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君は群青  作者: 猫ざらし
4/6

4日目 城と潮流

 朝日で目が覚めた。

 私たちが居住地としている横穴は、東に向けて口を開けていた。水平線の隙間から現れた朝日が、眠気をたちまち蒸発させる。

 ぼうっと、寝起きの溶けかけた頭で、海を眺める。

 闇夜を染める、白い光線。青とオレンジのグラデーション。その間に、無数の色を見た。

「んんん…………」

 こんなに眩しいのに、よく寝れるなぁ。

 隣で寝息を立てる美月を見る。

 随分と、早起きをしてしまった。

 純度の高い明け方の空気を、胸いっぱいに吸い込む。東京とは違う、潮の混じった匂いがする。

 きょうは紛れもない晴天。お腹もちゃんと空いている。

 沢山釣って、沢山食べよう。

 そう語りかけるように、眠る美月の頬に張り付いた髪を指で梳いた。




* * *



「良い食いっぷりですなぁ」

「同じ魚でも、味って違うんだね」

「蓮はどれが一番美味しかった?」

「白っぽかったやつ……たぶん、イサキ」

 魚はあまり詳しくなかった。

「お刺身にして食べたいね。醤油って作れないかな?」

「大豆と小麦がいるから難しい、かも」

 真剣に考えてみる。大豆はまだしも、小麦はまず自生していないだろう。漂着物のラベルから、ここが東京からそう離れていない島であることは分かっていた。

「塩焼きばっかりでもったいないなぁ」

「醤油は店で買うしかない」

 だから無理だよ。そう言ったつもりだったけど、なぜか美月の瞳は楽しそうに跳ねた。

「それいいねぇ!」

「えっ」

「もしもいつか、この島を出たらさ。お店で醤油買って、お刺身食べに来ようよ」

「来るって、この島に……?」

 島から出たあとのことなんて、考えたこともなかった。

 まずは多分、警察とかに保護されて。病院で健康診断して。そのあとはまた、元の日常に戻るのだろうか。退屈な日々が永遠のように続く、鬱屈した毎日に。

「この島じゃなくてもいいけどさ!海が綺麗なところ」

 砂浜を、美月が踊るように軽い足取りで歩く。

 その茶色い瞳に映る、眩しいくらいの太陽。それに手を伸ばすように、私も口を開いた。

「そのときは釣り方、教えてくれる?」

「もっちろん!釣竿もう一本作ったら、一緒に釣れるね」

 オレンジへと色を変えた瞳が、ふにゃりと笑う。

 美月はその時もまだ、この不恰好な釣り竿を使うつもりなのだろうか。

 そんなこと、どうでもいいか。

 風に舞う透明な髪を、視線で追いかける。

 居心地がいい。頬を撫でる夏の風が、清涼な空気を送る。美月の描く未来が、力強く、現在の私を引き寄せていた。

「なにしてるの?」

「お城つくってる」

 砂浜の湿った砂をかき集めて、立体物を作る。爪と指の間に砂が挟まったが、気にせず積み上げる。

 砂遊びなんて、いつぶりだろう。思い出せないくらいに久しぶりだ。

「お城かぁ、いいねえ」

 隣に屈んだ美月が、両手でその周りに砂の山を築く。

「なにそれ?」

「んー、壁?お城が流されないように」

 女子高生二人、黙々と真夏の海で砂遊びに興じる。

 こんなことをしていていいのだろうか、という不安もあった。もっと何かに、真剣にならないといけないんじゃないか。

「なんか左右のバランスが悪いな……」

「うわぁ、全然平らにならないんだけど」

「もう少し高さあったほうがいい?」

「旗つけようよ!てっぺんにさ」

 美月が、私の城の頂点に落ちていた枝を刺す。

 城に、見えなくもなくもない。そんな一品の完成だった。

 初めての共同作業。そんな気恥ずかしい言葉が浮かぶ。口に出すか一瞬悩んで、引っ込めた。

「私と蓮の、初めての共同作業だね!」

「……………………。」

「おお、どした?」

 まるで私の心を見透かしたように、茶色の光が私を見る。言おうか。いや、言ったら美月がどんな反応をするか怖いし。だけど、今の私の胸にあるのは他人への恐怖だけじゃなくって。

 そういうのは少しずつ、外に出さないといけないんじゃないかと。

「…………私も、同じこと思ってたから。」

 そう思ったんだ。



 食べて動いたら、眠くなった。

 竹木美月という人間は、どこまでも本能に忠実らしい。木陰ですやすやと眠るその顔を見る。どういうわけか、その下には私の太ももがあった。

 美月の本能に従うと、こうなるらしい。

「よく人の膝の上で寝れるな」

 昼間に見る美月の寝顔は、夜とは違って見える。正気があるというか、瑞々しいエネルギーが行き渡って、つるつるとしている。夜はもっと、艶やかでしっとりとしていて……そこまで考えて、思考を止める。

