2『零と無限の管轄』
「新藤君大丈夫ッ⁉︎」
「き、木舘さん……ッ?」
返事を聞く前に夏々莉は彼方の腕を取りその場から飛び退く。
金属の軋む音と同時に元いた場所へマシンが噛み付いていた。真後ろにあった金網が蜘蛛の糸のように引き裂かれる。
(あ、あぶなかった……)
「危機一髪ぅッ! あーやばい冷や汗出てきた‼︎」
彼方の前に立ち塞がり不敵に笑う夏々莉。言葉とは裏腹に余裕は無さそうだ。
喰らった金網を咀嚼し尽くしたマシンがこちらを向く。鈍い眼光で獲物に狙いを付け、ゆるやかな歩みで近付いてくる。
「新藤君、私から離れないでね。事情は後からいくらでもお話するから」
「命の恩人に追及はしないよ…… 倒せるの? アイツを」
翠色に輝く盾を構え、夏々莉はこう答えた。
「命は賭けるよ」
額に汗を滲ませた彼方は静かに返す。
「……死ななきゃ勝ちだ」
夏々莉は驚き振り向く。とてもか細く震えていたが、力強い言葉。
同じぐらい冷や汗を流す彼方から出たセリフだった。
「間違いないや」
それを聞いた夏々莉はニカッと笑う。お互いに精一杯の強がりだった。
夏々莉は目前の敵に向き直ると、構えた盾を振りかぶりブーメランのように投擲する。
マシンはそれを叩き落とそうするが、盾は回転を更に増していき、敵の胴体まで突き刺さる。
怪物の動きが、止まった。
「走ってッ‼︎」
夏々莉の掛け声と共に二人は駆け出す。
目指すは最寄りのシェルター。そこまで駆け込めばひとまずは安心だ。
「こちら夏々莉です! 救護対象を保護、最寄りのシェルターまで避難のため護衛を続行しますッ!」
通信を切った彼女は少しスピードを緩め、現在地の確認をする。
「マシンは出現してから1時間が活動限界。それまで耐えきれば自壊を始めるの。他のSEEKERの隊員達も現場に到着してるから、あともう少しで――――――」
夏々莉は言葉を遮り、何もない宙に先程の盾を出現させる。同時に少し腰を屈めて戦闘態勢に入った。
耳につけた通信器からピピッと音がなる。夏々莉は無言で頷き、最後に
「……了解」
とだけ答え再び通信を切った。
「ごめん、新藤君。謝らなくちゃいけない」
「い、一体どうしたんだよ……?」
急に深刻な顔になる彼女に、彼方は不安そうに聞き返すしかできなかった。
だがその答えはすぐに分かることになる。
突如真後ろのマンホールが跳ね上がり、自動販売機の上に落下した。
時を同じくして、目の前の曲がり角にある電柱が根本から折れ、住宅の塀に叩きつけられた。
地下と曲がり角。
どちらも死角になっているところであっても、彼方は直感的に感じていた。
死が現れる、と。
「――――――囲まれた……ッ!」
一息の間に360度全て、マシンが立ち塞がっていた。
絶体絶命とは正しくこのことを言うのだろうと、彼方は飛びそうになる意識を何とか保ちながらに思った。
全身を強烈な吐き気と悪寒が襲う。激しく震える足を手で押さえつけ、彼方は夏々莉の方を向いた。
彼女もまた震えていた。目前の絶望を前に、人並みの感性で恐怖を感じていたのだ。
だが彼女は首を大きく振り、強く大地を踏みつけた後に構えていた盾を巨大化させた。結晶のような緑の装甲は細く鋭利な形状に変化し、さながら大剣にも見えなくなかった。
更に腰に付けたバッグから小型の拳銃に似た武器を取り出す。
二つの力を両手に携え、怯えながらも少女は立ち向かう。
「7 分持たせたらいいんでしょッ⁉︎ 全く……。真反対側に主要メンバーが出張ってて足止め食らってるなんてツイてないなぁ……ッ!」
ジリジリとマシンが距離を詰めてくる。
逃げ場も逃げ道も、無い。
「新藤君」
夏々莉が向き直って言う。
