事件解決①
「これを使いましょう」
髪を解いたリボンを差し出すと、アレク様はすぐに理解してくれた。
「確かに、これまで失くなった物の傾向から考えると、可能性は高いな。」
ペンにハンカチ、髪留めにノート。ノートは課題を書いていたので流石に困ったけれど、本来であればどれも失くなって困窮する程の物ではない。そして共通点として、どれも私が長時間触れていたものだ。嫌がらせと言うよりは、私の周りの物を収集していると見た方がいい。
つまり犯人はストーカー。
そう考えると、次に狙われる可能性が高いのは、私が今日1日身につけていたこのリボン。前世の記憶でも、ゲームの中で盗まれた物の中にリボンがあったので間違いないだろう。このリボンを囮にすれば、犯人に辿り着けるはずだ。
「問題はどうやって見張るかなのですが…」
「あぁ。この手の犯行は現行犯で捕らえなければ意味がない。捕らえるのが早すぎても遅すぎても犯人に言い逃れの口実を与えてしまう。そこは私に任せてくれないか。」
「どうするのです?」
何やら考えのあるらしい彼を見上げると、一瞬だけ逡巡した後、アレク様は私に手を差し出した。
「やって見せた方が早いな。それを預かってもいいだろうか?」
「はい。」
渡したリボンを念入りになぞり、魔術を施していく。見ただけで高度そうな複雑な魔術だけれど、本当にこの人は何でもできちゃうのね。
すぐに元通りの何の変哲もないリボンに戻ってしまったそれを、アレク様が私の机に置く。
「追跡魔術をかけた。移動すればその情報が私に届く。他に短時間の音声録音ができる記録魔術も付けておいた。映像記録には強度が足りなかったのだが、これくらいやっておけば問題ないだろう。」
開いた口が塞がらなかった。その魔術のどれか一つでも、王太子が施せる魔術はないだろう。と言うくらいどれも難しい術式のはずだ。それを併用するなんて…
「問題は時間だな。明日までに犯人が動いてくれるといいのだが。」
「あ、それは大丈夫だと思います。」
ゲームの中で盗難事件は連日起こっていた。リリーローズ様が糾弾されるまで。なので1日と空けずに盗難事件が起こるのは間違いない。もちろんアレク様にそんな説明はできないけれど。
「ここ数日、毎日物が失くなっていますから。今日か明日も必ず犯人は行動するはずです。」
「…そうか。まあ、犯人が動かなければ他の方法を考えればいい。我々はそろそろ退散しよう。」
後は犯人が来るのを待つだけ。分かりやすいくらいに私の机に置かれたリボンをそのままにして、私とアレク様は教室を出た。
いつも馬車まで送ってくれる彼は、当たり前のように今日も付き添ってくれる。
歩きながら、彼は何やら言いづらそうに私を見ていた。
「どうしました?」
「…恐くはないのか?」
一瞬何のことか分からず呆けてしまったけれど、考えてみれば私は得体の知れないストーカーから被害を受けている訳で。優しい彼が心配してくれるのは当然だった。
「大丈夫です。実は既に目星は付いてますから。それにアレク様も側にいて下さいますし。」
本心から笑って見せる。
驚いたような戸惑ったような彼の表情が楽しくて、イタズラが成功したような気分だった。
「…ダリア」
もうすぐ馬車に着くというところで、急に立ち止まったアレク様。
振り向くと、真剣な顔の彼が私の目を覗き込んだ。
『どうやら犯人が罠に掛かったようだ。』
「えっ」
『もう犯人が動いたんですか?』
念のためか心の声で教えてくれた彼に、慌てて口を塞いで私も心の中で問いかけた。
『リボンが移動している。』
『早く行きましょう!』
「待て」
慌てて戻ろうとした私を呼び止めたアレク様は、何やら思索しているようだった。
「でも、早くしないと…」
『ここからでは間に合わない。反対側の裏門に向かっている。』
『そんな、どうしたらいいんですか?』
「…そなたに触れても構わないだろうか?」
「はい?」
突然何を言い出すのかと驚いたところで、彼の手が私に向けられた。真剣な表情はこんな時に冗談を言っている風でもない。躊躇いつつも彼を信じて自分の手を重ねてみる。
「きゃっ!?」
瞬間、ブワッと視界が反転したかと思うと、次の瞬間には裏門の前に立っていた。
え…?
