事件①
アレクセイ第二王子殿下。彼の秘密を少しだけ共有した日の翌朝。いつもより明るい気がする朝日が気持ちよく、身支度を進めている時のこと。
「あら?」
髪留めを選ぼうとして侍女に用意してもらった宝石箱を覗いてみると、お気に入りの真珠の髪飾りが見当たらない。侍女もその事実に驚き屋敷中大捜索になるちょっとした騒ぎになったけれど結局見つからなかった。
ご機嫌な朝から一変、眉を寄せて宝石箱を見る。
どうもこの頃、私の身の回りの物が失くなる。ペンにハンカチに、今度は髪飾り。一度や二度ならまだしも、ここまで続くのは人為的なものの可能性が高い。
ゲームの中でもこんな事があり、全てリリーローズ様のせいにされたのだが、勿論リリーローズ様がそんな事をする筈もなく。いや、百歩譲って犯人がリリーローズ様なら私の持っている全財産を全て捧げる所存なのですけれども。
それは置いておいて…。もし続くようなら犯人をしっかり捕縛しておかないと、後々リリーローズ様にあらぬ疑いが降りかかる事になるのでしっかり対処しないと。
流石は乙ゲーの世界。次から次へとイベントが起こって気の休まる暇もないわ。
私は少しだけ考え、迷った末に飾り気の無いリボンを選んだ。
『やっぱり聞こえます?』
『あぁ』
お友達となってから自然とご一緒するようになった、リリーローズ様との楽しいランチの後。私はアレク様の執務室にいた。あの魔道具事故の日から今日で8日。本来であれば魔術の効力が切れる日でもある。
しかし、どう言う訳か私たちの心は繋がったままだった。
「発動時のアクシデントが原因でしょうか」
「そうだろうな」
アレク様は割れた手鏡を手に取り、検分するように角度を変えて見ていた。
「ダンドール教授に相談してみましょうか?」
魔術の第一人者である教授の名前を出すと、アレク様は暫く逡巡した後、静かな声で呟いた。
「このままで良いのではないか?」
「はい?」
予想外の言葉に声が上ずってしまった。
「私はこのままでも、特に不自由はない。いくら見ても闇の魔術の痕跡はないし、害もないだろう。普段はコントロールできるし、そなたとの密談には便利だ」
「そうですけれど」
良いのだろうか。かく言う私も、相手がアレク様なら特に問題はないと思ってしまっている。それどころか、この繋がりが切れてしまうことに寂しさすら感じていた。そもそも心が繋がるなんて、他の相手なら耐えられないとすら思うのに、アレク様は最初から嫌悪感すらなかった。でも、偶然の事故だったのに。このままで、本当に良いのだろうか。
「ただの不具合で明日には解けているかもしれないし、明日でなくともある日突然解けることは充分考えられる。あとは今すぐ解除する方法があるとすれば、この手鏡を跡形が無くなるまで粉々に破壊することだな」
そう言ったアレク様につられて手鏡を見る。これが粉々になるのを想像すると、何故かとても悲しくなった。
「私もこのままで良いです」
気付けばそう口にしていた。
そうして、アレク様とのこの不思議な繋がりはこのまま継続されることとなった。
「君が忘れ物など珍しいな、ダリア嬢」
午後の授業、魔術学のクラスで私はイージャス助教授に詰め寄られていた。なんとカバンの中に課題用のノートが入っていなかったのだ。確かに入れていたはずなのに。
ギラギラした目のイージャス助教授は、ここぞとばかりに私を責めてくる。
「普段真面目なので見逃したいところだが、課題を忘れた生徒を許すと悪い前例となってしまう。罰則を与えるので放課後私のところに来い」
ニタリと笑う助教授の蛇のような目が怖い。この変態教師、罰則と称して何をされるか分かったもんじゃない。でも課題が出せないのは事実。どうして今日に限ってダンドール教授は他クラスの担当なの。諦めてありったけの保護魔術を駆使しようと決意した時だった。
「お待ちになって」
イージャス助教授との間に割り入って来てくださったのは、なんと私の最推し女神、リリーローズ様だった。いつの間にか魔術学の上級者コースに入っていた私は、この授業をリリーローズ様やアレク様、王太子他高位貴族の皆様と受けている。
皆様育ちが良いようで、よっぽどのことがない限り教師に対して意見を言うことなどない。リリーローズ様の突然の発言に、助教授だけでなくクラス全体が驚いていた。
「ダリアに限って課題を忘れるなど有り得ませんわ」
凛と立つお姿は後光が差しているようで、眩しくて私には見えない。なんて尊いの、私の為に前に立ってくださる女神様!
