故髑
誰がこの欠落を埋められようものか。孤独は創作の友であるがゆえ、また、多くの人が表現をしようとしてきたのだろう。だが、行き着く先はどうしようもない欠落であり、埋めようと形を整形した蓋でさえ、どうしようもなく無力なのだ。
人世の定員が1人であるように、例え横切ったとして、それは合流を意味しない。読み名をこどくと言うが、それは本質を突いてはいない。所詮は完結したもの、因り多くの接食があったとて、裏表紙に描かれるは主人公のみなのだ。
網膜、蒙昧、もう良いかい。焼けた脳に話変えているのだろう、印を踏むのはただの産物が如く、箱の中の猫のように爬虫類は這っている。過去の船に話しかけて、どうだい私は別人かいと、鏡を見つめて問いかける。どうして理解されようか、誰がこの孤独を埋められようものか。
いったいどうして表現できようものか。骨の牢獄に囚われ、尚更に不自由な外側に、実在しないものを試みるのだろう。たかだか二色の、編を振るって、それで欠き表そうとしている。無いものを描くというには、どうしようもなく無力なのだ。
泥人形では無いという証明を、誰もが欲している。自らですら、それを持ち得ないことを何れだけ知っているのだろう。移り変わらぬ事はなく、自我が強固であるというも無い。より過固との繋がりが在ろうとも、思うは己のみなのだ。
降灰、後悔、こうでもかい。どれだけ思い悩もうと、所詮はタンパク製水袋。どうだい私の正体はと、シナプス、グリア、終末コドン。その何れでもないと吠える白犬、半導体かと、足下の崖に問いかける。どうして理解出来ようか、誰がこの答えを埋められようものか。
最終的に、眠るときは1人なんだ。そして、誰も起こしになんては来てくれないよ。残した足跡も風化して無くなって、それでも時計は休まず動く。だから、もう、良いんだよ。
何故なら、誰がこの欠落を埋められようものか。