前世の記憶
「はっ!」
それは突然だった。
王都へ向かう馬車の中、前触れもなく頭の中に前世の記憶が溢れ出してきて、私は思わず声を上げた。
馬車の窓から見える景色。長閑な田園風景と森を抜けた後に現れるレンガ調の街並み、市場の活気と穏やかな人々の生活音に混じる楽団のポップな音楽。この光景は、紛れもなく私が前世でプレイしていた乙女ゲームのオープニング映像そのもの。
今まさに通過しているこの道はルキア王国の王都へ続く街道。そして視界の端に見える淡いピンクみがかったプラチナブロンドの髪と窓ガラスに映るピンクの瞳。私はルキア王国の田舎で育った辺境伯令嬢ダリア・ルーツェンベルク、そう。ゲームの中のヒロインだったのだ。
「どういうこと」
この日の為に胸を躍らせて選んだドレスの胸元を握り締める。見下ろせばこのドレスもゲームのプロローグでヒロインが着ていたものだ。
王都に旅立つ為、1ヶ月かけて悩んだドレスが既定されたゲームの衣装……その事実に目眩がして、私は馬車の中で突っ伏した。
『麗しの聖女と純白の恋』、通称『うるこい』
そのゲームは、色んな意味で話題の絶えないゲームだった。田舎育ちの辺境伯令嬢が魔術の才能を認められて王都の貴族学院に入学、王太子を始めとしたイケメン攻略対象達と恋に落ち、能力が開花して聖女として認められ、悪役を断罪して結婚しハッピーエンドを迎える。「末長く幸せに暮らしました。」で締め括られる、その内容だけなら王道のありふれたごくごく普通の乙女ゲームだけれど。
私はこのゲームに物申したい事があり過ぎて、そこらのオタクの10倍はこのゲームをやり込んだ。ゲームの制作会社に抗議文を送ったことも一度や二度ではないし、SNSで何度悪態を呟いたか分からない。
前世での死因も、日課になっていたゲームに対する不満を書き連ねる為に帰宅を急いでいたところ、トラックに跳ねられた。
このままじゃ死んでも死にきれないと思っていたからだろうか。まさか世に言う転生を体験するだなんて。
このゲームが話題になったのは、まず攻略対象達の秀麗なイケメンぶりと緻密に作り込まれた世界観。見ているだけで目の保養とまで騒がれたその圧倒的なビジュアルは他の乙女ゲームに比べ確かに群を抜いていた。
それは認める。私も最初はそのビジュアルの良さに手を出したのだ。しかし、そのビジュアルの良さで満足するのは頭の軽い一部の夢女子の皆様だけだった。イケメン攻略対象が甘い言葉を囁いて美麗な顔で微笑みかけてくるのを見たいだけの単純プレイヤーにはこのゲームはピッタリだろう。
配信当初ビジュアルで話題になったこのゲームはしかし、配信後数日で大炎上した。
乙女ゲームの醍醐味、選択肢を選んで少しずつ好感度を上げ、攻略対象との距離を縮めていくあのワクワクドキドキ展開が、このゲームには皆無だったのだ。
選択肢はあるものの、どれを選んでも好感度爆上がり。ハズレ無しな上に好感度がどのキャラもスタートから80%越え。勿論バッドエンドなど存在すらしない。乙ゲーマニアを舐めてんのかと画面を叩いた記憶しかない。
ゲーム開始後の選択肢1個目でどれを選んでも好感度100%達成なんて、何のための選択肢なんだと叫びまくった。
ビジュアルと炎上で更に話題に火がついたこのゲームは、じわじわと売上を上げていったが、それに比例してやり込んだオタクプレイヤー達から疑問の声が上がり始めた。
それはゲームに登場する悪役令嬢、王太子の婚約者であるリリーローズ=ヴァイオレット・コールドスタイン公爵令嬢の事だった。
ゲームのシナリオでは、ヒロインを虐めた悪役令嬢が断罪され、婚約破棄と同時に処刑される。そしてそれを嘆いた悪役令嬢の護衛騎士が復讐のため悪魔と契約して王都へ攻め入りラスボス化。聖女として覚醒したヒロインと攻略対象が力を合わせて撃退するというのがどのルートでも共通する内容だった。
一見すれば王道の内容かもしれない。だけど、やり込めばやり込む程、このシナリオには反吐が出そうになるのだ。
