二刀流令嬢 ~ヒロインな私、悪役令嬢な私、両方愛して~
マリア=エンジェルは公爵家の令嬢である。
幼いころからその才覚は群を抜いており、生まれて数時間後には言葉を発しただとか、三歳で歴史書を諳んじただとか、そんなあり得ないような噂が信憑性を持って独り歩きするほどの神童であった。
天使のように可愛らしい子どもだった彼女が成長すると、可愛さはそのままに輝くような美しさまで手に入れてゆく。
彼女の名声は天井知らずに上昇し、成人を迎える頃には王太子アリオスの婚約者に内定。
誰しもが認め祝福する婚約であり、周囲に異を唱える者は見当たらなかった。
ただ一人、本人を除いては。
「本気かマリア、王太子の婚約者の何が不満なんだ?」
マリアの父、エンジェル公爵が心底困惑した様子で娘を見つめる。
「勘違いなさらないでくださいお父様、アリオス様に不満があるわけではないのです」
「そうなのか? ならば何故そんな茨の道を歩くような真似を……」
「誰も歩いたことのない道を歩きたいからです」
その迷いのない真っすぐな瞳。全身からあふれ出るオーラに気圧された公爵はそれ以上何も言えなかった。
マリアは、その沈黙を了承と受け取り部屋を後にする。
「そ、そんな……いくらマリアお嬢様でも無茶です!!」
マリアが生まれた時から乳母として世話をしてきた侍女頭のジルは必死に説得を試みる。
「心配しないで、出来ると思っているからやるのよ」
周囲の反対にもまったく動じることなく、マリアは着々と準備を重ねる。
「マリア……貴女自分がやろうとしていることの意味をわかっているのね?」
「はい、お母様」
「そう……ならば私から言うことはありません。自分の思うように生きなさい」
今夜、王太子アリオスの成人を祝う祝祭が王宮で催され、そのパーティー会場でマリアとの婚約が正式に国中に発表されることになっている。
国内の貴族はもちろん、友好関係にある近隣諸国からも大勢招待されており、大陸中の注目が集まる大イベントだ。
「マリア=エンジェル、君との婚約を破棄する」
婚約発表の会場に、王太子アリオスの透き通るような美声が響き渡る。
「始まったか……」
突然始まった婚約破棄の宣言に会場は騒然とした空気に包まれるが、予想外という反応は見られない。
それはまるで、これから始まる劇を心待ちにするかのような期待と不安が入り混じったような……今夜起こることを決して見逃してはいけない、そんな熱気と興奮に包まれていた。
◇◇◇
『アリオスさま、マリア=エンジェルです』
もちろん彼女のことは紹介される前から知っていた。
王国始まって以来の才女、そして見るものをことごとく魅了せずにはいられない、その名の通り天使のような可憐さも。
成人すれば女神のように美しい女性となるであろうことは間違いない。彼女の噂は王宮の奥まで届いていたのだ。
それでも私は話半分に聞いていた。美女というものは見慣れていたし、基本的に高位貴族の子女は幼いころから優秀な教師がついて学ぶため、同世代のそれよりも優秀なことが多い。
身をもってそのことを知っているからだろうか。正直なところそれほど関心を持ってはいなかった。
だが、彼女を一目見た瞬間、私の考えが間違っていたことに気付かされた。その紅く揺れる瞳から目が離せなくなった。
本当に天使が地上に降りてきたのかもしれない。私が内心本気でそんなことを考えていたからだろうか?