いくら瞬きしてみても、目の前には裏門があって、私はアレク様に引かれるまま物陰に隠れた。
急いで状況を整理してみる。すぐに閃いて、アレク様の目を見た。
『まさか、移動魔術ですか!?』
移動魔術と言えば、上級魔術の上位も上位。理論はあっても高度すぎて扱える逸材がいないことで有名なあの魔術を、私を抱えながら使ったの?最後に使われた記録が残ってるのは100年前の大魔術士ではなかった?更にはリボンにかけた追跡魔術を息をするように併用するって…この人、どれだけの高スキルを隠し持っているのよ?
『国王陛下と叔父上以外ではそなたしか知らない秘密だ。他言無用で頼む。』
そんな重大事実を知らされて、私はどうしたらいいの!?
「アレク様、」
「静かに。犯人がそろそろここを通る。」
混乱している間にも人影がこちらに向かってくるのが見えた。小柄なその影にはとても見覚えがある。
『ここは私に行かせて下さい。』
『…何かあればすぐに出て行く。気を付けてくれ。』
頷いて、私は人影の前へと立ちはだかった。
「やっぱりあなただったのね、ロイス。」
かなり早い段階から…というか、前世の時点で目を付けていた。このお粗末な事件の犯人は攻略対象の1人、ロイス・ウィルキンソンではないかと。
「ダリア!やっと会いに来てくれたんだねっ」
私を見て焦るどころか喜ぶこの幼馴染は、以前であれば家族同然でルーツェンベルク家の屋敷にも自由に出入りしていた。
私が前世の記憶を思い出すまでは。
何をどう考えたってアウトなロイスのストーカー行為に、出入りを無くすよう屋敷の使用人たちに厳命し、学院内でも極力遭遇しないようにした。呼び掛けられても挨拶以上の会話はしないよう注意していた。そういう私の態度に痺れを切らしていたらしいロイスは、我慢の限界だったのだろう。
「酷いよダリア、僕たち領地ではずっと一緒だったじゃないか。どうして急に冷たくするの?」
ウルウルの涙目で見上げてくる顔は可愛いが、それだけだ。今更同情なんてない。
むしろあんたのせいでリリーローズ様があらぬ疑いを掛けられたのよ?前世ではゲームのストーリーに流されることしか出来なかったけれど、こうして転生した以上、ずっとやりたかったことをやらせてもらう。そう、攻略対象の断罪を!
