4『引かれたレール』
「ひんほうふ〜ん!ふひはっはんはへ〜!」
扉を開けると全身包帯まみれの夏々莉がこんなことを言うもんだから、彼方はズッコケそうになってしまった。
「喋るまで回復してるとは聞いたけど、言語能力を失っていただなんて……。俺を守るために体を張ってくれたから……うぅっ」
「な! ちゃんと喋れるよ‼︎」
口を覆う包帯を取ってハキハキと喋る夏々莉。
体中傷だらけの姿は痛々しいもの、威勢よく話している姿を見て。
「でも、本当に良かった」
彼方は思わずそうこぼしていた。
「君の勇気のおかげだよ」
彼方の目を見つめながら夏々莉は答えた。
「「………………」」
暫しの沈黙の後、先に口を開いたのは夏々莉だった。
「なんか小っ恥ずかしいね……」
えへへ、と笑う彼女に向かい彼方は恥ずかしさを取り払う気持ちで問いかける。
「そういえば、俺に何かあったら全部終わりだって言ってたけど……あれってどういう」
「あ、あぁ。それね」
少しバツの悪そうな表情の後、夏々莉はその答えを話し始めた。
「零と無限の管轄」
彼方はその言葉で体が反射的にビクッとしてしまった。
運命のレールが敷かれ始めている感覚さえした。
「私の弟ね、あの災害が起きてからまともに動けない体になっちゃったんだ」
「…………」
「新藤君のお姉さんの話は聞いてるから、それと比べちゃうとだけど……それでもいつかはお天道様の下を走れると信じて、私はSEEKERで戦っているの」
「木舘さんが戦う理由は、弟君の仇討ち……?」
夏々莉は首を横に振った。
「取引のため」
「取引だって……ッ⁉︎」
そこで夏々莉が口の前に人差し指を立てていることに気付き口を噤む。
一応気を使って部屋の鍵を締め、なるべく小さな声で聞こえる距離まで近付く。
「気が利くんだね」
「どういたしまして」
と軽く返し、彼方はあくまで冷静に尋ねる。
「脅されている、若しくは利用されている。その状況を打破するために俺に発現した力が必要ってこと……だよね? たぶん」
「お見事。大正解だよ新藤君」
俯いて悲しそうに笑う夏々莉にいつもの面影が無かった。彼方も見ていて辛い気持ちになってしまいそうだった。
だからと言って二つ返事で協力すると口にすることはできない。彼方自身も自らが置かれた状況を把握しきれていないのだ。
そこで彼が考えたことは。
「木舘さんの頼みなら何でも聞いてあげたいところなんだけどさ……今日は色々あって疲れちゃったから、また今度詳しく教えてくれない?」
それを聞いた夏々莉も、
「あ……そ、そうだね。ごめん」
疲れが溜まった状態で暗い深刻な話をしても良い答えが出ないと判断したからだった。
「もう体は大丈夫なの?」
話題を変えるつもりで彼方は聞く。
「う〜ん、痛みは引いてきたけど流石にまだ歩けないかなぁ。少なくとも2日は入院してると思う」
「そっかぁ。それじゃお見舞いに来ないとだね」
「うんうん! 私巨峰が食べた〜い‼︎」
「食い意地張ってるな〜」
他愛もない会話をしているうちに夏々莉の笑顔が戻って来た。つられて彼方も嬉しくなってくる。
しばらく談笑して気付けば時刻も午後10時を回っていた。
「そろそろ帰らないと。母ちゃん達が心配してる」
「そうだね。ちゃんと無事だってこと連絡してから帰んなよ?」
「もちろん」
荷物をまとめて夏々莉に挨拶をし部屋を去ろうとした時。
「新藤君!」
夏々莉に呼び止められた。
なんだろうと思い振り返ると。
「今日は本当にありがとう! すっごくカッコよかったよ!」
満面の笑みでこう言われたもので、彼方のハートはいとも容易く射抜かれてしまった。
「あ、うん……それは良かった……じゃね」
顔が赤いのをバレないように部屋をあとにする彼方。
結局病院をあとにするまで胸の鼓動は早まったままであった。
家に帰ると玄関の前でグシャグシャの顔で泣き崩れていた母親と、酷くやつれてゲッソリとした父親が出迎えてくれた。
母は何度も
「彼方のバカッ!」
と罵りながら強く抱擁し、父も
「本当に良かった……ッ!」
