた塗装や錆びの目立つ日陰。

 意外にも、そこには先客がいた。

「松門さんも、酔っちゃった?」

 松門蓮。彼女と話すのは、クラスが同じになってから四ヶ月も経つのに、初めてな気がする。

「いや、私は別に……」

「そっかぁ。松門さん、乗り物強いんだねぇ」

「………………。」

 沈黙は、居心地の悪いものではなかった。だけど松門さんと二人きりになることについては、「しまったなぁ」というのが正直な感想だった。

 松門さんが嫌だという訳ではない。ただ、松門さんにとっての私は、そうではないだろうから。

 私のような人間というより、私の所属するような騒がしいグループの話だ。大抵は松門さんのように真面目で物静かな人から、そういったグループの人間は反感を買うのである。どちらが悪いという話ではなく、反りが合わないのだ。

 想像してみてほしい。静かに眠っていた猫の檻に、やかましい小型犬が入ってきたら、当然に引っかかれるわけである。

「お邪魔だったかな?」

「いや、別に……」

「よかったよかった」

 みんな仲良くとは中々難しいものだな、なんて。広い空を眺めながら考える。

 松門さんは少し、お母さんに似ている。母性がどうとか、そういう話ではなくて。

 一人が好きだと思っている。強くありたいと思っている。だけど、心根が優しいのでどちらも叶わない。常に相手を伺って、ずっと何かと葛藤している。

 もっと自由に生きたらいいのに。面倒なことなんて、考えないで。

 だけど同時に、少しだけ羨ましくもあった。

 頭を悩ませるということは、それだけ大切な価値の物差しが、松門さんの中には存在しているのだろう。

 松門さんの、染めたこともないであろう艶々とした黒髪を横目で見る。

 ピンと跳ねた睫毛は、ビューラーを使っていないのにそんなに上がるんだ、とか。カラコン入れてないのに黒目でかいな、とか。

 グループの一人が「松門さんてつまんないよね」と言っていたことがあったけど、見る目がないなぁと思う。

 つまるところ、私は松門さんに、何か特別な特筆すべき感情を抱いていたわけではない。ただ、

「あ、」

 甲板から猫のように投げ出されたその姿を見たとき、羨ましいと思った。

 無意識に、手を伸ばしていた。

 そのときにはもう、飛び込んでいた。

 間近に迫る海面は、甲板から眺めていたときよりも、ずっと青くて。

 死ぬかもしれない。

 それでもいい。全部、消えてなくなってしまえ。

 喧騒も憐れみも、面倒なことは何も届かない場所へと、強く引っ張られる。深く深く、沈んでいく。

 私の中の羅針盤が、下へ下へとひたすら指し示していた。

 青と白の気泡に包まれて、紺碧の一番深い場所へ。

 沈みゆく君は群青色。

 見たこともないくらいに、美しかった。

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