悲恋~男と女のテネシーワルツ~背徳の香り~カチ込み編~
「ねえ…信次さんなんであの人はあたしを抱いてくれなかったのかなぁ……あたし別にこんな
高級マンションに住みたかった訳でもないし…四畳半一間のアパートであの人が隣にいてくれるだけでよかった…それだけで幸せだった……」
あたしがそう言ったのは、あのカラオケバーで明け方近くまで呑み倒し、あの人の買ってくれた4LDKの高級マンションに酔いつぶれた信次さんをお持ち帰りしてしまった、翌日の昼下がりだった。
「……お嬢…勘弁してください……夕べの俺の失態…オヤジの墓前に報告するのは……」
「……安心おしよ信さん…今回の事ぁあたしも同罪だ……あの人に報告できる訳ないじゃない……けど…夕べも言ったでしょ……あたし達はもうヤクザじゃないのよ……信さんは平岩一家から生まれ変わった平岩プロモーションの二代目社長であたしはその愛人兼先代社長夫人兼今は貴方の特設秘書ってとこかしらねぇ……だから…いい?信さん?もし…國龍会があたし達にコナかけてきたって絶対相手にしたらダメよ……」
信次さんがあたしにお持ち帰りされてからの、今現状に至る男と女の情事をあまりに真剣に謝るから、あたしもついつい真剣に彼を宥めてしまったけど、もし彼が、少し中途半端なオヤジの元に育った人間なら、あたしは是が非でも衝動に駆られる彼を逝かせまいと、必死になって止めていたかもしれない。
けれど彼は違う。現役時代は人斬り國龍斎なんてあざなされていた、あの人、初代平岩一家総長にして、四代目新宿國龍会会長の座にまで上り詰めた漢、平岩康介の元育った彼だから、あの人が逝ってしまった時と同じように、彼の衝動を泣いて縋って止めるのは、無粋になるのかなと、寂しく思う部分もあり、自分の嫌な予感の的中率を呪っていたのかもしれない。
それに当時はまだ、暴対法改正前、1985年頃の東京都新宿区四谷界隈。
いかにもといった、昭和時代特有のヤクザファッションに身を包んだヤクザ者は徐々にその姿を消し、一見するとどこかの営業マンかビジネスマンにしか見えない、ビジネススーツに身を包むヤクザ者が増え始め、渡世の世界もまた、団塊の世代を迎えようとしていた。
そしてあの夜の情事から、2カ月後。あたしは彼の子供を身ごもった。
それは奇しくも、康介さんの三回忌法要の日であり、あたしが彼の子供を身ごもった時、新たに夫婦の契りを交わした彼、安西信次さんとふたり、康介さんの墓前に次代の担い手がもうすぐ生まれると、幸せいっぱいの報告をするはずだった。
しかしその望みは叶わず、今、あたしと信次さんは死に装束を意味する、白の着流しに襷に鉢巻き。白鞘の日本刀を携えて、元上部団体である、第五代新宿國龍会本部事務所へとカチ込みの準備をしての墓参となるのだった。
「……お嬢…いいや…麗子…いろいろと不甲斐ない男で済まない……来世でもし逢えたとしたらその時は…きちんとオヤジに夫婦の契りを結んだ事…伝えような……」
彼というよりは、あたしの今の夫である彼、安西信次さんが静かにそう言ったのは、二人して國龍会本部事務所前まで来た時だった。
そして、彼のその言葉を狼煙にして、あたし達二人は持って来た白鞘の日本刀を抜き、鞘だけを捨てると、彼の蹴破った正面玄関から一気に本部事務所内へとなだれ込のだった。
何人もの組員達があたし達二人に襲いかかって来たけど、正直その時のあたしには、怖いという感情は一切無く、彼と一緒に修羅の如く斬り進んで行くのだった。
そして、幾多の組員達を斬り斃して、無傷とはさすがにいかず、体各所に斬り傷だったり刺し傷だったり、はたまた弾痕だったりと手傷は負ったものの、致命傷的な傷は何一つとして負わなかったあたしと彼は、本部事務所ビル最上階に位置する、会長室の扉の前まで善戦していた。
「……お嬢…逝きますぜぇ!!」
会長室の扉の前、静かに気合いを入れる彼、あたしも彼と視線を絡めると、今度はあたしが会長室の扉を蹴破った。
しかしその先にあたし達二人を待ち構えていたのは、幹部組員達の鉛玉のシャワーだった。
体各所に出来た弾痕から、とめどなく流れ落ちる血があたし達二人の体力を徐々に奪っていく。あたしより先に彼等の鉛玉のシャワーに力尽きた信次さんの傍ら、最後の死力を振り絞り立ち上がったあたしは、白鞘の日本刀を片手下段に構え直すと、その体制のまま、五代目新宿國龍会会長、里中弘二の体の中心目がけて渾身の力を込めて突き刺すのだった。
そして彼、里中弘二が絶命した直後、あたしの生命力にも限界の時が来たようで、あたしはふらふらと信次さんの傍に行くと、彼の上に折り重なるように息絶えるのだった。
Fin