「私達の正面から見て12時から2時の方向。そこに全火力を集中して抜け道を作るから、私が攻撃した瞬間に走って」
「木舘さんは」
「君に何かあったら全部おしまいなのッ‼︎」
突然夏々莉が大声を出し驚く彼方。少女は酷く悲痛な表情を浮かべている。
ここまで苦しそうな様子を見たのは初めてだった。
夏々莉もそれに気付き、申し訳なさそうな顔をして再びマシンを見据える。
「ごめんなさい。私がしっかりしないといけないのに」
彼女の一言で彼方は少し冷静さを取り戻した。こんなに自分のために頑張ってくれているのだから、せめて彼女がやりやすいように動こうと気を引き締めた。
「いや、ありがとう」
対峙する最悪に怯えている場合ではない。
助かる術は残っているのだ。
「足には自身が無いけど、やってみる」
それを聞いた夏々莉は少しだけ口角が上がった。
「頑張って走ってよ……?」
そして構えた盾を振りかぶる。一か八かの賭けは間もなくだ。
「二刀流だなんて、カッコイイじゃん」
彼方が何気なく叩いた軽口に対して、夏々莉は不敵に笑う。
「――――――私、右利きなんだけどねッ!」
巨大な刃を持った盾を再びブーメランのように投擲した。
彼方はその後ろを身をかがめて走っていく。
マシンが密集していた地点に盾が直撃し、突破口が開いた。そこに向かってひた走る彼方を、もちろんマシンは見逃さない。
だが彼に飛びかかろうとする機械の獣たちは後方からの銃撃で撃ち落とされた。
「させないッ!」
真後ろから襲いかかってくるマシンを間一髪で躱し、夏々莉は彼方の後ろを追いかけて行く。
立ち塞がるマシンを撃ち抜くも、倒しても倒しても次敵が湧いてくる。
「もう!洒落臭いんだからッ!」
夏々莉は流れる様な手さばきで拳銃を変形させると、翠の刀身を持つ剣へと変え邪魔する敵を切り刻む。
残った一体の背中に回り、背面から踏みつけその反動で彼方の逃走方向へ跳躍する。
必死の猛攻にて包囲網は何とか突破できた。しかしながらマシンは数を減らすことなく現れ続け二人を追跡してくる。
夏々莉は立ち止まり、初段の攻撃で使った盾を一度消し、再出現させる。
そして真正面に構え、両脇の壁に突き刺さる程巨大化させる。
「通行止めだよッ!」
道を塞がれたマシンは盾を破壊しようとするも、傷が付くどころかビクともしなかった。
しかし迂回されたり横の壁を破壊して進んて来られたらおしまいだ。夏々莉は息を整えて振り返り、彼方を追いかけていった。
「木舘さん! 無事だったんだねッ‼︎」
夏々莉が合流した頃、彼方は息が上がっていながらも彼女との再会を喜んでいた。
「新藤君も! こっち方面にはマシンは出現してなかったみたいだけど、途中で出くわしたりしなくてホントに良かったぁ!」
二人は手を取り合って喜ぶ。息が上がっていたせいか、彼方の顔は少し赤らんでいた。
「今連絡が入ったんだけど、さっきまで向かってたシェルター。もう完全閉鎖体制に入っちゃったらしいの。だからもう少しで来る応援に保護してもらうことになるかな」
ごめんね、と付け足し謝る夏々莉に、彼方は首を振って感謝を伝える。
「そんな、木舘さんが助けてくれたからここまで来れたんだよ。本当にありが」
彼方のセリフは途中で遮られてしまい、気付けば真横に押し退けられていた。
不意のことで状況が掴めなかったが、直後に爆音が響き傍に合った建物が崩れてきた。
尻もちを着きながら降りかかる瓦礫から逃れ事なきを得るも、どうやらまだ落ち着いていられる状況ではないらしい。
なにより、夏々莉の姿が見当たらない。
「木舘さんッ!」
おそらく先程の崩落は『何か』が突撃して起きたものだろう。それから彼方を庇うために夏々莉は彼を突き飛ばし、今頃瓦礫の下敷きになっているのではないか。
