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君は群青  作者: 猫ざらし
2/6

2日目 焦燥とネクタイ

「きょうやることを決めよう。」

「おお〜」

 美月の、おどけたような合いの手が入る。

 私と美月が無人島に漂流して、2日目。

 きょうも空は、不純物のない快晴である。

「まずは、漂流物の散策。ボートになりそうなものとか、ビニールシートとか、使えそうな道具を探そう。」

「いいねぇ。お風呂もつくろうよ。無人島と言ったらやっぱり、ドラム缶のやつ!」

 美月の調子は、相変わらずだ。むしろ、昨日よりも一層奔放になっているような気もする。無人島に来ると活性化する細胞を持った、特殊体質なのだろうか。

 そのうち羽を広げて、どこかへ飛んでいってしまいそうだ。

「散策が終わったら食料集めだよ。食べられる植物があることは分かったけど、余裕がある状況じゃない。」

「ええー」

 不満そうな声を漏らすが、不快さはない。そんな絶妙な加減だった。

 早速浜辺を歩き始めて、美月が呟く。

「日差し強いねぇ」

 美月の一言に、顔が強張る。何気ない一言を、つい深読みしてしまう。

 女子高生なのに日焼け気にしないの、とか。日に当たりたくないから、松門さんが勝手にやってくれたらいいのに、とか。

 ため息をつかれるんじゃないか。勝手に不安になって、息を詰める。詰まった空気で、喘ぐように答えた。

「日焼けするね……」

 不安だから、当たり障りのないことしか言えない。雑談は苦手だった。求められている言葉がわからないから。

「ね!夏休みって感じ。海も綺麗だし、いつか泳ぎたいね!」

 その闊達さに、私という人間に対する、後ろめたいものを感じた。

 無人島に漂流して、海を綺麗だなんて言える人間は、そういないだろう。島を囲む海は、道を阻む敵なのだから。だけどそんなこと、美月には何も及ばない。届かない。

 明日世界が終わるとしても、竹木美月という人間にとっては、取るに足らないことなのかもしれない。

「これ、日傘になりそうじゃない?」

「へ?」

 美月の手には、いつの間にか人がすっぽり入れるほどの大きな葉が握られていた。

「相合傘しちゃう?」

 大きな葉の下で、美月がいたずらっぽくこちらを見る。柔らかい茶色の瞳が、跳ねるように笑う。

「いや、私は、べつに……」

 夏の日差しで火照った頬の熱が、頭の方にまで充満する。

「ほらほら、シミ対策」

 拒否権なんて、あるはずもなかった。



 * * *


 

 きょうの漂着物収集の成果は、まずまずだった。

 まずは、漁で使う網の一部。破れているけど、ほぐせば丈夫な糸になる。

 それと、壊れたルアー。このままでは使えないが、分解すれば針ができる。

 丈夫そうな木の枝の先に、網から作った糸をくくりつける。その先に針と、餌の貝をつければ、釣り道具の完成だ。

「おお、今夜は魚ですか。」

「釣れるかわからないけど、貝と野草だけじゃ飽きるし。」

 一番探していた、ボートの材料になりそうな発泡スチロールや木の板は見つからなかった。

 浜辺であげている狼煙に気づいて、アノ島から救援が来てくれるような気配はない。

 そうなれば、たまたま近くを通りかかった漁船に気づいて貰うしかないわけだけど、果たしてそれが数日後なのか、数ヶ月後なのか。見通しは立たないままだった。

 長期戦になるのであれば、なるべく色んな工夫をしておきたい。

「蓮は釣りしたことある?」

「ない。だけど、餌と針さえあれば理論上はできるはず。垂らすだけだし。」

「蓮って何でもぽんぽんできそうだね。」

 軽やかな美月の声は、私のようなひねくれ者の心にも、すんなりと落ちる。

 美月からみた私は、どんな風に映っているんだろうか。明るい部屋から暗い廊下が見えないように、想像がつかなかった。

 私から見た美月は……やっぱり、謎だらけだ。

「できた。」

 完成した釣り竿は、イメージしていたものよりも、やや不恰好で。短い竿と、長すぎる糸。リールなんて便利なものは無かったので、余った糸は竿に巻きつけるしかない。ますます変な姿になった。

