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カエシビト  作者: 居留守五段
7/10

回想 4

「どう思われますか?」


視線は死骸に向けたまま、解体作業を続けるエトリが不意に感想を求めてきた。


困ったことに、その声に特別な感情は見当たらず、ただ淡々とした短い問いかけだったので、彼女の真意が汲み取れず、俺は答えに窮する。


「どう思うって、…その……、ウウン」


(俺はこれを見て何と思うことが正しいのだろう?)


目の前に映る光景は、俺にはどうにも理解し難く、口から出たのものは唸り声のみだ。


肉体労働には不向きな線の細い女性が、明らかに持て余しそうな肉厚の刃を、二刀持ちで上等に扱い、幾らかの返り血を浴びながらも物怖じすることなく淡々と解体する光景。


そして、その最中に彼女が物言わぬ死骸に向けて語りかけるようにして送る視線。


その眼差しは、悲しいようで、優しいようで、苦しそうにも見えて、刻々と危うく揺らいでいて安定せず、死した者への敬いや労い、慈しみ、そして自身が死骸を弄ることへの罪悪をも含んでいるように映る。


彼女の素性を知らぬ者が見ると、一種異様な光景に映るだろう。


カエシを生業とすることを知る俺ですら、奇っ怪に見えるほどだ。


ただ、この行為が良い悪いなどといった通念的な物の見方は横に置いておいて、思ったことは、彼女が見事に刃を振るう仕事っぷりと、儚げな眼差しに見惚れてしまったということだ。


それらの有り様が、ただ美しく映ったのだ。


「……」


しかし、この感想は彼女が求めた質問の真意(こたえ)とはかけ離れているような気がして、結局、彼女の問いに答えることは出来なかった。


沈黙が流れるなか、作業の手を止めない彼女が振るう刃が時折ドサリと肉を切り落とす音と、真横に強く凪ぐ春疾風(はるはやて)が一年草のススキを揺らし、穂先が擦れ合うザァザァという音がやけに大きく聞こえる。


彼女も結局、沈黙を守る俺に答えを催促することはしなかった。






ドスッ!ドスッ!


長らく見届けたのち、エトリが動きを止めて両手のククリナイフを柔らかい土に突き立てて、ふう、と息をつく。


その息には安堵がこもっており、顔つきも作業前のものに戻っている。どうやら解体作業が終了したようだ。


「エトリさん、荷台へは俺が運びます。その間休んでて下さい」


解体されたセカントベアーは、俺が運搬を買って出て、彼女には少し休憩をしてもらうよう申し出た。

 

彼女は少し上がった息で、「では、お言葉に甘えて」といい、その場の手頃な石に腰を下ろすとククリナイフを土から抜き、刃に着いた色々な汚れを布切れ(ウェス)で拭き落として手入れを始めた。


「さて、よいしょっと!」


大雑把に毛皮を掴んで持ち上げてしまえば楽だが、それだと彼女が丁寧に行った仕事を台無しにするので止めておき、ひとつひとつの部位を両手で下からすくうように持ち上げ、腕に抱きながら、防水シートを広げたリアカーへ丁重に積み込んでいく。


(案外、重いなこれは)


運び方のせいもあると思われるが、頭部と胴体が特別に重く、その身に詰まった肉や骨や臓物が持つ単純な質量以上の重さを感じる。


まるでこのセカントベアーが生きていた間に蓄えた諸々の事柄が重みとなって、その身に閉じ込められているかのようだ。


そう考えると、敬意を払わずにはいられなくなり、一層丁寧に作業を行う。


たちまち、体が暑くなり着ている合羽と手袋の高い密封性のせいで汗が一気に吹き出てきた。


「重いですか?」


傍で休憩を取るエトリが、唇の端をキュっと上げて可愛らしいえくぼを作る。


「ええ、めっちゃ重いです。よく聞く話だと、魂が抜けて軽くなるとかありますけど、あれはウソっすね」


顔を伝い落ちる汗を拭き取ることが出来ないことがもどかしく、首を落ちつきなく振っていると、エトリが腰を上げ、ハンカチを取り出して顔に着いた汗を拭ってくれた。


「ふふ。確かにそうかも知れません」


覗き込むようにして顔を近づけて丁寧に拭いてくれるので、ドキリとする。


「あ、ありがとうござい、ます」


洗濯糊で、皺無く清潔そうなハンカチはパリっとした肌触りで、ほのかに洗剤の匂いがした。


「ところで、コゥスケさんは生き物を弔ったご経験がおありですか?」


覚束ない手つきで必死に作業をする様子を新鮮に感じたのか、ニコニコと見守るようにしてエトリが訊いてくる。


「ええと。長年飼っていた犬が死んで、庭に埋めて墓を作って手を合わせてやったくらいですね」


俺がいうと彼女は大きく頷く。


「弔うということは、死んだ者を慰めると同時に、残された自身をも慰める意味もあると思います。繋がりが長い、もしくは深いほどその行為は意義のあるものとなりましょう」


「ええ」


「しかし、私たちがお役目として行っているカエシは、その殆どが何ら繋がりを持たなかった生き物を葬るだけとなります。名前の通り死骸にしかるべき処理をして土や水に(カエ)してやるだけです」


「そこには何ら感情が無いということですか?」


さきほど彼女が見せた感情の波のような眼差しが何だったのか気になり、穿った聞き方をしてしまう。


「無いというと少し誤解があります。確かに、そういった役割のお仕事ですので、時にはあえて感情を捨てたまま業務を果たすということもありましょう。わたしだって死んだ者の魂を救ってやるだとか大仰な気持ちを持ち合わせてはいません。しかし、事実としてわたしはこの仕事をして金銭を受け取り、命を繋いでいます」


「となると、エトリさんはどういった気持ちで仕事に当たられてるんですか?」


「感謝です。死んだ者に向ける気持ちでは無いかもしれませんが、カエシを執り行う繋がりを持ったことにより私は生きながらえていけるわけですから。そのことにお礼の気持を持つのです」


そう語りながらも、エトリの表情は複雑で、淡々とした語り口とは別に、他にも何かしらの想いがあるように感じ取れた。

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