5『選択』
翌日、彼方は病院で再検査を受けた後に夏々莉の病室に顔を出した。
お土産に持っていた巨峰を大層気に入ってくれたらしく、満面の笑みで頬張る彼女を見ていると彼方まで嬉しくなっていた。
「それじゃ、母ちゃん待たせてるからまたね」
簡単に挨拶を済ませ夏々莉の病室を後にする。
扉を閉め廊下を歩き出そうとしたとき、
「新藤彼方君、ですか?」
ふと背後から男の声がした。
「あ、はい。そうですけど……」
彼方も振り返りそう答える。
黒いスーツを身に纏い紳士のような風貌だった。
「え〜と、どちら様で?」
「おぉこれは失礼」
男はそう言うと懐から名刺を取り出す。
「私、SEEKERのお偉いさんです」
彼方は名刺を受け取る。そのまま顔を上げると、男は口を大きく開けた笑顔でこう告げた。
「黒詰鞠徒と申します。以後お見知りおきを」
目が死んでいた。
なのに、正体不明の威圧感が彼方を襲う。
全身が鳥肌になったような感覚を味わいつつも、できる限り平常心を保つ。
顔に出てないことを願う。
「マシンに襲われたとお聞きしました。本当に無事でよかった……迅速に対処できず、申し訳ございませんでした」
「い、いえそんな……助けて頂いたから今こうして自分の足で歩けているんです」
物腰は柔らかだ。先程よりも威圧感も控えめになっている。
彼方は目をそらしながら頭を下げた。
「こちらの方こそ、ありがとうございました」
「遥さんの弟君ですよね?」
矢継ぎ早に質問を投げかけてくる黒詰に、表情が崩れそうになる。
なんなんだこの男は。
しかし感情を押し殺して彼方は返答する。
「姉をご存知で?」
「昔共同研究を行ったことが。姉君のことは残念に思います……我々としても優秀で人望のある同胞を失ったことは本当に悔しいことでした」
「……姉はどのような研究をしていたんですか」
黒詰はグイッと顔を近づけ耳打ちをするような姿勢をとった。
この男、本当に気味が悪い。
「君のお姉さんはとても優秀な科学者でねぇ。我々が打ち倒しているマシンと戦うためには従来の兵器では効果が薄いのは知ってるよね?」
「マシンの特性である『侵食作用』です、よね。あらゆる衝撃を軽減、もとい運動量のある物質の質量を『破壊』するという」
「物知りじゃないかぁ。流石は遥さんの弟君だ」
「…………」
おっと失礼、と黒詰は飄々と呟き彼方の背後に回る。
「奴らを倒すためには特別な武器がいるそう奴らの鋼鉄の皮膚を突き破る武器がッ! 我々は遥さんの研究成果を活用し対マシン用武装を開発したッ! 万能の願望を叶える人工素粒子『S粒子』が刃となり銃弾となり奴らを駆逐する力となっているわけだ」
(S粒子……)
初めて聞く単語だった。
学校の授業でマシンの性質や活動傾向、万が一の場合の対処法などは学んでいた。しかし肝心のSEEKERについては特殊装備でマシンの駆逐を可能にした組織ということしか知らない。
阿良節が言っていたのはこれのことだろう。遥の遺した科学に近付いていくことが偶然だとは思えなかった。
一人で納得する彼方の顔を、後ろから黒詰が覗き込む。
「だが彼女は一つ大切なものを無くして逝ってしまった。S粒子を人の意思で自在に操るハードウェアを。私達は血眼になってそれを探したが結局見つかることはなかった……」
足音を少し大袈裟に立てながら彼方の周りを周り、正面に立つと両手で肩を掴んできた。
「零と無限の管轄。君、知ってるだろ」
血走った眼で彼方を見つめる黒詰。恐怖以外の何者でもない。
直感が強く訴える。
「……初耳ですね」
しらを切れ。
無知を装いやり過ごせ。
力は込められていないのに肩に置かれた手から酷い重さを感じる。
そこから無限のように感じる時間の後、黒詰はこう答えた。
「そうか、すまなかった。私の早とちりだったようだ」
彼方の方から手を退けると、黒詰は踵を返した。
「それでは失礼。体、お大事にね」
コツコツと足音だけが響き続け、黒詰の姿が見えなくなるまで彼方は気を抜くことができなかった。
少しの沈黙の後、
「はぁぁぁぁぁぁあ……」
彼方は腰が抜けたように座り込んでしまった。
背中まで汗がびっしょりだった。帰ったら速攻お風呂に入ろう、そう思った時。
「ん? メール?」
昨日の逃走中に落として画面がひび割れたスマートフォンが通知を知らせた。
差出人は阿良節香波。どこからメールアドレスを入手したのだろうか。
件名は空白で、本文に一言。
「明日、病院の横にある喫茶店でお茶しましょ♡」
と、書いてある。
「なんなんだ……」
頭がこんがらがってきた。
正直なところ、この阿良節も信用していいのか分からない。SEEKERはマシンから市民を守ってくれる組織ではあるが、内部の人間は私利私欲にまみれた人物しかいないかもしれない。
(あの黒詰とか言う人は俺に零と無限の管轄が発現したことを知らなかった。つまり阿良節って人とは繋がりが無いのか……? それとも、俺に零と無限の管轄が発現したことを隠してる……?)
