彼の気持ち
「本日は魔力色と魔術の相互関係について講義する。」
ダンドール教授の代打として、今日の授業はイージャス助教授の担当だった。
カッ、カッ、カッ、と黒板に書き込みながら、まるで暗唱するかのように淡々とイージャス助教授の講義が始まり、クラスメイトが慌ててペンを取る。
「基本的に魔力色と魔術には相互関係が無いと言われているが、中にはいくつか例外がある。
代表的な例で言うと、悪魔と聖女だ。悪魔に魂を売った者の魔力は漆黒に染まり、純白の魔力を持った者は聖女となる。」
聖女、という単語にクラスの視線がチラチラと聖女候補の私に向けられてとてもやりづらい。講義として必要なんでしょうけど、私の立場も考えて欲しいものね。
「しかし、この二つには明確な違いがある。悪魔に魂を売った者は悪魔との契約によりその瞬間から魔力が漆黒に染まるが、聖女の場合は先天性と後天性の2パターンに分けられる。
つまりは生まれ持って純白の魔力を有する場合と、限りなく白に近い魔力から純白へと変異する場合だ。
後者のパターンは長年研究されているが、そのメカニズムは解明されていない。修練により魔力色が変色する、一定の条件が存在する、魔力量の問題等、様々な仮説が立てられているが立証には至っていない。」
ここまでは聖女候補としてよく聞かされた内容なので、聞き流しておく。欠伸を噛み締めていると、ニヤリとほくそ笑んだイージャス助教授と目が合った。
「だが最近の研究で有力視されている仮説の一つに、危機的状況に置かれる事で覚醒するというものがある。」
それは初めて聞く情報だった。ダンドール教授の個人授業でも、そんな話聞いた事はない。悔しいけれど身構えてしまった私に気付いたのか、イージャス助教授の目は更に細くなった。
「これは後天性の魔力覚醒者を元に立てられた仮説であり、生まれつき魔力のない者が後天的に魔力を得る事例において、危機的状況に遭遇した場合の覚醒率が最も高い事から聖女覚醒にも有効ではないかと仮定したものだ。
つまり、聖女候補の命を故意に危険に晒す事で魔力爆発を起こし、無理矢理覚醒させるという説だ。
無論、学術的見解の一例であり、未立証の仮説に過ぎないため実証実験は行われていないが。」
楽しそうにとんでもなく非情な事を言い出す助教授。背筋がゾッとした。
その間にも私の反応がそんなに楽しいのか、ニヤニヤと嫌な視線を向けてくるのが気持ち悪い。
視線を合わせないようにしていると、満足したのか助教授は講義の続きに戻った。
「悪魔の漆黒の魔力は人格を破壊し全ての魔力を闇魔術のみに特化させるのに対して、聖女の純白の魔力は浄化と再生魔術に特化する。そして浄化と再生の魔術は純白魔力保有者のみにしか使用できない。これもまた両者の大きな違いである。
更に漆黒の魔力に対抗できるのは純白の魔力のみであり、悪魔に魂を売った漆黒魔力保有者が現れた場合はその者の魔力が尽きるまで闇魔術による破壊行為が行われるか、純白魔力保有者の出現を待つしかない。故に聖女は…」
その後は聖女候補として散々聞かされてきた内容が延々と続いたけれど、私はそれどころでは無かった。『命を故意に危険に晒す』ですって…?