「何を言ってるの?私たちもう大人でしょう?子供の頃のようにはいかないわ。」
大袈裟に溜息を吐いてみせると、ロイスは涙を引っ込めた。やっぱり演技だったらしい。
「…君が領地を出ると言った時、理解してあげたじゃないか。」
今までの声は裏声だったんじゃないかと言うくらい低い声音が小柄な幼馴染から飛び出して、流石にギョッとした。
「外の世界に行きたいだなんて言う君の我儘を、許してあげたじゃないか。誰彼構わず笑顔を振り撒く君を、毎日毎日許容してあげているじゃないか。旅立つ君を閉じ込めることだってできたのに、我慢してあげたじゃないか。何が不満だって言うんだ?」
「ほんとうに、何を言ってるの…?」
どうかしてるとは思ってたけれど、これは想像以上にイカれていらっしゃるようだわ。
「やっぱり間違ってたんだ。許すべきじゃなかった。君をこんなところに寄越すべきじゃなかった。」
「いい加減にして頂戴。ウィルキンソン子爵令息、私はあなたの所有物ではないわ。私が何をしようと、あなたの許可を得る必要などないのよ!今後一切私に近寄らないで。」
決別の言葉はロイスの狂気に火をつけたらしい。
「どうしてそんなことを言うんだ!ずっと2人で上手くやってきたじゃないか!小さい頃から一緒だったんだ!君は僕のものだ!」
可愛らしいと評判だったゲームの中の姿とは違い、激昂したロイスは血走った鋭い目付きをしていた。そこにはトレードマークの笑顔なんてない。
自分本位の独りよがりな妄言を吐くその姿は、ゲームのファンが見たら失望するでしょうね。
「何度も言わせないで。私達はそんな関係じゃないし、私はあなたのことを異性として見た事なんて一度もないわ。でも…少なくとも幼馴染ではあったわね。あなたが私の物を盗むまでは。今も私のリボンを持ってるわよね?」
ロイスはポケットから私のリボンを取り出すと、開き直ったように笑った。
「ハッ、僕のお嫁さんの物を僕が持っていて何が悪い?君が冷たいから君の物で自分を慰めるしかなかったんだ。僕と君は結ばれる運命なんだよ。他の道なんてない。」
証拠も充分。これ以上ストーカーの妄想に付き合う義理はないので、早々に決着をつけることにする。
「悪いけど。私は私の道を自分で切り開くの。そこにあなたが入り込む余地なんてない。永遠にね。」
「…っ!」
そして、息を呑んだロイスに追い討ちをかけた。
「もう一度言うわ。今後一切、私に近寄らないで頂戴。」
背を向けようとした途端、爆発したようにロイスが絶叫する。
「正直に言ったらどうだ!男ができたんだろ?そいつが君を変えたんだ!だからそんな風に僕に冷たく当たるんだろう!?」
「身に覚えがないわね。」
「僕が知らないとでも思うのか?僕は君のことなら何だって知っている!君は最近、第二王子とよく一緒にいるじゃないか!」
「それが何だって言うの?あなたに関係ある?」
煽られてとうとうキレたらしいロイスは、鞄からナイフを取り出した。
「僕のものにならないならいっそ、殺してやる!」
まあ、そうなるわよね。
小柄なロイスは危なげなくナイフを振りかざして見た目よりも強いようだけれど、その刃が私に届くことはない。
カキンとナイフが飛ばされたのと、捕縛魔術でロイスが地に伏したのは一瞬のことだった。
「…これ以上は聞くに耐えない。」
私を守るように立つアレク様は、静かな声でロイスを見下ろした。
「第二王子…!」
「学院内で凶器を振り回した罪、他の生徒の私物を窃盗した罪。ウィルキンソン子爵令息、私の権限でそなたを拘束する。」
「お前さえいなければ…ダリアは僕のものだ!」
喚き散らすロイスを魔術で黙らせたらしいアレク様は、何処か冷めた目でロイスに告げた。
「いくらそなたの家門が財力にものを言わせて隠蔽しようとも無駄だ。証拠は揃ってる。何故こうなったのか解らないのであれば、処罰を受け己の行いを省みるといい。」
アレク様がロイスから押収したリボンには、確かに荒れ狂うロイスの音声の一部が録音されていた。そして現場を抑えたのは王族であるアレク様。どんな手を使っても言い逃れはできない。
ロイスからの憎悪の籠った眼差しをものともせず、アレク様はその後の処理を淡々と行った。
何はともあれ、これでリリーローズ様への理不尽な疑いは晴れる。ゲームの内容を1つ変える事ができたのだ。
ロイスはその後退学となり、私の告発で事態を知ったお父様、ルーツェンベルク辺境伯により辺境領地へ強制送還された。
ルーツェンベルク家の臣下であるウィルキンソン家は私とルーツェンベルクに正式な謝罪をしていると言うが、お父様が許しを与えたとは聞いていない。
王国屈指の財力を持つウィルキンソン家の財源は、ルーツェンベルクの鉱脈。1つの家門が滅びるのは時間の問題だった。