「なかなかセンスありますなぁ」

「洞窟のそばの岩場で釣ろう。餌になる貝もあるし。」

「それじゃあ私は貝集めるね。」

 美月が「任せなさい」と、ブラウスの袖をめくって力こぶを作って見せる。運動とは無縁そうな女子高生の、白い腕がのぞいた。

 なんだかんだ、私は美月と上手くやれている。

 時折戸惑いはあるけれど、その関係は思いのほか良好だ。

 そう思っていた。



* * *

 


 全然釣れない。さっぱり釣れない。

 何時間経っただろうか。午前中から釣り始めたはずなのに、太陽は既に頭上を通り過ぎている。

 焦らすように、お腹が鳴った。

 どうしよう。何か言った方がいいだろうか。場所を変えるとか、今日は諦めようとか。

 適切な言葉を探して、思考を巡らせる。そうしている間にも時間が流れて。

「釣れないねぇ。」

 結局、美月が私の心を代弁してくれた。

「なんで釣れないんだろう。」

 釣りなんて、餌をくくった針を垂らせば、あとは運。スキルの絡む要素なんてない。海から魚が消えたとしか思えない。

「漫画だと簡単に釣れるのに……」

「現実は厳しいですなぁ」

 おじいさんのような口調だった。

「私もやってみていい?」

「うん。」

 提案を承諾し、美月に役割を移す。

 美月が持つと、釣竿はますます玩具のように見えた。小学生の工作の授業で作った、紙製のロボットを思い出す。

 工作の授業、好きだったな。思えばあの頃から、一人で過ごす時間に没頭しがちな子どもだった。

「釣りのコツはねぇ、左手は添えるだけ」

「それはバスケでしょ」

 美月も漫画とか読むんだ。

「いやぁ無人島生活もなかなか大変だねぇ。大変なのは蓮ばっかりだけど。」

「……そんなことないよ。美月にも色々、手伝って貰ってるし……結構、助かってるときも、あるし」

 本心ではあった。本当は、最後にお礼の言葉もつけたかったけど、私にはまだ早い。

「ふふん。私のお陰ってワケか。」

 美月が、自信を茶化したように、無邪気に笑った。

 そのときだった。

「のおおぅぅおおおお!!!」

 突然、釣竿を垂らしていた美月が奇声をあげる。

 驚いて、隣の私も声をあげた。

「おおっ!?」

 久しぶりに出した大声。そんなことに構う余裕もなく、水飛沫が散った。

 少し汗ばんだ横顔。ゆるく開かれた襟元。美月の瞳には、傾きかけた太陽が映っていた。混じり気のない笑顔と共に、三次関数で習ったような曲線が、螺旋を描く。

「獲ったどー!!!」

 勢いよく引き上げられた釣り糸の先には、手のひらほどの魚が食いついていた。

「これ食べれるかな?」

「う、うん。多分大丈夫だと思う。」

 久しぶりに、美月以外の動く生き物を見た気がする。興奮する私を他所に、美月が慣れた手つきで針から魚を外す。

「よしよし。もう一匹釣っちゃうぞ〜」

 しゅるしゅると軽妙な音を立てて、糸が再び海に吸い込まれていく。

「釣り、やったことあるの?」

「ちっちゃい頃ね。お父さんが海釣りに連れて行ってくれたんだ。」