「ダリア、大丈夫ですの?」
ハッとして顔を上げると、リリーローズ様が私を見ていた。
「あ…講義終わったんですね。」
気付けば昼休み、クラスメイト達は魔術学の教室から次々と退出して行っていた。
「ごめんなさい、ボーッとしてて。ランチに行きましょう。」
お友達となってから、私はこの女神様とランチをよくご一緒するようになった。
せっかくのリリーローズ様とのランチだもの。悩んでるのは損よね。
笑顔になった私を見て、リリーローズ様は何も言わないでいてくれた。
そしてこれもすっかり恒例となった、アレク様との放課後ティータイム。
彼の淹れてくれるお茶は美味しいし、私の好きなお菓子が常備された彼の執務室は私にとって居心地の良すぎる空間だった。
更には本が沢山ある。自由に読んでいいと言われてからは、彼が執務をしている間に同じ空間で読書をするのが日課になっていた。
「ダリア」
読み終えた本を置いたところで、彼の穏やかな声が私を呼ぶ。彼を見ると、何処となく浮かれているようだった。珍しい事もあるものだ。
「どうしました?」
作業をしていた机から立ち上がり私の側に来たアレク様は、後ろから何かを取り出した。
「実はそなたの好きそうな本を見つけたので取り寄せておいた。」
彼が差し出してくれた本を見て、思わず声が上がる。
「わあ!ありがとうございます。ずっと読んでみたかった本です!」
【魔術学と騎士道の融合〜学術的観点と道徳的観点から見る攻防魔術〜】それも初版本!嬉しすぎて飛び跳ねる勢いの私を見て、アレク様も弾かれたような笑顔になる。
「良かった。そなたのその顔が見たかったのだ。イージャス助教授の講義を聞いてから、思い詰めていただろう?」
途端に胸が甘く切なく疼いた。私の喜ぶ顔が見たくて、浮かれていらっしゃったの?それにずっと心配してくれていたなんて。
「アレク様…」
本を私に渡した彼は、私の隣に腰を下ろした。こんな風に寄り添っていてくれる彼の優しさや気配りに絆されてしまう。
「無理に覚醒する必要はない。そなたはそのままでも素晴らしい魔術師だ。」
彼の瞳が私を見る。彼の労りの心が伝わってくるのと同時に、もっと別の甘い何かがそこにはあって。
焦がれるような彼の瞳を見ていると、無意識に呟いていた。
「そんなに…私のことが好きなんですか?」
口に出してからハッとした。いくらなんでも直球過ぎる。どうしよう。
内心焦っている私とは裏腹に、アレク様は静かに微笑んでいた。
「私は自分の気持ちを正しく理解しているつもりだ。」
アレク様の指先、人差し指の背が羽根のように私の頬を滑り落ちて髪の先に絡まる。その一房を名残惜しげに弄んでから、アレク様は手を引いた。
「だが、それを口に出すほど私の立場は軽くない。」
「…アレク様、」
彼の顔からは笑みが消え、真剣な表情で私を見ていた。
「そなたの後ろにはルーツェンベルク辺境伯がいる。仮に私がそなたを望み、そなたも受け入れてくれたとして、世間に見られるのは私達の気持ちではない。辺境伯を取り込んだ第二王子、第二王子に差し出された辺境伯令嬢。更にそなたは聖女候補だ。私が王太子である兄上の座を狙っていると捉えられるのは必然だろう。」
アレク様の手が握り締められ、拳となったそれは固く閉ざされていた。
「そうなれば我々の想いなど関係なく、利害関係を望む者達が沸いて出てくる。望まずとも争いの渦に呑み込まれるのは明白だ。その荒波に耐え収束させる力、或いは本気で王位を目指す覚悟がなければ、そなたを幸せには出来ない。今の私には、そなたに愛を乞う資格などないのだ。」
真っ直ぐに見た彼の瞳はいつも通り輝いていて、決して言葉には出来ない彼の心を伝えてくれる。
それは暖かくて切なくて、私の中に芽生えた想いと同じだった。そして同じように彼にも、私が同じ気持ちである事は伝わっているはずだ。
「意気地のない男だと軽蔑したか?」
自嘲気味に笑う彼。
「いいえ。無責任に口説いてくるような男より、よっぽど誠実だと思いますわ。」
笑ってみせると、アレク様が虚を突かれたように固まった。
「アレク様。決して他意はないと断言いたします。一つお尋ねしても宜しいでしょうか。」
「ああ。許可しよう。」
優しく頷いてくれた彼へ、私は姿勢を正して問い掛けた。
「…王位を考えたことはないのですか?」
僅かに目を見開いた彼は、怒ることもなく真摯に答えてくれる。
「考えたことなどなかった。だが、そなたと出逢いこうして接するうちに、母上や叔父上の想いに捉われる必要もないと思うようになった。今後兄上に国を任せられないと思う時が来れば、致し方ない選択肢の一つになるだろう。」
以前の彼であれば、決して言わなかったであろう言葉。それが聞けただけで充分だった。
「ではその時は、私がお役に立てますね。」
「何を言う。私はそなたの想いや力を利用するつもりはない。」
クスッと笑って、私は彼の耳元に唇を寄せた。それはもしかしたら、彼にとっては悪魔の囁きだったのかもしれない。
「利用できるものは何だって利用すればいいのです。卑怯なことではありません。…その時が来たら、覚えておいて下さい。」
「…覚えておこう。」