「先程もランチの際に今日の課題についてお話ししましたもの。そう言えば、最近私物が失くなるとおっしゃっていたでしょう?この件も関係しているのではなくて?」
リリーローズ様のお言葉にハッとする。そう言えば、確かに午前中カバンを覗いた時はノートがあったのだ。まさかこれもイベントなの?
「どういうことだ?」
邪魔が入ったという目付きではあるものの、一応教師であるイージャス助教授は私の事情を聞いてくれる気になったらしい。私は急いで説明した。
「それが…数日前から私の私物が失くなっているのです。ペンやハンカチ、髪飾りなど、失くなっても大して困らないものではありましたが。それに私、確かに課題は終えてノートをカバンに入れました。朝の授業の時にはカバンに入っていたはずなんです」
「学院内で盗難の可能性があるということか。そうなれば教授に報告し調査する必要がある。ダリア嬢の罰則は一旦保留としよう」
良かった。一応教師だけあるわ。苦々しげではあるものの、イージャス助教授の研究室に二人きりなんて最悪な状況はリリーローズ様のおかげで回避できた。
「リリーローズ様!ありがとうございました!」
授業後、眩い女神様に頭を下げる。優雅な仕草で私を起こしたリリーローズ様は、困ったように笑っていた。
「お友達ですもの、当然ですわ」
鼻血案件待ったなし。
どこまで尊いの、この方は!必死で鼻血と涙を抑えてひたすら感謝を述べる。土下座して拝みまくる勢いだったけど。なんとか耐えた。
「それにしても物騒ですわ。ダリア、私はこの後王宮で王太子妃教育を受けなければならないの。一緒にいられないけれど、どうか用心して頂戴」
こんな風に推しに心配してもらえるなんて。私の前世って、そんなに徳を積んだかしら。リリーローズ様に貢いだご褒美なのかしら!?
とにかく浮かれた私は、これ以上推しに心配をかけてはいけないと力強く頷いた。
「勿論です。ご心配ありがとうございます。気をつけて帰りますので、リリーローズ様もどうか王太子妃教育がんばって下さい。無理はしないでくださいね」
微笑んで王宮行きの馬車へ乗り込んだリリーローズ様を見送り、私は教室へと急いだ。この盗難騒ぎについて、アレク様に相談しよう。きっと彼なら協力してくれるはず。
そう思い到着した教室で、私は大惨事を目にすることになる。
「ダリア!」
教室に戻った私を呼んだのは、何やら怒り顔の王太子だった。
「殿下?どうかしたのですか…?」
言いながら目に入ってきた光景に、一瞬言葉を失う。私の机を中心に、机の中に入っていたであろう物が散乱していた。ペンケース、教科書、化粧ポーチにランチボックスまで。まるで何かを探している最中に人が来てそのままトンズラしたような酷い有様だった。
王太子にアレク様、そしてクラスメイト数人が心配そうに絶句した私を見ている。
「これは嫌がらせに違いない。ダリアの私物を盗んだのも同じ者だろう。こんな陰湿なことをするとは、犯人は決まっているな。あのコールドスタインの女狐を今すぐ拘束すべきだ」
「えぇっっ!?」
この状況にすら追い付けない中での、あまりにも安直で差別的で要領の得ない王太子のトンデモ発言に、私は卒倒寸前だった。
「よし。私が指揮をする。今すぐあの女を引っ立てろ!」
ドヤ顔でポーズを決めて、それはまさか私へのアピールのつもりなのですか?今この数秒で、元々地に落ちていたあなたへの好感度が地表を突き抜けマントルまで急降下しましてよ?は?馬鹿なの?馬鹿だとは思っていたけれど、頭が悪いにも程があるでしょ!!どこをどうすれば、証拠も何もないこの状態からリリーローズ様を犯人だと思い込めるわけ!?リリーローズ様はさっきまで私と一緒だったし、イージャス助教授から私を庇ってくださったのよ!?こんな暴論が罷り通るなんて、ゲームの強制力、恐ろしすぎる!