 最初にそう言ってくれればよかったのに。いや、悪いのは私だ。何も聞かずに、美月には何もできないって、勝手に決めつけた。

 そんな私を、美月はどんな気持ちで見ていたのだろうか。

「そのときは何にも釣れなかったんだけどね。やっぱり島ってすごいねぇ。」

 何も思うところがないように、美月は穏やかに微笑んだまま。

 自分というものの存在意義が、澱んでいく。足の裏が湿ったような不快感が込み上げた。美月に対してではない。自分の愚鈍さに対してだ。

 ざわざわと、心に白波が立つ。

「次はもっとおっきいの釣りたいね。カンパチとかさ!釣りたてって絶対美味しいよ。」

 美月の伸びやかな声が、砂を掬うように、さらさらと流れていく。

「カンパチなんて、釣れても捌けないよ。」

 湿り気を帯びて重さを増してばかりの私とは、正反対だった。美月の声は、いつも軽くて潔い。

「蓮はさ、お寿司なにが好き?」

「……イクラ。」

「イクラかぁ。イクラ釣れるかなぁ。」

 楽しそうに、美月の金平糖みたいな瞳が細まる。

 美月なら、イクラでも玉子でも、楽々と釣りあげてしまうのだろう。そんな気がした。



* * * 


  

 結局、美月の釣った魚は三匹になった。スーパーで見るタイやアジとは見た目が違うけれど。きっと食べられるだろう。

 茶髪の女子高生が木の枝に刺した魚を持って歩く光景は、なかなかに退廃的なものだった。私たちは無人島に漂流したのだなと、今更なことを思う。美月の独特な間合いが、私にも伝播したのだろうか。

「あれ、何の果物だろう。」

 美月の視線を追う。四メートルくらいの高さの木に、黄緑色の木の実が二つ、なっていた。

「わからない。採ってみよう。」

 足を木の幹にかける。高さはあるけど、枝が多いから登れるだろう。

「え、登るの!?危ないよ!」

「大丈夫。」

「魚だってあるし、また明日にしよう?」

「このくらいの高さ、なんてことない。」

 頭上の枝に、手を伸ばす。

 美月と私は、何が違うのだろう。見た目、性格。いや、きっともっと根本的な何かが違うのだ。

 すぐに決めつけて、卑屈になって、閉じこもろうとする。例え小学生の頃の図工の時間に巻き戻ったとしても、私と美月は交わらない。成り代われない。

 指が枝のささくれに引っ掻かれ、痛みが走る。それでも、次の枝へと腕を伸ばす。

 私は、憧れているのだろうか。例え世界が終わるとしても、何でもないことのように笑えてしまう美月に。どんなものも、軽やかに飛び越えてしまう彼女の清涼さに。

 目の奥が、ずきんずきんと圧迫される。痛みを持つ。何を泣いているんだ。ここは無人島なんだから、そんなことを考えている場合じゃないのに。

 上へ上へ。枝を蹴る。

 このままどこまでも、高く登れたらいい。

 遮蔽物が少なくなって、西陽が容赦なく押し寄せる。オレンジの光に晒されながら、思いを巡らせる。

 私も、あんな風に生きられたらいいのに。そのくらい、浴びすぎてしまった。この二日間で、竹木美月という人間を。日常に最適化され、きちんと制御されていたはずの脳が、今は見たこともないものを求めていた。

