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それから半年、ダネルは必死に仕事を探して懸命に期待に応えてきた。
今では沢山の信頼を得て、ダネルの為に仕事を用意してくれる者もいる。
「また寒くなるなあ……おいっダネル、使い古しだがウチに寄って毛布を持ってけ」
「!っ、あ、ありがとうございます、カミンさんっ」
「いいって、いいって。とにかく頑張れ」
中には自分を蔑む者もいる。でも日々戦っていれば助けてくれる人の方が多いことに気がついた。それだけでもダネルは胸を張って生きていけた。
まずは半年…連絡手段も無いが、もしかしたら『ルーにい』から何かメッセージがあるかもしれない。何のあてもないがダネルはルースを待っていた。
しかし生き残るための日々に忙殺され、気づけば2年の月日が流れていた。
ダネル14歳、それはルースがモーブレイに旅立った歳、当のルースからは何の便りも無かった。
それでもダネルは自分達が見捨てられたとは考えていない。たとえそうであっても仕方がない、どこかで『ルーにい』が元気に生きているならばそれで良いと思っていた。
手先も器用に使えたダネルは、町の石工であるイーデンにも気に入られた。
「ダネルよぉ、せっかくスジがいいんだからおまえ…弟子になるか?」
「え………」
「おまえがその気なら材料置き場の下小屋に住んでもいいぞ?」
それは突然目の前に現れた小さな人生の分かれ道…だった。
ちょっとずつ、手直しを繰り返しながら少しは住みやすくなっていた自分達の寝床も、イーデンの作業小屋に比べれば家畜小屋とも言えない代物だ。
何よりホリーを暖炉のある暖かい部屋で眠らせてやれる。すぐにでも飛びつきたいありがたい話なのだが…
「あ、あの…考える時間を、貰ってもいいですか?」
「ん?ああ…好きなだけ考えな」
イーデンはダネルの心中を察してニヤリと笑った。
そう、14歳になった時から…いや、ルースが旅立った日から考えていることがある。それはルースを追って自分も兵士に志願すること、そうなれば当然ホリーを連れ立ってモーブレイに行くつもりだ。
扶養する者がいる自分を受け入れてくれるかは分からないが、もし断られてもここよりは働き口もあるだろう…そんなことを考えてきたのである。
その為に暇を見つけては手作りの重たい木剣を振り続けてもいた。そしてマメだらけになった自分の手を見つめて握りしめる。
すると、突然イーデンが鼻息荒く目を血走らせてひとりの女を目で追った。
「うおーっ、なんてえ美人だ!ありゃあ…あれが噂の麗人か!?」
ダネルもつられてその姿を見たが…、
「……!?」
突然に、はじめて目にするその生きものをダネルは理解ができなかった。
(!っ……おっ…かねえ…)
女はすらりと美しい立ち姿で、まるで周りを気にせずに、いや、そもそも他の人間を意識の片隅にも置いていない、ダネルにはそれが分かった。
しかしその女だけに色がついて見えるのは、余りに濃いその存在感ゆえなのだろうか?
それに何故だか…悠々と歩くその姿を見ただけで全身が総毛立った。
(怖い…のか?いや、畏ろしい、のか?)
畏怖する感情に気づいたのか、女は離れていたにも関わらず明らかにダネルのことを見据えたっ。
(いい?なんだあれっ、同じ人間かあ?何で皆んな平気で見れんだ?)
一瞬、目が合っただけで冷や汗が吹き出したダネルはすぐに目を逸らしてしまう。
(…………)
そしてその様子を見ていた女は目をひそめた。
「あの…イーデンさん、あれはナニ…じゃあ無くて、誰なんですか?」
そう言われてイーデンは毒気を抜かれたようにポカンとしながら、
「ああ?そうか、そうかっ、お前もいい歳なのになあ…?まあいいや、多分…あの美人は町から大分東の方に屋敷を構えた謎の麗人さ。最近男連中の噂になってて、な……?あれ?たまに見かけた後は噂になるんだが…そういやいつの間にか皆んな忘れちまって……なんでだ?」
「忘れる?何ですかそれ…」
イーデンが言っていることもおかしな話だが、他の人達がその麗人を見る目と、自分が感じていることの大きすぎる違いにダネルの恐怖心はあおられた。
すっかり暗くなってからダネルは家路につく。以前に比べれば少しは稼げるようになり、考えたくはないがルースがいない分口も減ったことで生活は少しづつ良くなっている。
なによりホリーにひもじい思いをさせずにいられることが嬉しかった。
それにしても…自分は人外としか思えなかった『謎の麗人』のあの『目』……
今もトラウマのように脳裏に蘇って、冷たいものが頰をつたっていく。
(『あれ』を忘れるとかあるのか?何だろう…あの目で見られた時、自分の存在がとても小さく…ひどく頼りなく感じたのは…)
ただの恐怖とは違う。あまりに強い光に目が眩んだような、その存在になす術なく圧倒されていたような、ダネルにとっては戸惑うばかりの経験となった。
今だに整理のつかないそんなダネルに、抗うことのできない運命は突然闇の中から現れる。
「そこの坊や…」
「ひっ!」
その声にダネルの身体は硬直し、冬の北風に舐められたようにブルルと震えた。
なぜならそれは決して言い過ぎではなく、始めの『そ』の字を聞いた瞬間に、言葉の主が誰であるかを感じ取っていたからだ。
ダネルは声がした方へ身構えるように、体ごと恐るおそる振り向いた。
「私に話しかけられているのだからちゃんと返事をなさいな?」
自分を見ているのに見ていないその目、しかし卑下でも差別でも無い。面と向かって突きつけられたものは、生き物としての存在の違い…決して神や悪魔というわけではない、それだけははっきりと理解できるのだが…
「は、はい?」
女はしばらく黙ってダネルを見ていた。しかしじっと見つめ返せるほどの人間力も胆力もダネルは持ち合わせていない。
「たまにねえ…」
「?」
「あなたのように感の良い者がいるの」
何を言おうとしているのかは分からない。しかし自分の感じたものが間違っていなかったことと…もしかしたら今は危機的な状況なのではないか?