『いやですわアリオスさま、私は普通の人間ですよ』
心を読まれた!? もしや書いてあったのかと思わず触れた顔が信じられないほど熱い。剣の訓練でもここまで鼓動が速く苦しくなったことは無かったのに。
なんのことはない、私はものの一瞬で彼女に恋してしまったのだ。
私はすぐさま行動した。彼女を婚約者にするために。今まで王太子という重責に生まれたことを誇りに思えど喜んだことは一度も無かったが、生まれて初めて心の底から良かったと神に感謝した。
そうして無事マリアを婚約者にすることに成功したのだが、私は想定外の事態に苦しむことになった。
そう……彼女は優秀過ぎたのだ。容姿だけではない、貴族令嬢としての教養や礼儀作法などは当然だが、政治経済、歴史、戦略、外交、それぞれの専門家たちが束になっても敵わない。
おまけに剣を持てば近衛騎士と対等に……いや、あれはプライドを傷つけないように絶妙に手を抜いているのかもしれない。その証拠に鍛錬の後、汗一つかいているのを見たことがないから。
そして特筆すべきはその魔力。
魔法を使えるものは王国全土でも数えるほどしかおらず、基本的に王族やそれに準ずる血族にのみ可能な奇跡とされている。
マリアも公爵家の人間として王家の血を受け継いでいるので、魔法が使えることそのものはなんら不思議ではないのだが、レベルが違う。
宮廷魔法士であれば、一軍と対峙しても容易く打ち破るといわれているが、彼女は十歳の頃には確認されているすべての魔法を使いこなし、新たな魔法すらいくつも生み出している。想像したくはないが、小国であれば、彼女一人で落とせるのではないかと本気でそう思ってしまう。
いや……彼女ならそんな野蛮なことをしなくとも、簡単に味方に引き入れてしまうだろうが。
ようするに全てが規格外、伝説上の人物が隣にいるようなものなのだから、正直自分が彼女の相手に相応しいなどと微塵も思うことが出来ないのだ。
私は彼女に相応しい男になろうと必死に勉強し、努力を重ねたが、その背中は遠のくばかりで一向に縮まる気配すら無い。それどころか、見かねたマリアに教えてもらう始末。
実際にどんな教師に教わるよりも、彼女に教わる方が何倍もわかりやすいのだから困ってしまう。
『マリア、私はお前に相応しくないのではないだろうか……』
プライドがずたずたになり、一度だけそんな弱音を漏らしたことがある。
『……アリオスさま、貴方にしか出来ないことはたくさんあります。そして、貴方以上に素晴らしい殿方を私は知りません』
私は諦めることにした。
努力することを、ではない。彼女に追いつこう追い抜こうとするのを諦めたのだ。
昨日よりは今日、今日よりは明日。比較すべきは己自身であるべき。私が完璧な人間ではないように、彼女も万能な神ではないのだ。私の立場で、私が出来ることで支えればいい。
私は彼女が優秀だから愛しているわけではないように、彼女もまたそうなのだと言ってくれたのだと思っている。
もちろんそう思ってはいても、そう簡単に割り切れるものではない。
だから彼女が相談してくれた時は嬉しかった。私にも力になれることがある。その事実がたまらなく嬉しかったのだ。たとえどんなことであろうとも、全力で協力しようと心の中で誓った。
『え……? 悪役令嬢?』
彼女の相談は、悪役令嬢になりたいというものだった。聞けば巷で流行している物語のヒロイン……ではなく、そのヒロインを貶めて婚約者を奪おうとする役柄らしい。
なんでそんな……とは思わなくもなかったが、考えてみれば彼女はこれ以上非の打ちどころがないほどの正統派ヒロインだ。逆立ちしても成れないであろう役柄に憧れを持つのはなんとなくわかる。
私だって出来るものなら王子役なんかじゃなくて、奔放な冒険者とか吟遊詩人、怪盗なんかをやってみたいと密かに思っているのだ。
なによりそれが彼女の願いであるならば、全力で叶えてあげたい。そしてそれが出来るのは、彼女の婚約者である私だけなのだから。
『わかった。私にできることなら何でも協力する』
『アリオスさま~、聞いてください~。またマリア様に意地悪されたのです~』
『あ、ああ……そうか、それは大変だったな』
その日から黒い仮面を付けたマリア……いや、男爵令嬢のリリスが人目もはばからず擦り寄ってくるようになった。
『アリオスさまがお可哀そうです。私なら困らせたりしませんのに……』
私はどうすればいいんだ? 協力するとは言ったものの、正直困惑するしかない。
どこからどう見てもマリアなのだが、本人は変装しているつもりのようだから、合わせるしかない。しかも普段とは違うマリア……いや、リリスの可愛さは異常だ。
『本当に可愛いな、リリスは』
『本当ですか~? 嬉しいです~!!』
いかん……ノリノリでつい。どちらも本人なのに何とも言えない罪悪感が……。
そんな感じでマリアとリリスと過ごす日々が続いた。
リリスによると、マリアのいじめや嫌がらせはエスカレートする一方で、先日などは階段から突き落とされそうになったらしい。一応マリアに確認したが、そんなことはしていないと否定された。
『アリオスさま……いよいよ婚約発表のパーティーですね。マリアさまじゃなくて私を選んでくださいますよね?』
涙ながらに抱き着いてくるリリスがこれ以上ないほどに魅力的に見える。マリアの本気は恐ろしい。
『わかっているさ。マリアとの婚約は破棄する。そして君を正式な婚約者として迎えるよ』
マリアはとうとうリリスの大切にしていた形見の指輪を盗みだしたらしい。明らかにやり過ぎだ。本当ならだけれども。
ここまで来た以上、今更止めるわけにはいかない。婚約破棄イベント無くして悪役令嬢は成り立たないのだから。
当然関係各所に根回しはしている。国内はともかく諸外国への徹底周知は大変というよりも恥ずかしかったが、マリアが事前に手を回していたのか、驚くほどスムーズに受け入れられた。むしろ頑張ってくださいとエールまで送られて恐縮してしまったほどだ。
こうして着々と準備は進み、運命の婚約披露パーティーが始まったのだ。
◇◇◇
「マリア=エンジェル、君との婚約を破棄する」
「まあ……何という事でしょう。アリオス様、理由を聞かせていただいても?」
突然の婚約破棄宣言にも動じることなく、マリアは当然のようにアリオスにたずねる。
「……理由か。自分の心に聞いてみるがいい」
渋面を保ったままアリオスは冷たく言い放つ。
「そのようなことを仰られても何のことかわかりかねます」
「とぼけるな、お前がいじめや嫌がらせをしていたことはわかっているんだぞ!!」
「私がいじめや嫌がらせを? 何かの間違いでは?」
会場に緊張感が走る。いきなり山場が来る、この後男爵令嬢のリリスが登場するはずだが、現時点でアリオスとマリアの間にはそれなりの距離が空いている。
一体どうやって? 堂々と歩いて移動するのか、それとも走って移動するのだろうか?