まず第一に、リリーローズ様はヒロインを虐めていない。リリーローズ様が直接ヒロインを嗜めたのは、ヒロインがパーティーで王太子のパートナーとして登場した時に、婚約者のいる殿方と同伴するのはマナー違反だと指摘したくらいなのだ。至極当然のお言葉である。
しかしそれを聞いた攻略対象は何故か激昂、大勢のいる前でリリーローズ様がヒロインを虐めたと罵り、パーティー会場に居た人々はリリーローズ様を悪役認定する。
それからというもの、攻略対象はリリーローズ様を目の敵にするようになる。
ヒロインが授業で失敗し落ち込んでいた時にリリーローズ様が手を差し伸べて「お元気を出して」と言えば嫌味な女だと憤慨し、ヒロインが転んだ時にハンカチを差し出せば目立ちたがり屋の出しゃばり女だと罵倒、リリーローズ様が傷ついたドラゴンを匿っていることが判明した時には王国を裏切り反逆を企てる稀代の悪女だと糾弾する始末。
ヒロインの私物がなくなったり暴漢に襲われたりする度に攻略対象はリリーローズ様の仕業だと断言。攻略対象の態度のせいで何が起こっても犯人はリリーローズ様、悪いのは全てリリーローズ様ということになってしまうのだが、どれも攻略対象が叫んでいるだけで証拠も根拠もなく、リリーローズ様に弁解の機会もないまま断罪、処刑の流れなのだ。
1巡目は違和感だけだった。2巡目でおかしいと思い、3巡目で何だこのクソ展開はと頭が爆発した。
やり込めばやり込む程、リリーローズ様は真面目で心優しい完璧な公爵令嬢なのだ。またビジュアルがとんでもなく素晴らしい美人。
私のタイプど真ん中、真っ白な肌と艶めく黒髪に紫の瞳の女神。本来の優しい雰囲気がつり目で中和されている絶妙さが堪らない。
更には王太子妃になるために幼少期から厳しい教育を受け続け、何事にも動じてはいけないと教え込まれた為に母親である公爵夫人の葬儀ですら涙を見せることができなかったという不憫エピソードまである。
そして公式プロフィールには友人が1人もいないとまで明記される始末。それがどうして処刑されなきゃいけないのか。そりゃあリリーローズ様強火担の護衛騎士も悪魔と契約してドラゴンに乗って復讐しに来るわ。私もリリーローズ様に救われたドラゴンと一緒に王都を火の海にしてしまいたいくらいだ。
しかし、それはゲームの中。私に出来るのはどれを選んでも同じ結果の選択肢を選び攻略対象にチヤホヤされることだけ。いや、気が狂うわ。あれだけ美麗なビジュアルの攻略対象達が本気で嫌いになっていく。にこやかに微笑まれる度に殴ってやりたくなる。数回は画面を包丁で刺しそうになった。どんなゲームだ、これ。
気付けばリリーローズ様には熱心なファンが増え、プレイ回数の多いオタクほど強火の傾向になっていった。
かく言う私もリリーローズ様教強火同担拒否ガチ勢で、何とかリリーローズ様救済ルートを探そうとゲームを無限にやり込んでも救われないリリーローズ様にそれでも幸せになってほしいと、隠しルートがないか徹底的にやり込んでは自らの選択で処刑されていくリリーローズ様を見てメンブレ、再び挑戦して精神崩壊を繰り返すという苦行から抜け出せず負のループに陥っていた。
ルート開拓が絶望的だと悟った私は、ゲームを飛び出してリリーローズ様を救うべく制作会社に抗議文を送りシナリオ改善を求め、SNSでリリーローズ様の素晴らしさを布教しつつ公式も非公式も関係なくグッズを買い漁り、アンチを悉く攻撃しては同担さえも私の愛に敵う者などいないと目の敵にするという、ヤバめのガチ勢になっていた。
そんな私がそのゲームのしかもヒロインに転生している。
これはチャンスだ。
前世で焦がれに焦がれ、全てを捧げたリリーローズ様。画面越しではどうしても救えなかった彼女を幸せにできる、これは神が与えて下さったこの上ないチャンスなのだ!
前世の記憶を取り戻して数分。混乱は過ぎ去り、私の心は燃えた。
ダリアとして生きてきた16年。ありがとう。前世の記憶、ありがとう。ダリアの記憶と前世の記憶を兼ね備えたこれからの私。よろしくね、応援するわ!
出発前は王都での新しい暮らしに胸を躍らせていた無垢で可憐な少女・ダリアは、こうして悪役令嬢を救うヒーローになるべく馬車を降りたのだった。