 意識すると、頭の変なところに血が巡って、また奇声をあげそうになる。

 そうしている間にも、太ももの数少ない神経が美月の重みを意識していた。やめろ、やめろ。助けを求めるように、遠くを見る。

 昨日の大雨が嘘だったかのような、透き通った海。一日ぶりなのに、懐かしさすら芽生えていた。

 美月が綺麗と言った海。私たちを、二人だけに閉ざした海。

 光の散らばる波間に、自分の中にある、浮き上がっては沈んでいくものを見定める。

 砂の城は、すでに半分くらいが波に攫われていた。

 この時間が、少しでも長く続いてほしい。

 見えなかった感情が、溢れるように押し寄せる。それはさながら、波のようで。

 もう、戸惑いもなく自覚をしていた。

 私は美月とずっと一緒にいたい。

 初めて、私も海が綺麗だと感じたから。



* * *



 漂着物の集まる浜辺に来たのは、二日ぶりだった。

「今日も釣竿探し?」

「んーん。それもあるけど、木の板とか、発泡スチロールとか。ボート作りたいから。」

 美月とこの島を無事に脱出する。それがゴールであることに変わりはなかった。

 美月とずっと一緒にいたいというのは、ずっと二人だけの環境にいたいということではない。周りに沢山の人がいて、人がいれば無数の関係があって、その集合体の社会がある。そんな宇宙の中で、私は美月を中心に回っていたい。太陽と海王星くらいの距離でも。

「蓮の真っ直ぐなところ、好きだなあ」

 漂着物を漁りながら、美月の好きなところを言葉にしてみようと試みる。私の知っている形容詞では取りこぼしてしまいそうで、諦める。

 まずはそれを見つけることを、無人島から脱出したあとの目標にしようか。

「もう少し先の方見てくる。」

 二日ぶりの漂着物は、昨日の雨の影響もあってか見たことのないガラス瓶や、鍋の蓋のようなものも流れ着いていた。

 もしかすると、木材も見つかるかもしれない。

 高まる期待のまま、美月を置いて浜辺を歩く。この辺りは、ミニチュアのマングローブのように背丈の高い草がちらほらと生い茂っていて、満潮になれば膝の下くらいまで、海水に浸るような場所だった。

 流木は落ちているけど、ボートに使うには短い。もう少し丈夫で、形の整った木材はないだろうか。

 数分ほど歩いて、砂浜に不思議な模様があることに気づく。

「なんだろうこれ。波の跡かな」

 波の模様にしては深さがあるし、何より陸地の内部、茂みの方まで続いている。

 何か重たいものを引きずったような跡だ。

 人工的に作られたものだとすれば、脱出の手掛かりになるかもしれない。

 砂浜に引かれた跡を追うように、草を掻き分ける。その先にあったのは、木造の小型ボートだった。

 一瞬、喜びがあったのは確かだった。この数日間、ずっと探していたものだ。このボートがあれば、あとは海流さえ読むことができれば、隣のアノ島まで十分に渡ることができる。

 だけど。私の心には、喜びよりも狼狽が強く出ていた。

 数日間、ずっと散らばって浮いていたいくつかの疑問。それが自然と収束して、一つの形を成していく。

 違ったらいいのに。

 そう願いながら、来た道を引き返す。

 海辺で涼むように立っている姿に、縋るように声をかける。

「美月」

 美月は振り向かない。風を読むように、草の葉を散らせたて。そのまま、どこかへ飛んでいってしまいそうだった。

 誰が被害者なのだろう。

「ねぇ、美月」

 こっちを向いてよ。そんな思いが、砂浜を駆ける私の踵を、強く地面に押しつけた。

「何で、言わなかったのっ」

 あの木造のボートには、間違いなく人の手で動かされた形跡があった。まるで、人の目を避けるように。

 いつ動かしたのだろう。だけど、そんなことはどうでもよかった。誰がそれをやったのかなんて、私と美月しかいないこの無人島では、明白だったから。

「美月っ」

 美月がようやく振り向く。困ったような、泣き出しそうな、そんな表情だった。

「潮の流れは、午後になると岸から離れる方向に変わるから、その流れに乗ればきっと隣の島に着くよ」

「なんで、舟を隠したの……?あれがあれば私たち、もっと早く……」

 この島から出られたのに。そう言いかけて、波音に遮られるように口を閉ざした。

 私が美月に話したくない過去があるように、美月にもきっと、話したくないことがある。それを暴けば、美月は空を飛ぶ羽をもがれたみたいに、どこにもいけなくなるんじゃないか。そんな気がした。