歩くのも相当な勇気と胆力が要求されるが、走った場合、呼吸が乱れて台詞を発することが出来ない可能性がある。観客の視線がマリアに注がれた瞬間――――
ガシャーン
突然何かが割れたような音が会場に響き渡り、全員の視線が音の方向へ誘導される。
「間違いありませんわ、私の大切な形見の指輪をマリアさまが……」
いつの間にか男爵令嬢のリリスが、悲愴感漂う表情を浮かべながら王太子アリオスにしなだれかかる。
「……見事だマリア」
アリオスの父で現国王アルデバランがたくわえた顎髭を撫でつつ回想する。
『なに? そのようなことは不可能だ』
アリオスとマリアの話はあまりに現実離れしていた。
『陛下、おそれながら私なら十分可能です』
たしかに稀代の天才であるマリアならば可能なのか……? いやしかし、
『仮に出来るとしても、わざわざ大勢の国賓の前でそのようなリスクをとることに何の意味がある?』
『圧倒的な力を見せつけることで潜在的な叛意の芽を予め潰しておくのです』
あまりの勢いに承諾したものの、正直半信半疑であったが……
いやはや何という……音で観衆の目を逸らせたあの一瞬の間にマリアは転移魔法を使いアリオスのところへ移動したのだな。実際に使われたところは初めて見るが、とんでもない魔法を開発したものだ。
見るものが見ればわかる。それがどういう意味を持っているのかを。これは王国も安泰だな。
「それだけではないですぞ、陛下」
アルデバランの脇に控えていた宰相で宮廷魔法士であるカルスは驚きを隠さない。
転移魔法ばかりに目を奪われがちだが、マリアがいるかのように同時に行使された幻覚魔法の方がある意味で難易度が高い。魔法は通常複数同時には発動できない。それを難なくやりとげ涼しい顔をしているマリアが異常なのだ。まさに天才、底知れぬ才能にカルスは密かに身震いする。
だが……問題は残っている。
姿は幻覚によって見せることは出来ても、幻覚によって見せられている幻影は喋ることが出来ないからだ。
「見損なったぞマリア、君がそんなことをする人間だとは心底がっかりしたよ」
「誤解ですわ殿下、一体何の証拠があってそんなことを……」
幻影が喋っただと……!? カルスの顎が危うく床まで落ちそうになる。
そ、そうか……転移と幻覚魔法を入れ替えつつ同時に行使しているのか……すごすぎる。
「君がしているその指輪が証拠だ。それは以前リリアから見せてもらった形見の指輪と同じデザインだ」
「ち、違います。これはエンジェル家に代々伝わる家宝の指輪、陛下もご存じのはず」
指輪を見せるように高く掲げるマリア。
「うむ、その通りだ。アリオス、あの指輪は間違いなくエンジェル家のもの」
「な……!? どういうことだ……リリス、あの指輪は君のものではなかったのか!?」
「あ……あははははは!! そうよ、あの指輪はマリアのもので間違いない」
「リリス!? 私を騙したのか?」
「アリオスさま!! リリスから離れてえええっ!!」
マリアの叫びに反射的にその場を飛びのくアリオス。
ジュウウウウ……
アリオスが立っていた場所に火柱が上がり床が焦げ付く。
「あら、残念……せっかく魂をいただこうと思ったのに……」
リリスが妖艶な笑みを浮かべる。
「き、君は……一体、目的は何だ?」
「私はマリアの暗黒面……つまりもう一人のマリアよ。目的? そんなの決まってるじゃない、この世界を滅ぼすことよ」
「で、伝説は真であったのか……エンジェル家は原初の闇をその身に取り込むことで世界を救った聖女の末裔だと云われてきたが……」
大司教が震える手で顔を覆い嘆く。原初の闇が解き放たれるようなことがあれば世界は再び混沌に沈むことになる。
高らかに笑うリリスの魔力が膨れ上がってゆく。ビリビリと大気を震わせるほどのプレッシャーの中、アリオスは腰の剣に手をかける。
「あれえ? 私を斬れるの? だって私はマリアそのものなんだよ」