そう言いながら頭をワシワシと撫でてきた。
愛されてるなぁ、という気持ちと同時に心配かけて申し訳ないという気持ちが同時に湧き出てきた。
その気持ちをただ一言。
「遅くなってごめん」
そう二人に伝え、彼方は家に入っていった。
「きっと、遥が守ってくれたのよ」
零と無限の管轄に関しては伏せながら今日の出来事を話すと、彼方の母・新藤紫鏡は家の仏壇を見ながらそう言った。
「俺もそう思う」
事実、彼の窮地を脱したのは遥から受け継いだペンダントを肌見放さず持ち歩いていたからだ。
もしそれが無かったら、少なくとも二人のどちらかは無事では済まなかっただろう。
「明日もまた病院に行くのか?」
ソファーに座り込みテレビを見ていた父・新藤遠也が首だけ振り向き尋ねる。
「まぁ、一応の検査のためにね」
「何にもないといいな」
「そうだね……」
遠也は再びテレビに振り返った。
流石に摩訶不思議な力に目覚めましたと言うわけにはいかない。
時刻は午後11時半過ぎ。
一日の密度は大変濃いものだったが、彼方は遅すぎるもいつもと変わらない夕食を取り、いつも通り風呂に入って、そしていつも通りベッドに向かった。
「頭を使い過ぎたから」という言い訳を多用したにも関わらず、今日起きたことと自身に発現した力について考えずにはいられなかった。
脳波に反応して脳内のイメージを具現化する素粒子。
それを人の体で制御するための零と無限の管轄。
あのとき自分たちを包囲していたマシンを一掃したのはおそらくこの力だ。
マシンを制御したのだろうか。彼方本人にそのような感覚は無かった。制御するというよりも霧散させる感覚の方が近い。
そもそもあのマシンが誰かの頭の中にあるイメージを具現化したものなら、一体それは誰なのだろうか。
その人物はどうやってマシンを生み出す? 彼方と同じく零と無限の管轄を所有するのか、それとも専用の装置などがあるのだろうか。
――――――阿良節香波と名乗った女性を信用していいのだろうか。死んだ遥の姿を借りて彼方に接近するなど明らかに怪し過ぎる。
彼女の語った情報はどこまで真実なのだろう。全て嘘という可能性だってある。
今分かることは、零と無限の管轄は間違いなく彼方に発現したこと。クラスメイトの木舘夏々莉と共に死闘から生還したこと。
そして、阿良節と夏々莉の二人が零と無限の管轄を必要としていること。
不思議と巻き込まれた気持ちにはならなかった。
なるべくしてなった気さえしていた。
しかし――――――。
「ああああッ! 頭痛くなってきた……」
彼方の疲労もピークに達していた。
思考を放棄してベッドで横になる。
(明日は学校休みだし、明日ゆっくり考えりゃいーや)
そうして彼方は目を瞑る。
深呼吸をしばらく続けていると、いつの間にか深い眠りに付いていた。
2087年11月13日。
新藤彼方はクラスメイトの木舘夏々莉と共に神出鬼没の殺戮兵器「マシン」と敵対し、「零と無限の管轄」を発現させこれらを撃退した。
マシン対策組織「SEEKER」は、喉から手が出るほどほしいこのハードウェア使用者を前にし、幹部の阿良節香波、戦闘員の木舘夏々莉の二名が新藤彼方への協力を任意で求めるも、疲労が限界を迎え返事は日を改めることになる。
4年前の大災害「マシンナーズ・カラミティ」を境に特別隔離区域に指定された近畿地方。防壁で囲まれたこの地域からは出ることは許されず、また入るものは一生出ることができない。
未だに復興は完全には進んでおらず、ところどころにマシンの痕跡が残ったままになっている。
それでも隔離区域に住む人たちは前向きな営みを心がけ今日まで生きてきた。彼方も姉の死を乗り越え、前向きに生きようと努めてきた。
しかし再会は思わぬ形で訪れる。マシンと戦うクラスメイト。姉の姿を騙る女性。そして姉から託された形見。
嫌でも全てを思い出し、そして新たな前進を要求してくる。
彼方は夢の中で、この言葉を思い出していた。
『今思えば、あれは必然だったのかもしれない。予兆はすでに始まっていたのだ。』