少なくとも今は阿良節からの情報が欲しい。怪しさはあるとはいえ、黒詰よりは信用できる人間だ。
そこまで考えて自分がやけに冷静であることに気がついた。昨日の出来事で感情の回路がおかしくなったのだろうか。
(まぁテンパって一番良くない展開になるよりましか)
彼方は「奢りでお願いします」とだけ返事をし、長らく待たせている母親の元へ急いだ。
翌日、メールで指定された喫茶店に向かうと、阿良節と一緒に夏々莉が座っていた。
昼過ぎの時間にも関わらず、店内にいた客は彼らだけであった。
「来た来た。彼方君、こっち」
彼方を見つけた阿良節が手招きをする。横で微笑む夏々莉を横目に、彼方は気を引き締めながら席に着いた。
「スマホの電源は切って」
阿良節も夏々莉と同じく笑顔を浮かべながらそう促す。それに従い電源を切ったスマートフォンを机の上に置いた。
「今日は完全にオフの状態だから安心して。警戒しないでいいよ」
こちらの心情を察したのか阿良節は穏やかな口調でそう告げる。
「警戒してるって分かってたんですね」
「遥から色々聞いてたからね。そもそもメチャクチャな状況で、メチャクチャなことを言ってるのは重々承知してます」
「だったら言わせてください」
彼方はあくまで柔和に、しかし強かに言う。
「SEEKERという組織が俺に取り付いたハードウェア……、零と無限の管轄を必要としていることは分かりました。阿良節さんは組織の有権者として、木舘さんは自分の目的のため。そしてこのハードウェア……いえ、もう『力』と言いましょうか。これは俺達の街を蹂躙するマシンを倒すための強力な力になる。俺だって奴らは憎んでも憎みきれない程の恨みがあるし、それと戦う力が手に入ったのなら止められたってアイツらを滅ぼすために助力したいんです」
彼方は拳を強く握りしめながら阿良節と視線を合わせる。
「だけど、正直怖いんですよ……。零と無限の管轄がこの身に宿ってからやけに感情をコントロールできるようになって……」
「…………」
彼方の震えそうな声に、阿良節も夏々莉も返す言葉が見つからない。
「ただのクラスメイトの女の子がマシンと戦う戦士だった上に、死んだはずの姉と同じ姿の女の人がその組織の幹部で、その姉が遺した力を俺が受け継いだんですよ……ッ? 正直こうやって椅子に座ってあなたと話せること自体、自分でもおかしいと思ってるんです……」
「新藤君……」
「あ、いや、隠してたことは別にいいんだよ。守秘義務みたいな理由があるんだろうし。俺は二人を責めるつもりは毛頭ないので」
改めて阿良節の方に向き直る彼方。
彼の瞳は潤んではいなかったが、何故か少し悲しそうに見えた。
「それでも、自分の得体のしれないことが起こってるというのは怖いんです。阿良節さん、まだ話してないことあるでしょ? もし話せるならちゃんとここで話してください」
深く息を吸い、心を十分に落ち着かせてから言葉を紡ぐ。
「刀身の見えない刃を、知識無くして振るいたくはありません」
「彼方君」
阿良節の目は笑っていた。
「もう少し、周りに気を使ってほしいな」
その言葉に彼方は思わずハッとする。
零と無限の管轄自体、SEEKERの機密情報なのでは無いだろうか。それを他に客はいないとはいえ、公の場で小さくないボリュームで喋るのはまずかったに違いない。
いくら喜怒哀楽をコントロールできるからといって配慮が出来なければ人を困らせるだけだ。
すいませんと頭を下げようとした時、背後に人の気配を感じた。
喫茶店の店員が三人、彼方を囲うように立っていた。
(…………ッ⁉︎)
騙された、と直感で感じた。
やはりこの女も自分を利用しようとしただけに過ぎなかったのだろうか。
しかし状況は悪く、かつて共に戦った友人も腹の底がしれないと来た。
最悪、自分が不利になるような条件だけは飲まないようにしないと――――――。
そんなことを考えていると。
「……んふふッ」
夏々莉が吹き出すように笑い出した。
それを聞いた阿良節は、
「んもう! 夏々莉のバカ! いい感じだったのになんで笑うかなぁ!」
と喚き、彼方の後ろにいた三名も呆れ笑いを浮かべていた。
「え……?」
わけがわからない。一体何なのだ。
困惑に満ちた彼方の顔を見て、阿良節はその答えを語り始めた。
「紛らわしい真似をしてすまないね。後ろの3人はSEEKERで私が信頼をおいている優秀な仲間さ」
「え……?」
困惑し過ぎて同じセリフを返してしまう。
「何のつもりだ?」
そう呟いてから自分の言葉に驚く彼方。衝撃的過ぎて思考がそのまま言葉に出ていたのだ。
それを聞いた阿良節は気にする様子も無く一言。
「私、起業するつもりなの」
途端に店員のうちの一人が吹き出した。
「ハッハッハッ! おいおい香波ちゃん、ものは言いようだなぁ」
「もう、槍史君ったら。変な言い回しだったけどそんな笑わなくてもいいんじゃない?」
「いやぁワリィ」
槍史と呼ばれた男は踵を返しキッチンに戻っていく。
彼の背中を見送り、阿良節は再び口を開いた。
「今ここには私が本当に信頼する人間しかいないの」
その瞳は彼方を真っ直ぐに見つめる。
「私はこの腐ったSEEKERを解体させ、新たなマシン対策組織『JOKER』を設立させる」
あまりに真っ直ぐすぎて、視線を外すことができない。
「その糧になるのであれば、君の望むものは全て捧げよう。彼方君」
決断が、迫る――――――。
あけましておめでとうございます。
今年もコツコツ投稿していこうと思います。
どうぞよろしくお願いします。