ただいま、現実よ
異世界ギオス、剣と魔法の国。
前世では益体もない死に方をした僕は、僥倖なことに異世界ギオスに転生した。
それも帝国制度の国の、皇帝の長子として。
前世では自分のヒエラルキーの低さを嘆いていたけど。
転生してみれば国の最上位になり、逆転現象を巻き起こしたのだ。
――っ。
……天井の雨漏りしている箇所から水滴が落ちて来た。
「看守、天井の雨漏りが拡がってる。修理して欲しい」
「……」
錆を伴った鉄格子越しに雨漏りの修理を看守に訴えかけた。
幸運なことに、僕を四六時中監視している看守は全員女性だ。
「雨漏りの修理ですか……まだ大丈夫でしょう」
看守の一人である読書家のドリーは、本から目を一切離さない。
近視用の眼鏡を掛けて、髪も動きやすいようミディアムにまとめて。
看守用の椅子に姿勢よく腰掛けるその姿はまさに軍人然としている。
「せめて一目見てから太鼓判押してくれよ」
「見るまでもないでしょう、貴方を監視してこれで何年目だと?」
……気が狂いそうだよ。
皇帝の長子として生まれたはずなのに、僕は暗い檻の中にずっと幽閉されていた。
どうしてこうなった? と自照していると。
「私だ、入るぞ」
「これはリュラ陛下、と言うことは今日はベガ様のお誕生日でしたか」
僕の父、皇帝リュラが様子を見にやって来た。
父がやって来るのは決まって僕の誕生日であれば。
どうやら僕は今日を境に十六歳になったようだ。
「……父上、僕はいつになったら解放されるのでしょうか」
懇願するよう父のご尊顔を覗っても、彼は眉根を動かさない。
携えた白い毛髪は気品に溢れ、装飾品も豪奢な代物だ。
一方の僕はぼろ雑巾の匂いがする薄手の布を纏っているに過ぎない。
「ベガ」
ベガ――と皇帝である父は口にした。
異世界ギオスで、僕が授かった名だ。
「聞いた所によると、お前は動物の言葉が解るらしいな?」
「ええ、ですがそれが何か?」
「素晴らしい力だ。その力を使って何が出来そうだ?」
……この人、頭悪いな。
動物の言葉が解った所で、何もなりやしないのは想像つくだろ。
「そうですね、動物と言葉を交える能力のおかげで、僕は大切なものを知り得ました。人と動物は共存し合える、大切な仲間だと」
「……」
極端にうそぶくと、父、リュラ皇帝は僕に蔑視を向け始めた。
ああ、まただ。
この人はまた、去年と同じ台詞を言って、ここから立ち去ろうとしている。
これ以上はもう、僕は堪えられそうにないもので。
「……ぶっ殺してやる」
「貴様、今何と言った!?」
「何てって、ぶっ殺してやるって言ったんだよ」
手っ取り早く、皇帝への殺意を口にした。
このまま口汚く罵ってもいいのだが。
「ふぅ……ベガよ、貴様をここから出してやってもいいぞ」
父、リュラ皇帝は僕を牢屋から出してくれると言う。
「信じられないな、だったら今すぐ牢屋の錠を外してくれよ」
「いいだろう」
と言い、父は懐から鍵らしきものを取り出した。
「……父上、僕は何が原因でここに幽閉されていたと言うのですか」
「大人の世界には色々とあるのだ」
「そうですか」
その説明だけで、納得するはずもない。
けど、長いこと牢屋に幽閉されていた僕は、皇帝に抗う力がないもので。
牢屋の錠が開かれ、差し伸べられた父の手を取ると、伝わって来た人の温もりに感激した。
「長い間、辛い思いをさせてすまなかった」
「陛下! 本当に宜しいのですか!?」
「お前の名前は何と言ったかな?」
「私は監視役として一昨年より着任しました、ドリーと申します」
ドリーは父の行動を止めようとたてつく。
「どうやら貴様は私の考えに、異議を唱えたいようだな。痴れ者が」
「そういう訳では御座いません」
「ならどのような理由を以てして止める?」
父から言及されたドリーは、口を噤むしかなかった。ドリーや、他の看守が僕を幽閉する理由を知っているのなら、僕がそれを盗み聞く機会はいくらでもあったはずだ。
「俺に歯向かった罰を貴様に与える」
「……何でしょうか?」
「貴様は以後、ベガと行動を共にし、折を見て帝国に報告しろ」
――俺の息子、ベガが何を見聞きして、どう成長したのか。
「貴様が出来得る限り、俺に息子の様子を報告するんだ」
皇帝から命じられたドリーは乱していた姿勢を整え。
「は! 例え私の命が燃え尽きようとも、ベガ様の近況をご報告差し上げます」
美しい敬礼を以て、命令に準じるように肯定した。
「では、俺はもう行くぞ。国の内政をせねばならない」
「……待ってください、父上」
立ち去る父の後を追うように、僕も外へ抜け出た。
――眩しい。
外に瞬く陽光の煌めきが、慣れてない僕の視界を焼き焦がす。
瞼の上に手をかざし、陽光を遮る影をつくっていると。
「……見よ、ベガよ」
父、リュラ皇帝は遥か澄み渡る、草の匂い薫る丘陵からの光景を指した。
「これは」
僕達に続いて出て来たドリーがその光景を見て目を丸くしている。
父が示唆した方向には、沢山の野生動物が群れを成していて。
「ベガよ、こやつらはお前の友人か?」
「……そうだと思います」
すると、群れの中から一匹のフェネックが僕に近寄り。
彼は僕にだけ分かるように「おかえり」と告げる。
このような絶景を見れたからと言って、腐敗した心は晴れない。
例えこの先、僕がもう一度この光景を求めたとしても。
それは一時の感傷にしか過ぎないだろう。
「……ただいま」
ただいま、現実よ。
前世から受け継いだ大望を、果たす時がようやく巡って来た。