愉快そうにケタケタ笑うリリス。斬れるものなら斬ってみろと言わんばかりにアリオスにしなだれかかる。
「……そうだな、私には君を斬ることはできない」
カシャーン
手にかけた剣を投げ捨てるアリオス。
「……どういうつもり?」
アリオスの行動に目を見開くリリス。
「最初から知っていたさ、リリス、君がマリアだってことはね」
「な……だったらなんで……」
一瞬動揺した様子を見せるリリスを抱きしめるアリオス。
「リリス……魂が欲しいならくれてやる。とっくに私は魂の虜なんだ。たとえどんな君でも、私は愛している」
「ぐっ!? や、ヤメロ……き、綺麗ごとなど……ぐわあああ!?」
アリオスの真っすぐな想いに撃たれたのか苦しみだすリリス。
「今しかないわね……私の闇は私自身が晴らすわ」
「マリア!?」
眩いばかりに輝く聖なる光、豪華なシャンデリアも、真っ赤なビロードのカーテンも真っ白な光に飲み込まれて色を失う。
マリアもまたアリオスの想いに覚醒したのだろうか。
「せ、聖女様……」
誰かの口からこぼれ出る言葉。言葉に出さなくとも、想いは皆同じだったに違いない。
「リリス……ごめんなさい……聖なる光よ闇を照らせ、闇よ、闇よ、聞け、汝は夜に、安らぎの中へ、夜明けを待つ希望こそ其方の真の姿なり、目覚めよ、そして眠れ……アルティメット・シャイニング・ホーリーブレイク!!!」
王宮を飲み込みそうな光の奔流、周囲はまるで真昼のように明るく照らされる。
「……あはは、失敗しちゃった……ごめんねアリオス……愛してるわ……」
「ッ!? リリス……」
咄嗟に手を伸ばすが、すでにリリスの身体はそこにはいない。虚しく空を掴むアリオス。
「……マリアとお幸せに……私もずっと一緒に……いつも見ているから……」
「リリス……」
光の粉が舞い落ちる中、リリスは消えた。 寂しげな黒い仮面を残して。
「……アリオスさま、ごめんなさい。でもこうするしかなかったの」
いたたまれない表情で俯くマリアを、アリオスは優しく抱きしめる。
「わかってるさマリア。大丈夫、二人まとめて愛してみせる」
「アリオスさま……」
観衆は総立ちで二人を祝う。愛の勝利だと大いに讃える。
タイミングを計ったようにムーディーな音楽が流れ始める。
「マリア、一曲踊ってもらえますか?」
「ええ、喜んで」
◇◇◇
「君の言う通り、婚約パーティーは大成功だったね」
「貴方のおかげですアリオスさま」
目的を達成できて満足そうなマリア。
感動的な演出もさることながら、規格外の魔法、そして伝説の聖女まで生で観ることが出来て国賓も大満足。強力な友好関係を築くことが出来たのは言うまでもない。
「途中からシナリオにない展開になったから実は結構焦ったんだよ?」
「ふふふ、おかげでアリオスさまの本当のお気持ちを知ることが出来て嬉しかったです」
「そんなのマリアならとっくに知っていると思っていたけど……」
「……さあ、どうでしょう?」
くすくすと笑うマリアを眺めながら恥ずかしそうに頭を掻くアリオス。
「ところで、あれは本当の気持ち?」
「あれとは?」
「その……リリスが言っていた……あれ」
顔を真っ赤にして照れるアリオス。
「ああ、愛してるってことですか? もちろん」
「マリアああああ」
「きゃああ、いきなりなんですか」
「あの……もし嫌じゃなかったらなんだけど」
「はい?」
「たまには……リリスにも会いたいなあ……なんて」
「……婚約早々浮気するつもりですか?」
マリアにジト目で見つめられて慌てるアリオス。
「いや、だって、その……」
「あはは、狼狽えちゃって可愛いわね、アリオス」
「り、リリス!!」
「……マリアです」
固まるアリオスに背を向けて肩を震わせるマリア。
存命中二人はいつも仲睦まじく、末永く幸せに暮らしたと後の歴史書には記されている。
歴史上、誰も成し得なかった、ヒロインと悪役令嬢の一人二役。
人々は敬意をこめてこう呼んだ。
『二刀流令嬢』と。