 私は、竹木美月にどうしようもなく憧れている。同時に、その存在に惹きつけられている。

 実感にも満たない衝動。生まれて初めての感情が、色濃く、体内を循環する。

 人がいなければ、叫びたいくらいだった。なぜ無人島なのに人がいるんだ。なぜこんな島にまで来たのに、私を一人にしてくれないんだ。

 ちかちかと、光が明滅する。西陽に目が眩んだ。

「うわ!?」

 ぼきりと音を立てて、枝を踏み外した。フラッシュバックする、手の平から手すりが離れていく感覚。

 木の上で禅問答なんかしているからだ。

「蓮!!!」

 どうして私は、いつもこうなんだ。

 木から滑り落ちた私は、どどんという鈍い音を立てて、地面に尻もちをついた。

「大丈夫!?足から血がでてる!」

 見ると、枝で擦り切れた足首から、鮮血が垂れていた。

「ちょっと切っただけだから、大丈夫。」

「触っちゃだめ!とにかく、急いで傷口水で洗うよ。立てる?」

 美月の焦っている顔を、初めて見た気がした。何も答えないとおんぶでもされそうな勢いだったので、慌てて立ち上がる。

「なんであんな無茶したの!?」

「…………ごめん。」

 怒った顔も、初めて見た気がする。

 確かに、当たりどころが悪ければ大事になっていたかもしれないと反省する。

 焦っていたのだと思う。自分が何の役にも立っていないような気がして。軸をなくした地球みたいに、思考は今もふらついていた。

「ほら、足出して。」

 言われるがまま足を出すと、美月がペットボトルを傾ける。蒸留装置の生成した水が、傷口をなぞった。痛みはなかった。

「次危ないことしたら、しばらく口聞かないから。」

「…………うん。」

 土の汚れを洗い流すと、美月は制服のネクタイを解いて、躊躇いもせず傷の上に巻きつける。

「汚れちゃうよっ!?」

「動かないで。」

 今の美月には、有無を言わせない厳しさがあった。私はされるまま、押し黙るしかなかった。

「できた。」

 括られた美月のネクタイは、包帯のようにしっかりと巻き付いている。

 弁明の余地もない醜態だった。きょう一日、美月に迷惑しかかけていないんじゃないか。

 どう埋め合わせをすればいいのだろう。色んな思いが交錯して、やっぱり言葉が出ない。情けない。

「うんうん、完璧完璧。」

 美月が、自信たっぷりに口を緩ませる。

 私が思い悩んでいる間に、美月の激昂は過ぎ去っていたらしい。

「魚焼こっか。せっかく釣ったし。」

 頭に置かれた美月の手に、私の視界が上下に揺れる。

 頭を撫でられている。気づいて見上げると、美月の手は離れていった。

 あまり気にするなと、そう言われたような気がした。



* * *



 なぜ、美月はここまでしてくれるのだろうか。

 そもそも、美月はどうして海に落ちた私を助けようと、海に飛び込んでくれたのだろうか。

 ひとり、焚き火の揺れる光を見つめながら、命題に向き合う。

 足首には、今も美月のネクタイが巻き付いている。血が流れ出ている様子はなかった。

 終始、迷惑をかけてばかりの一日だった。だけど、美月が怒っていたのは多分そういうことじゃない。

 考えてもわからないことばかりが、散漫していた。

「……美月」

 起こさないように、小声で名前を呼んでみる。規則正しい寝息が乱れる様子はない。

 洞窟の外に目を向ける。昨日と変わらない、濃淡のある闇が広がっていた。

 途端に感じる閉塞に、きょう何回目かのため息をつく。

 適用しようとして、空振りばかりする。そんな自分が嫌になる。嫌になるから、誰とも関わりたくなかったのに。

「漫画読みたいな。」

 家族のことを思い出す。心配しているだろうか。しているだろう。生きているか死んでいるのかも分からないのだから。女子高生二人、安否不明。大ニュースになっていてもおかしくない。

 それくらい、事態は深刻なはずなのに。いつの間にか美月のペースに巻き込まれて、「なんとかなるんじゃないか」って。私までそんな気持ちになっている。

 美月の寝顔をこっそり覗く。悪いことをしているようで気が引けるけど、昼間はあまり直視できないから、しょうがない。そう心の中で釈明する。

 美月は、どんな子どもだったのだろう。

 考えて、はっとする。

 きょう一日、美月のことばっかり考えていないか、私。

 二人しかいない島にいるんだから、しょうがないか。

「明日は、何をしよう。」

 ポケットからメモ帳を取り出して、二ページ目をめくる。

 無人島生活。もう少し、生きるために必死になるものだと思っていた。だけど現実は、美月に振り回されて、順応することを拒んでいた自分の繊細さを突きつけられた。

 教室にいるときよりも、ずっと苦しい。だけど、目にする全部が、鮮やかに胸を打つ。体の中で停留していたものが、押し流されていく。まるで、美月に引き込まれていくようだった。

 メモ帳の罫線の上を、ボールペンが泳ぐ。

 斜線を重ねて、戸惑いを断ち切っていく。一日が終わって尚も波打つ鼓動に、落ち着けと命じる。

 首が痛くなるまで絵を描いて、ようやくペンを置く。

「何やってるんだろう、私……」

 ページを破って、隠すようにポケットにしまった。

 描いたのは、横顔。

 釣りをしていたときの、美月だった。

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