女の言葉にそんなことを直感した。
聞いてはいけない…こんな時、こんな人に絶対聞いてはいけないのに、自分の口を止められない…
「あ…あなたは、何者なんですか?」
その台詞に呆れたのか、何かをあきらめて静かな覚悟を決めたのか…女は目を伏せると微笑んだように見えた。
「あなたのような人間に…よくその質問をされるわ……そんな時…私は必ずこう答える」
(ま…じょ?)
真っ先にダネルの頭をよぎったが、女の答えは意外なものだった。
「それを決めるのは、あなた自身よ…」
「!?」
そう言うと、女はダネルの足元に一本のナイフを放った。
「!!」
「私はオリビエ…坊や、『名前は?』」
「だ、ダネル…っ。え?」
考えるよりも早く、自分の意思とは関係無く名乗ってしまった。
「そう…ダネル、私は何者?あなたの敵かしら?敵では無いのかしら…?そもそも人間かしら?…だとすれば正体を知られては困るのかもしれないわねえ……?」
足元で、見つめるナイフが鈍く光る。その光はダネルに決断を迫る。
「いずれにしても…そのナイフの意味が解るわね?」
「!」
冷や汗がダネルの全身を濡らした。戦えと言うのか?自ら命を断てと言っているのか?
(違う……?自分で決めろとこの人は言った…それにこの人は…)
「お、おれはダネル・モアっ。ま…毎日生きていくだけで精いっぱいで、血はつながっていないけど…守りたい妹もいる。だ、だから…おれに死ねる余裕なんかないんだっ」
「だから…おれは戦わないし…じっ、自分で死ぬのもいやだ!」
ダネルは自分の決意を込められるだけ込めてそう答えた。
女はダネルから目線を外すと辺りを見回す仕草を始めた。そして、女の視線が見えるはずの無いある一点に絞られると……
ダネルの顔からは血の気が引き、また奪われる恐怖に冷や汗が吹き出したっ。
ザザッ!
ダネルは即座に放られたナイフを拾い上げ、女の視線を遮るようにナイフをかまえる!
「やめろっ!」
女は少し驚いてから、楽しそうにダネルの姿を舐めまわした。
「あら…私はあなたが大事にしているモノを見てみたかっただけなんだけど…?ふふ…」
「た、たのむから…」
ダネルはホリーの命を乞うた。
「ええ…その答えは悪くない、悪くないわよ…ふふ、うふふふふ」
何がこの女を喜ばしたのか。何にしてもホリーのことは見逃してもらえたのか?ダネルはナイフをかまえたまま混乱していた。
「ダネル・モア…私はここから東、そうねえ…歩くと2時間以上かかるかしら…?その辺には私の家しか無いから、訪ねてきなさい。明日、私を探して…必ずねえ」
「え?」
そう告げると、たしかに目の前で対峙していたはずの人物が、瞬きと共に姿を消した。
わずかな香りを残して……
ダネルはその場で崩れ落ちた。身体は勝手に震えだし、喉がひりつく程に荒く冷たい呼吸を身体が求める。もうなんの気力も残っていない。
「しっ…死ぬと思ったあー」
「あ!明日、か?あした…ころされるの、かな…?」
だとしても逆らえない、抗えない。この運命からは逃げられない、なんでこんなことに自信があるのか、ダネル自身にも分からなかった。
(でもだったら、なぜ今は殺さなかったんだろう?……また違うっ!?…なぜ、殺されると思ったんだろう?)
やっと地に足が着くと、空を見上げる余裕ができた。