トキメキの予感
そんなことがあった翌日の放課後。私は心底嫌気が差していた。と言うのも、またもや私を待ち伏せしていた王太子にうっかり掴まってしまったのだ。
「なぁ、いいだろう?少し散歩するだけだ…逢引きというほどのものでもない」
その素晴らしい顔面で、熱い瞳で見つめる先が乳でなければ少しは様になったんだろうが、これではナンパ男の安い口説き文句にしか聞こえない。
差し出された手を取ることは未来永劫お断りしたいのだが、相手は腐っても王太子。跳ね除けるわけにもいかず、心の舌打ちが表に出そうになった時だった。
「兄上、ご歓談中失礼いたします」
王太子の手を遮ってくれたのは、駆け付けた第二王子だった。その無表情な顔を見た瞬間、私は何故かひどく安堵してしまった。
「アレク?何の用だ?」
「恐れながら。ダリア嬢に言伝がありまして」
そう言って彼は、不機嫌な王太子との間に割り込むようにして私に体を向けた。
「ダリア嬢、ダンドール教授が資料の整理を頼みたいそうだ。案内するので来てくれるだろうか」
「あ、はい。すぐに参ります。王太子殿下、申し訳ございませんが失礼させて頂きます」
「あぁ、教授の手伝いなら仕方ないな。それだけ君は目を掛けられているのだろう。もう少し一緒にいたかったが、残念だ。また明日会えるのを楽しみにしているよ」
私は笑顔が引き攣るのを必死に堪えながら、深く一礼して第二王子の背中を追った。王太子の姿が見えなくなったところで、第二王子がチラリとこちらを向き目が合う。心の中で彼の声が響いた。
『教授のことは嘘なのでこのまま迂回して馬車まで送る。教授には手を回しておくから、明日以降兄上に詮索されたら適当に答えてくれ』
『ありがとうございます!とても助かりました』
『気にするな。むしろこちらの方が…兄上が迷惑を掛けて申し訳ない』
『そんな、殿下に謝罪されるようなことでは…』
しかし、角を曲がったところで第二王子の視線は逸らされてしまい、心の会話は終わってしまった。少しだけ気まずい中、二つ目の角を曲がった時だった。
「ダメだ。やはりどうしても気になるのだが」
周りに人気が無いことを確認したのか、第二王子は今度はそのまま口に出して小声で呟いた。
「何でしょう?」
「セクハラと言っていたが、そなたは兄上から何かされたのか?」
「え?」
一瞬なんのことか分からず、思案して昨日心の中で王太子のことをクソカスゴミクズセクハラサイテー王太子と呼んでいたことを思い出す。
第二王子の目は真剣で、どうやら私を心配してくれているらしかった。心の声はコントロールしているようだけど、心が繋がっているからだろうか何というか…そういう空気のようなものがはっきりと感じられた。
この第二王子は真面目で厳しい方だけど…どうやらそれだけじゃないらしいと言うのはもう知っている。
「あー、その。何と言いますか。具体的に何かされた訳ではないのです。ただ……」
「ただ?」
口に出すのがどうにも嫌で、私は第二王子の目を見た。
『王太子殿下の目線が』
首を傾げる第二王子。流石の私でもそのまま言うのは憚られる。
『王太子殿下の目線が私ではなく私の……殿下はお心当たりがございませんか?王太子殿下の性癖というか、嗜好というか』
「は?」
そっと手を胸に当てて見上げると、数拍おいて理解してくれたらしい第二王子は私からパッと目を逸らした。
「申し訳ない。私の配慮が足りなかったようだ。嫌な話をさせた」
「いえ。私の方こそ、改めて考えてみれば大したことでは」
「それは違うだろう」
「え?」
「いくら王太子でも、女性の身体をそのような目で見ていい理由にはならない。そなたは不快な思いをしたはずだ」
真摯に言われ、私は感動すら覚えた。本当にこの人は、あの王太子の弟なのだろうか。出来過ぎではないだろうか。何というか、人柄も能力も。
「えっと」
上手く言葉が出てこなくて戸惑う私を、彼は見ないでいてくれた。心の中まで無理に暴こうとしない彼の配慮だと思うと、どうしていいか解らなくなるほど妙な感覚が胸に広がっていく。
確かにとても気持ち悪かったけれど、相手があの王太子なので諦めていた。でも…諦めることと平気なことは同じじゃない。
「これからは私が盾になろう。逃げたい時は私の背に隠れればいい」
真っ直ぐでシンプルな言葉に何故か泣きそうになって、私は小さな声で「はい」とか細く答えた。第二王子はそれ以上追求するつもりはないとでも言うかのように、ただ黙々と私を馬車まで送り届けてくれた。