第二王子の生い立ち
「それで、お友達になったんです!」
興奮して喋り続ける私を、第二王子は嗜めるでもなく、鬱陶しそうにするでもなく、ごく自然に受け入れてくれた。
放課後、作戦会議と称して彼の執務室に押し掛け紅茶をご馳走してもらいながら、この喜びを誰かに共有して欲しくて暴走が止まらない私に、彼は柔らかい表情で相槌を打ってくれた。
「それは良かったな」
成り行きとは言え、第二王子は私のリリーローズ様に対する崇拝ぶりを知っている唯一の相手なので、私もつい話しすぎてしまった。
そんな私を咎めることもなく、自然な仕草でお茶まで完璧に淹れてくれる彼は、微笑ましげに目を細めている。
「仲が深まっていくそなた達の話を聞いていると、微笑ましくもあり羨ましくもある」
何だか眩しそうなその表情に照れ臭くなって、つい揶揄うような口調になってしまう。
「殿下だって、王太子殿下と仲が良いじゃありませんか。殿下がいつも王太子殿下のことを第一に考えておいでなのは知っておりますのよ」
そう言えば、第二王子は静かに苦笑を漏らした。
「悪いわけではないが、私と兄上は仲が良いのではない。私は兄上に仕える身なのでそもそも立場が違う。決して対等ではない。私が兄上を第一に考えるのは当然なのだ。これまで何事にも兄上を優先して兄上の為に生きてきたのだから」
なんだか雲行きの怪しい言葉に私は笑みを消して彼を見た。これは…聞いていい話なのだろうか。一瞬躊躇したけれど、どうにも彼の表情が物寂しげで。それでいて、全てを諦めて傍観しているようで。思わず彼の手を取っていた。
「ダリア嬢?」
「殿下。僭越ながら申し上げますわ。人は誰でも、毒抜きが必要なのです」
「……」
「負の感情は、そう重たくないものでも積もり積もれば人の心を蝕む毒となります。殿下がそのようにご自身のお話をなさるのは、とても珍しいことではありませんか?普段は滅多にそのようなことなさらないはずです。私になら本音の一部を漏らしてもいいと、そう思って頂けたのではありませんか?」
「それは…」
「折角の機会です。殿下には常日頃助けて頂いておりますし、たまには私にお手伝いさせて下さい。吐き出したい言葉があるのでしたら、私の前でくらい出せばいいのです。どうせ今の私達は心が繋がっているのですから、秘密が漏れるのはお互い様ですわ」
少しだけ躊躇したように押し黙った彼は、それもそうかと表情を和らげてゆっくりと口を開いた。
「私と兄上は、この世に生まれ落ちた時間が数分しか違わない」
衝撃の事実に目を見開いて彼を見ると、とても冷静に、淡々と彼は語った。
「私の母は側妃で、王后陛下より目立つことを極端に避けていた。貴族派の公爵家出身でありながら王家の為に尽くし、要らぬ争いの火種すら点けさせないという信念をお持ちの方だった」
第二王子の人柄や想いがどこから来ているのか分かった気がして相槌を打っていると、続く彼の言葉に私は言葉を失ってしまった。
「だからこそ、自分が王后陛下より先に産気づいた時、自分の子が先に産まれてしまう事態を何よりも恐れた。そして側妃である自分の子を先に産み落とすことがないよう、産室で耐え抜いたと言う。出産の苦しみに三日三晩喘ぎ、一日遅れで産気づいた王后陛下が兄上を出産した数分後、漸く私を産み落としたのだそうだ。
母はその時の無理が原因でその後の人生を寝台の上で過ごし、結局私が5歳の時にこの世を去った」
想像以上に壮絶な彼の生い立ちに、何も言えなくなる。尚も彼は淡々と語った。
「進むべき道を進みなさいと言うのが母の口癖だった。立場を弁え、無駄な争いを避けて王家の為に人生を捧げよと。私はその教えを胸に兄上より目立つことのないよう、必死で生きてきた。剣では手合わせのたびに程よく手加減して兄上に花を持たせ、学業では既に修了している科目を何度も履修し兄上の進行状況に合わせてきた。自分の執務と並行して兄上の執務の半分以上を受け持ちながら桁違いの魔力量も簡単に使いこなせてしまう高度魔術も隠し通し、常に兄上より下にいるよう努力した」
ちょっと待って。
「母が亡くなると、王弟であり現在は宰相の地位にいるサンジェルマン侯爵が私の教育係になった。彼も母と同じ考えの持ち主で、陛下の為だけに尽くし、王位を揺るがす自らの血筋を断つため妻帯すらせず王家の為だけに生きている方だ。私は叔父である彼に第二王子が王太子より目立つべきではないと徹底的に教えられて育った。そういった幼い頃からの刷り込みが今の私の行動原理全てを創り上げている」
待って、待って!ここに来て不憫属性追加なの!?この人はどこまで私の好みを貫く気!?
