紳士
残りわずかになったビールを一気にあおりつつ、ジョッキの底越しに覗くぼやけた輪郭を眺めながら、こう見ればおじさんかどうかもはっきりしないし、老いも若きもたいして変わらないと、普段なら思いもしなければ思ったそばから否定するだろう馬鹿げた思いつきに、酔いからかそれとも彼女自身にすら知られないまま密かに眠っていた優しさからか、心から頷きかけている自分を見つけて、彼女は覚えず緩んだ口もとをそのままにジョッキをテーブルへ戻しながら目の前の男を見つめると、やっぱりおじさんと呼ぶほかない中年男がこちらへ視線を投げている。往時はそれこそ異性から放っておかれなかったにしても、もう目元の皺を隠せないでいるその佇まいに、彼女は間違っても自分が惹かれようとは思わない。ただし、それとこれとは話はべつであるのも分かっていて、惚れた腫れたで動けるほど若くもなければ純粋でもないと、なぜかしら今日にかぎって自分を貶める言葉が頭をめぐるのを、押さえつけようとするよりむしろ遊ばせて楽しみつつ、音域を彼との会話よりもう一つ高くして、すみません、と店員を呼びかけざま、ビールでいい? と相手に確認しながら、次はハイボールにしよう、と心でつぶやく。注文は決まっていながら店員が来るまでのわずかな隙を縫って、ソファーに投げ出されたメニューを拾って指でなぞろうとする折からアルバイトらしき女性店員が寄ってきた。ビール一つと、ハイボール一つください、と彼女が言い終わらぬうちに、あ、俺もそれにしようかな。そうする? じゃあごめんなさい、ビールをやめて、ハイボール二つください。彼女が頼むのを女の子が復唱しつつ何気なくこちらの雰囲気を窺っているのを知りながら、若いっていいな、とそんなに年は変わらないはずなのに、この年頃の一年一年の重みを身をもって知り始めている自分が一気に老けて、今じゃもうおばさんになってしまったと、すたすた立ち去ってゆく女の子を羨望のまなざしで見送りながら身震いした彼女が思いを振り払うべく顔をもどすと、そこには未来の自分の行き先が示されている。びくっと目を逸らしながらたちまち息が詰まるとともに、きゅっと憐れみがこみ上げてきて、今日いきなりは許さないにしても、もしかしたら次は。そんな言葉を胸で味わいつつある彼女のまえでは、いまだ古びない紳士がジョッキを傾けている。
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