嫌な予感を感じ、冷や汗が止まらなくなる。
「し、新藤君〜〜」
手前の瓦礫から声がした。
彼方は急いで駆けつけ、軽いものから順に避けていく。
数枚避けたところで人の手が見えてきた。ほぼ同時に瓦礫が蠢き、下から勢い良く夏々莉が飛び出して来た。
全身ボロボロ、至るところから出血が見られるも彼女は困ったように笑っていた。
「木舘さん〜〜ッ! 良かった〜〜ッ!」
彼方が半泣きになりながら喜ぶ姿を見て、夏々莉は少しだけ微笑み、そして深刻な顔で告げた。
「また新手が。流石に今日は異常過ぎる」
その言葉に体が強張ってしまう彼方。
視線が夏々莉の後方へ向く。
やはり、嫌な予感は当たっていた。
『何か』がそこに立っている。
マシンが音もなく、彼らを取り囲んでいた。
今日は中々に最悪の日だ。
そんなことをふと、彼方は思っていた。
彼を守ろうと立ち上がる少女はボロボロで、応援が来るまでの僅かな時間を耐え凌ぐ程の力が残っているのだろうか。
たとえまた上手くやり過ごせたとして、何度も同じような窮地に陥るのではないか。
彼方自身の体力も限界に来ていた。
「新藤君」
満身創痍の少女から、弱々しい言葉が放たれる。
「もし私が死んじゃったら……」
ふらつきながら少女は盾と剣を構える。
「……ちゃんと毎日、お墓参りに来てね」
また、見ているだけなのか?
また、只々『死』を見過ごすのか?
彼方を守ろうとして遥という少女は命を散らした。
彼方を守ろうとしてまた一人の少女が命を散らせようとしている。
ただそれを見送り、後悔の念に苛まれながら余生を過ごしていくのか。
彼の脳裏に、最愛の姉の言葉が不意に蘇る。
「もしあなたがとてつもない困難に出くわすことがあったら――――――」
目を閉じ、胸のブレスレットを強く握り締める。
刹那が永遠に感じられるこの瞬間。
「体」の限界は既に近かったのかもしれない。
それでも彼方は強く大地を踏みしめる。
胸のブレスレットを、血が出るほど強く握り締めながら。
恐怖は既に去っていた。
彼の「心」はまだ死んでいない。
「――――――あなたの幸せを、必ず守りなさい」
突如、彼方の胸のブレスレットから強烈な閃光が放たれる。
眩い光は謎の圧力を発し、周囲のマシンを吹き飛ばしたり怯ませたりした。
彼方はそのまま夏々莉に駆け寄り、彼女が持つ刀を奪い取る。
「新藤君……⁉︎ 一体何を」
「諦めちゃ駄目だッ‼︎」
今度は彼方が夏々莉の前に立ち塞がる。
マシンは体制を立て直し、激しく彼方を威嚇し始めた。
「俺の幸せな世界には君がいなきゃ駄目なんだッ! こんなところで死なせるわけにはいかないッ! もう、二度とッ‼︎」
「な、何を言って……うぅ……ッ」
夏々莉が膝を付いてしまう。限界を超えてしまったのかもしれない。
彼女を守れるのは自分だけだ。
(遥姉の気持ち、今なら少しわかる気がするよ……)
息を整えて、敵を強く睨みつける。
そしてマシンは耳をつんざく雄叫びを上げ、襲いかかってきた。
応援部隊は向かってきているはず。もう数分もかからず到着するだろう。
それまで、死なずに護り抜く。
「だから遥姉……俺に力をッ‼︎」
マシンの牙と彼方の刃。
2つが衝突した瞬間、あたりは闇に包まれた。
正確には、闇の如く漆黒の吹雪が竜巻のように発生した。
何もかもが見えなくなる嵐はすぐさま消え去り、近場にいた怪物の軍勢は跡形もなく消え去っていた。
嵐の中心にいたのは一人の少年と少女。
少年は美しい翠の輝きを発するペンダントを身に着け、まるで氷柱のような漆黒の翼を3対も広げていた。
「――――――零と無限の管轄……?」
少年は一人宙につぶやく。