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趣味

5月某日。今日は春の暖かで過ごしやすい気温をまるでど忘れしてしまったかのように暑い一日だった。


少し前までは長袖を着ていないと肌寒い日があったというのに、今日は制服の長袖を袖まくりしていてもなんだか蒸し暑く感じてしまう。こうも暑いと運動部にも所属していない俺だが夜な夜なランニングに繰り出そうかという気分になるのは実は季節や気温といった自然環境的要因など微塵も関係なかったりする。


そんな事を考えていると、教室に漂う蒸し暑い空気に乗ってほのかに香る甘い匂いが俺の鼻先をくすぐる。あぁ、今日も来てしまったか……。


「ねぇねぇ、今日はパウンドケーキに挑戦してみたの。いやー、ちょっと失敗しちゃって見た目はあれなんだけどさ、味は美味しいと思うんだよね」


可愛らしいラッピング袋に個包装された黒い塊を手にしているのはここ最近お菓子作りが趣味になりつつある下北さんだ。


下北さんは佐山に告白した翌日以降かなりの頻度でお菓子を作るようになってきた。クオリティーこそまだまだ成長途上で今も手にしているのは火山灰か園芸用の土を固めたものなんじゃないかというレベルだがこうして楽しんでお菓子作りに専念している姿はとても微笑ましい。


しかし、渡す相手が俺と彩加ちゃんしかいないため食べるのは毎回俺たちな訳でたとえ見た目に反して味がどんなに美味しいとしても甘いものに飽きてしまうのが人間だ。そして、そんなものばかり食べている体に気を遣ってランニングでもした方が良いのかなと思ってしまうのである。


「あ、ありがとう……また後で食べるわ」

「私も後で食べるね」


俺と彩加ちゃんは苦笑を浮かべながらそれを受け取った。


「二人とも遠慮しなくていいのにー。私にお菓子作りの楽しさを教えてくれたのは二人なんだから沢山食べて欲しいんだ」


にかっと笑う下北さんを見ると、たとえ家に帰ってからでもしっかり食べてちゃんと感想を伝えてあげようという気分になってしまう。


「みんな集まって何してんの?てか、なんか甘い香りしない?」


生徒会の集まりを終えた健人がくんくんと鼻を動かしながらケーキの匂いにつられて寄って来た。


「これだよ、下北さんが作ってくれたパウンドケーキ」


手にしている黒い塊を見せながら答えた。言わないとこれをケーキだと認識しないかもしれないからな。


「山村も一つ食べる?」

「おっいいの?食べる食べる!」


俺と彩加ちゃんに渡す用以外にもう一つ持ってきていたらしく最後の一つを紙袋から取り出すと健人に手渡した。受け取った健人は見た目など気にする素振りも無く袋を剥くと一口大にちぎり口に放った。


「これ見た目はあれだけどさ中々美味いじゃん!下北って意外とこういう女子っぽいの得意なのな」

「意外は余計なんですけど。素直に褒めれないわけ?」


下北さんは頬を膨らませながら言うもその表情はなんとなく嬉しそうだった。


「まゆかはこの数週間で凄い上達したんだもんね」


咄嗟にフォローを入れた彩加ちゃんが俺に目配せする。確かに俺と彩加ちゃんにしか分からない涙ぐましい努力はこの黒い塊からも見て取れる。というか凄まじい上達と言えるだろう。


「最初の頃を思うと凄い上達ぶりだと思うぞ。これはあれだな料理の才能があるのかもな」

「えっ、二人ともそう思う?よーし!いつかでっかい三段くらいのケーキを作って持って来るよ!」


なんかエンジン掛け過ぎちゃったみたいだ……。ふんっと鼻息を吐き袖を捲って見せる下北さん。いつか本当にそんな日が来そうで若干不安になる。


「そんなに上達してんの?すげーじゃん!」


感心しながらさらにケーキを口に放る健人は食べる口だけでなく喋る口も緩くなってしまったようで


「まぁ、意外ってのはうちの担任みたいなのを言うんだもんな!あれで趣味がお菓子作りとかなら男の一人でもまだ寄ってきそうなのによー」


と言いながらがはがはと笑う。


「や、山村君後ろ、後ろ」


何かに怯えるように震える指で健人の背後を指しながら彩加ちゃんは呟いた。


「えっ後ろ?」


健人と共に俺も振り返る。


「なぁ、山村。私の趣味になにか文句でもあるのか?」


背後を振り返り視線をやや下に向けると可愛らしいサイズ感の女性がいた。


しかしサイズこそ可愛いものの眉間の皺は幾重にも刻まれその目つきは自分よりも遥かに大きい肉食動物と相対しているような気持になってしまうそんな迫力がある。間違いない担任の内海先生だ。


「い、いえ、その、あのこれはですね――」


凄い早口でとにかく身振り手振りを付けなんとか誤魔化そうとするが背後に立たれていたため言い逃れなど今更出来る訳も無い。


「私の趣味はパチンコと競馬だがなにか問題があるか?」

「いえ、全く問題ありません。その己を貫き通す姿勢に我々生徒一同は勇気を与えられています!」

「そうだよなぁ?問題ないよな?ならどうして私に彼氏が出来ないんだ?」


答えは至って簡単、その質問の正解を知らない生徒はもはやこの学校にいないだろう。


しかし答えるものはいない。そんな命知らずはいないからだ。しかし、ついうっかり答えてしまうそんな馬鹿を俺は知っている。例えば友人の山村健人だ。


「何言ってんすか。それは先生の中身が昭和のおっさんだからじゃないですか〜」


答えた直後どすんと重い衝撃音が響いた。


「うぐっ」


健人は腹を抱え膝から崩れ落ちる。そこで近くにいた俺達もようやく理解した。内海先生のえぐるようなボディーブローが打ち込まれたのだと。


「言い忘れていたが私の趣味はもう一つあるんだよ。ボクシングだ」


うわー趣味が全部可愛らしくねぇと全員の顔に出ていたが健人が倒れ込んだ今もはやそれを口にする者はいなかった。


倒れ込む健人を余所に内海先生は俺と彩加ちゃんが持っているケーキについて尋ねた。


「これはパウンドケーキか。柏木が作ったのか?」

「いえ、私では無くてまゆかが作ったんです」

「下北が作ったのか、なかなか可愛らしい趣味だな。これ私も一口もらっていいか?」

「はい、どうぞどうぞ」


下北さんが笑顔で答えると彩加ちゃんは持っていたケーキの袋を剥き先生に差し出す。


「なかなかいけるな!下北は良いお嫁さんになるぞ」


つい先程までとは一変して和やかな会話をしていると足元から弱々しい声が聞こえる。


「……先生は良い嫁さんにならなさそうですけどね」

「ふんっ!山村放課後職員室に来い」


先生の小さく鋭い脚が倒れている健人を刺すように突き追い打ち……いや、止めをさした。


「よーし、授業を始めるぞ」

最後まで読んで頂きありがとうございます!


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