いろんな意味で何と言葉を掛けていいか分からずに絶句する私に気付いて、第二王子は眉を下げた。
「すまない。想定していたより重い話だったな。そなたに無駄な気を遣わせるつもりはなかったのだが。
別に私は不幸な訳ではない。母の愛と叔父の期待を受けて育ったのだ。それなりに幸福な生だと思っている。
聞かせてしまった後で悪いが、どうか気にしないでくれ」
柔らかな彼の声音を聞いていると、どうにも遣る瀬無くなる。
こんなに。…こんなに素晴らしい人の、素敵な部分を。優しくて、我慢強くて、…優秀な頭脳も、チート級の魔術も。柔らかい微笑みも。どうして誰も知らないのだろう。
知ろうと、しないのだろう。
前世でリリーローズ様の素晴らしさを広めたくて奔走していた時と同じ熱量の切なさが胸に募る。
「僭越ながら」
顔を上げた私を、彼は温かな眼差しで見返していた。
「殿下の行いは素晴らしいですし、お母上や叔父上の想いを大切にされているのはよく分かります。ですが、それに囚われる必要はないと思います」
想像していた言葉とは違う言葉が私の口から飛び出て驚いたのだろう。彼の瞳が僅かに開かれ揺れる。
お生憎ですが、私は当たり障りのない慰めを口にするような可愛い女じゃないの。これは、私みたいな女にそんな話を聞かせたあなたの落ち度よ。
「どうして。殿下の素晴らしさを隠す必要があるのですか?殿下のお力は殿下のものですが、殿下の御心はこの国に、この国の民に向いています」
彼の瞳はいつだって真っ直ぐで澄んでいる。煌めく光を集めて輝くその瞳に、この切なさの十分の一でもいいから伝えたかった。
「殿下のお力を利用しようとする様な不届き者がいれば、そんなのは殿下自ら蹴散らせばいいのです。殿下ご自身がこの国を揺るがすような行いをするなんて、万に一つもありはしないのでしょう?」
ハッと、彼が目を見開いた。
「殿下が今の生き方にご満足しているなら何も言いません。しかし、少しでも息苦しいと、辛いと、感じているのなら。ありのままのお姿を、気負いせずに見せて頂きたいです」
その瞳を覗き込んで断言する。
『あなた様が見据えた道であるなら、それがあなた様の道なのです。』
彼は暫くの間私を見つめ返してからそっと顔を伏せた。その表情は憑き物が落ちたように穏やかだった。
「ダリア」
突然名を呼ばれ、見上げた彼は、僅かに耳の先を朱に染めていた。
「ありがとう」
優しい彼の声が耳を通りすぎ、どうしたのか私はすぐに声が出せなかった。
「ひとつ提案なのだが」
そんな私などお構いなしで、彼はその低くて甘い声音で話を続ける。
「これからはアレクと呼んでくれないか」
キュン、と胸の奥から可愛らしい音が聞こえた気がする。急にそんなしおらしいお願いをしてくるなんて反則じゃないだろうか。エモい。
すぐにでも頷きそうになった自分を必死に諌める。私だってそうしたいけど、ちょっと待つのよダリア。よく考えて。
「光栄ですが、二人きりの時だけ呼ばせて頂きます。王太子殿下に聞かれたら、ちょっと面倒なことになりそうなので」
俺もテオと呼んでくれ、なんて言われた日には、とてもじゃないけど正気を保てる自信がない。
「あぁ、なるほど。ならば仕方ない。二人きりの時だけで我慢しよう」
悪戯の相談をしているかのように。私達は顔を見合わせて静かに微笑み合った。




