ドラゴン
「ダリア、その…貴女にお願いしたい事があるの。迷惑だとはわかってるわ。でも、貴女以外に頼れる方がいないの。」
目を潤ませた推しにそんな事を言われて、浮かれないオタクがいるだろうか。
「何だってします!」と勢いづいてリリーローズ様に連れられて来た私は、初めて訪れたコールドスタイン公爵家のだだっ広い屋敷…の裏手にある湖の前で呆然としていた。
祈るようなリリーローズ様とは対照的に、同情の目を私に向けてくる護衛騎士のライ。
「リリーローズ様…これは何でしょう」
前世の記憶、ゲームの中で見た事のあるフォルム…真っ黒な巨体を見上げて、開いた口が塞がらない。
「…王太子殿下の命令で討伐隊が攻撃していましたの。」
プシューっと吐き出された鼻息から煙が立ち上がる。至る所から血を垂れ流したドラゴンが、本能剥き出しの目でこちらを睨んでいた。
ゲームの中でリリーローズ様は、このドラゴンを助けた事で悪女として糾弾されてしまう。そしてこのドラゴンは、リリーローズ様が処刑された事で悪魔に魂を売ったライと共に、ラスボスとしてこの国を滅ぼそうとする。私としては、リリーローズ様にこのドラゴンと関わって欲しくない。なのに…
「あまりにも可哀想で連れて来たのだけれど、私もライも治癒魔術が得意ではなくて」
「ダリア、お願い致しますわ。この子を助けて頂戴。」
今にも泣き出しそうなリリーローズ様と、ズタボロのドラゴン。「元いた場所に返して来てください」とは、口が裂けても言えなかった。
「…ダリア。私はこう見えても中々に忙しい身なのだが。」
恨めしげに私を見下ろすアレク様は、小言を言いながらもこうして駆け付けてくれる本当に便利な…いやいや、優しいお方だ。
「そしてこの状況はいったいどう言う訳なのだろうか。…あまり詳しく聞きたくないのだが。」
包帯ぐるぐる巻きのドラゴンと、王族が来ている事にも気付かず必死に看病するリリーローズ様。そして遠巻きに見ている私とライ。そこに呼び出されたアレク様は、その聡明な頭脳で大凡のことを把握したのか、片手で頭を抱えていた。
「ご覧の通りです。リリーローズ様が傷付いたドラゴンを保護したので治癒の魔術を施したのですが、私の力が足りずあれが精一杯でした。このまま匿っていると色々と面倒な事になりますでしょう?こんな時頼りになるのはアレク様だけなのですもの。お知恵を貸して下さいませ。」
ウルウルと目を潤ませて見上げると、盛大な溜息を吐いたアレク様はジッとドラゴンに目をやった。何やら考えて下さるようだ。お人好しというか情が篤いというか…この人は本当に私に弱い。
「確かに。ドラゴンはその強さ故に恐れられる存在ではあるが、古くはとても神聖な生き物として崇められてきた。ドラゴンが過去に起こした災害の数々も、元を正せば大抵の原因は人間の愚行だ。このようにドラゴンだというだけで傷付け排斥しようというのは間違っている。
しかもそれを行ったのが王宮側の者とは遺憾だ。…という訳で、王族の一員として見過ごす訳にもいかないので手を貸そう。」
王族というのも難儀な生き物で、いちいち御託を並べて理由付けをしないと動けないなんて可哀想だ。けれども前向きに引き受けてくれたアレク様はやはり頼りになる。
「大きな傷は止血できたようだし、多少時間は掛かるが魔力が回復すればドラゴンの能力なら自力で全快できるだろう。問題はその大きさだ。隠すには無理がある。ふむ…封印するのはどうだ?」
「封印!?それは流石に可哀想じゃ…」
「あぁ、封印と言っても色々ある。完璧に封じる訳ではない。器のようなものに肉体と魂を移すと言えばいいだろうか。意識も保ち、ある程度自由に動けるような仕様にするには…できればそうだな、生き物の形を模した人形などが望ましい。ドラゴンの肉体は元々魔力で出来ているから、理屈としては可能だ。人形の中に肉体と魂を凝縮させれば回復も早まるだろうし、隠し所としても申し分ない。一石二鳥だ。」