 きっと美月は、この無人島から出たくないと思っている。

「蓮は優しいね」

 この数日間で、美月に近づいたと思っていた。だけどそう思っていたのは、多分私だけで。

「優しくなんてないよ。こういうとき、どうすればいいのか分からないだけで……」

 自分の感情の正体すら、掴めないままだった。怒っているのか、悲しんでいるのか。

 戸惑う私に、美月は「蓮らしいね」と呟くように笑った。裸足のまま、足首まで波に浸ける。その横顔は、昼に見る月のように薄らいだもので、消えないようにと、縋るように手を取った。

「……美月、一緒に帰ろう?」

 答えはなかった。

 美月が、視線を水平線の向こうに戻す。その先には、何が見えているのだろうか。その瞳を覗いても、私の中に描写されるものは何もなくって。多分それは、私の中に材料がないから。今まで人と関わることを避けてばかりいた、ツケだった。

 美月の頬を伝うものに気がついて、私も波の向こうを見つめる。

 沈みゆく太陽が、隣の島の稜線を、燃えるように太く描き出す。流れる雲は細く長く伸びていて、明暗のコントラストを巧妙に浮かびあがらせた。

 同じ夕陽を見ている。それでも、きっと美月には違うものが見えているのだろう。

 夏の風が、汗ばんだ二人のすぐそばを、通り抜けていく。

 手のひらに感じる、美月のぬくもり。

 静かに涙を落とす友達にかける言葉を、私は持ち合わせていなかった。



* * *



 そのあとの美月は、不自然なくらいに自然な竹木美月に戻っていた。

 美月はどうしてあのボートを隠していたのか。

 その疑問は、美月が私を助けようと海に飛び込んだ理由にも、繋がるものがある気がした。

 歪な形の飴玉を転がすように、重たい不快感が頭を揺らす。

 漲るものはなく、思考はまとまらない。絵を描く気にもならず、美月の横に寝転がる。

「……ごめんね、変なことして」

 焚き火と星空だけが照らす、薄暗い洞窟。美月が、ぽつりと呟いた。

「美月は、帰りたくないの?」

 すぐに返事はなく、寝てしまったのだろうかと隣の暗闇を見る。美月は目を開けたまま。洞窟の天井をじっと見つめていた。

「わたし、妹がいるんだよね」

「うん」

 昨日お風呂で言っていた妹だ。私の知る、数少ない美月の情報でもある。

「去年できたっていうか、なんというか」

「まだ1歳ってこと?」

「いやぁそれが16歳なもので」

 私たちと、1歳しか変わらない。つまり、連れてきた子どもというわけか。新しい父親か、母親が。

「だからどうっていうわけじゃないんだよ。別に、暴力振るわれているわけでもないし……高校生って、半分大人みたいなもんじゃん」

 右に左に、舵を漕ぐように話す美月の声は、何かに行き着くのを、嫌がっているようだった。

 そして何度か言葉を飲み込んで、諦めたようにぽつりと、美月が溢す。

「……ごめんね、蓮は帰りたがってたのに。」

 小刻みに頭を振る。美月には見えているか怪しかったけど。気にしてないと言えば嘘になるし、許すというのも違うような気がした。

 美月の謝る声は、消えてなくなりたいと言っているようにも聞こえて。

 私には、何ができるのだろう。

 暴発して勝手に坂道を転げ落ちていく私を、美月はいつも容易く掬い上げてくれた。どうにかなるよと、笑って。

 だけど私には、せいぜい一緒に沈むことしかできないのだ。推進力を生み出せるものは、何も身につけていないのである。

 こんな私が美月の手を取って、どこに連れて行けるというのか。ずっと部屋に閉じこもって、空想の世界にばかり居場所を求めていた私が。

 近いのに、美月が遠い。一人で甲板に座り込んでいた時よりも、世界はずっと息苦しかった。

 一度、知ってしまったせいだ。美月と一緒に星を眺めたときの共鳴するような歓喜や、膝に乗せた温もりの重みを。世界がこんなにも鮮やかなものに変わることを。頭の奥では、あの瞬間の感動が今もぴかぴかと光っている。

 それなのに、私は何もできない。

 伸ばした手は届くことなく、冷んやりとした洞窟の床に落ちた。

 瞼を閉じる。浮かぶのは、鮮明な横顔。美しい月と書いて美月。その本当の姿を追いかける。

 追いつけるだろうか。

 答えは見えないまま、メモ帳に何かを描く気も起きず、意識は白濁とした夜の霧に飲み込まれていった。

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