心の中で絶叫しながらも、私はなんとか口を動かした。
「ま、待って下さい。どうしてそこでリリーローズ様が出てくるのです?あのお方はそんなことをする様な方では…」
「あぁ、ダリア…その優しさは美徳だが、行き過ぎは良くない。あんな底意地の悪い女を庇う必要なんてないんだ。こんな古臭い手で君を陥れようとする腹黒い奴など、あの女以外にいるものか。さっきの授業でそなたを庇ったのも、疑いの目を逸らす作戦に違いない。さあ、懲らしめに行こうじゃないか!」
誰かこの馬鹿を殴って気絶させて!
暴走、もはや暴挙よ!
あまりにも話の通じない相手に恐怖を抱きながら、私は必死に王太子を止めようとした。
「ちょっ、お待ちになって下さい!王太子殿下!」
「心配するな。私が必ずあの女を君の前にひれ伏させてやろう!手を折り、脚を折り、あの傲慢な顔を地面に踏みつけてやろうではないか!」
マジでやめろ、このアホ王子っっ!!そんなことしたら殺す!
激化する王太子の妄言に、王族傷害罪覚悟で魔術でもなんでも使って止めてやろうと決意した時だった。
「かの令嬢は公爵令嬢です。断罪するのであれば、確証が必要です」
自分の行動に酔いしれ燃えるクソ王太子を鎮火するような、冷ややかな声が響く。ムッとした王太子が振り向いた先を見れば、疲れた目をしたアレク様がいた。
「お前は…いつもいつも堅苦しいな。疑いの余地はないんだ。無駄なことはせず、あの女を捕まえるべきだろう。時間の無駄だ」
不機嫌感を全面に出しながら威嚇する王太子相手に、アレク様は淡々と答えた。
「…そうだとしても、です。仮にも公爵家を相手にするのですから、反論の目は潰した方が得策かと。まずは証拠を集めるべきです」
「ふん。五月蝿い。王家の捨て駒の分際で、近頃小言が多いな。アレクセイ、お前。自分の立場を理解しているのか?」
「勿論です、兄上。私はあくまで兄上の立場を考えているのです。証拠不十分を理由に公爵家に楯突かれてしまえば、面倒が増えます。場合によっては国王陛下のお手を煩わせてしまう事態になりかねません。無用な論争でことを荒立てるのは兄上も本意ではないでしょう」
素直に頭を下げ諭すアレク様に、王太子は舌打ちをして踵を返した。
「そこまで言うなら一日やろう。明日までに証拠を持って来い!それ以上は待たないからな!」
思い通りにならず、プンプンと怒りながら去っていく王太子。何あれ、子供か。そのまま転んでしまえ。不穏な空気のまま、その場に居合わせたクラスメイト達が気まずそうに教室を出ていく。
「アレク様」
己の兄の愚行に疲れ果てた様子の彼を呼べば、アレク様は僅かに目元を和らげた。
「ダリア、兄上がすまない」
「何を仰るのです、アレク様が謝ることでは無いでしょう?むしろ助かりました。あのままでは私も王太子殿下に何をするか分からなかったので」
「流石に我が兄上ながら、先程の暴論には頭が痛くなる」
「お気持ちお察し致します」
文字通り頭を抱える彼の横で、私も天を仰いだ。もうあの王太子、色々終わってるだろう。
「取り敢えず調査の前に片付けなければな。そなたの私物に触れても構わないだろうか?」
気を取り直したようなアレク様の声に、私も気を引き締めて彼を見た。
「はい、ありがとうございます。それと、犯人調査の件は私に考えがあります」