「問題は術式か…昔読んだ悪魔の封印式を書き換えて物質転換と魔力凝縮を応用すればできない事はない。莫大な魔力が必要だが、これだけの魔力持ちが揃っていれば何とかなるだろう。」
「アレク様、流石です!」
完璧すぎる作戦に尊敬の眼差しを向ける。なんて有能なんだろう。この人に出来ないことはあるのか。ドラゴンが中に入った動く人形を作るだなんて、想像しただけでファンタジックで可愛くてとてもワクワクする。これなら王太子に見つかってリリーローズ様が悪女扱いされる心配もない。
思わずアレク様に抱き着きそうになったが、何とか押し留めた。今、彼とは微妙な関係なのだった。迂闊なことはしない方がいい。
この封印の提案をリリーローズ様に話すと二つ返事で了承してくださった。器の話になると、率先して器にしたいものがあると言って何やら走り去っていった。
リリーローズ様の走るお姿を拝めて本望です。
「………」
「………」
「………」
「どうかしら。とても可愛らしいと思うのだけれど。」
リリーローズ様がソワソワしながら持ってきた物を見て、私とアレク様、そしてライまでもが黙り込んだ。アレク様が無言で私を見る。私は首を横に振った。次にライを見る。ライは目を逸らしてその場の空気と同化した。
「コールドスタイン公爵令嬢。これは何なのだろうか?」
私とライから無言の拒否を受けて観念したのか、アレク様がリリーローズ様へ聞いて下さった。本当に。とてつもなく頼りになるお方だ。
「羽の生えた子豚の剥製ですわ!一目惚れして父に買って頂きましたの。はしたないとは思ったのですけれど、私が父に我が儘を言うのは初めてだったものですから、父も喜んで買って下さいました。ご覧になって、このひしゃげたお鼻。とっても愛嬌がありますでしょう?この羽も、子豚なのに羽が生えてるなんて天使のようでしょう?このアンバランスさがこの子をより一層素敵にしておりますの。あまりにも可愛くて、毎日ベッドの横で寝起きを共にしておりますのよ。」
「…そうか。」
アレク様は様々な言葉を呑み込み、それ以上追求しないことにしたらしい。
「剥製なら人形より生物に近い分馴染みもいいだろうし、丁度いい。まあ、その。少し珍しい動物が動いていると思われるかもしれないが。コールドスタイン公爵家の御令嬢のペットならありだろう。」
お許しを貰えて、リリーローズ様は小躍りしそうな程に喜んだ。その趣味の悪さも含めて推してるんです。そこがいいのです。この子豚の可愛さはさっぱり解らないけれど。全身真っ黒、羽は天使の翼というよりコウモリの皮翼に似ていて不気味。更には顔がとにかく不細工で飛び出た牙が邪悪にしか見えないけれど。あなたが幸せなら私も幸せです。
「まさか動くピンキーちゃんを見られる日が来るなんて!」
感激したように呟くリリーローズ様がもう天使。なにピンキーちゃんて。あの顔の潰れた悪魔みたいな黒豚には不似合いでネーミングセンスまで悪趣味なリリーローズ様、萌えちゃう。エモい。今日のドレスも安定の黒と赤の極悪色、私の最推し女神様!
「…そなたも大変だな。」
アレク様が哀れな目をライに向けると、ライは何故か私を見た。
「…殿下ほどではございません。」
アレク様は再び深い深い溜息を吐いて頷いた。…何だか失礼ね。
アレク様の天才的な魔術と、国内屈指の魔力保持者が4人集まったことによる圧倒的な魔力量で封印は呆気なく成功した。
げほ、と。咳と共に炎を吐き出したピンキーちゃん。
動く羽根の生えた黒子豚(口から炎を吐く)の爆誕である。
尚、剥製の時より目つきが悪い。
「な、な、なんて愛らしいの!?この世のものとは思えないわっっ!」
感激するリリーローズ様。私も同感です。この世のものとは思えない禍々しさ…地獄の使いといった風貌です。




