12『姑息』
面会終了時刻になり、彼方達は病院を後にした。
「えぇ〜っと……。 ごめんね?」
太陽がほとんど沈み、その水平線と同じぐらい目を晴らした夏々莉が謝罪を述べた。
「気にしないでよ。気にしてないよ」
今度ジュースでも奢ってよ、と冗談混じりに言う彼方。
状況が状況であったが、夏々莉に手を握られ続けたことはもちろんまんざらでも無かった。
気にしてないなどと、よくそんな事が言えたものである。
正面玄関から続く並木通りを歩く途中、夏々莉がふと口を開いた。
「新藤君には全部話しておこうと思うんだけど……」
そうして夏々莉は歩く歩幅を縮め、歩く速さよりもさらにゆっくりと語り始めた。
夏々莉の弟である木舘藍樹は、人質にされていた。
案の定その相手は黒詰鞠徒。
夏々莉に宿る魔眼の力を解析しようと試むが、一度拒まれた黒詰は藍樹の命を取引に出してきたそうだ。
「自分の権力を使えばわざわざそんなことをする必要もないのに、アイツは藍樹の喉元に刃を向け続けた。その度に憎悪で歪む私の顔を見るのがおかしくて仕方なかったみたい」
本当に狂った人だよ、と夏々莉は吐き捨てる。
黒詰がマシンを制御できていないことは聞いていたが、もしところ構わずマシンを出現させられるのであればなおさら厄介だ。
あの病棟の中に出現してしまえば、大惨事が引き起こされるのは想像に容易い。
「もしマシンを制御できる力があるんだったら、あの病院でマシンが現れたとしても入院してる人達を……藍樹を、守ることができるんじゃないかって」
愛する弟に向けられた銃口を弾き飛ばす。
そのために零と無限の管轄を欲していたらしい。
「でも実際は制御というより消し去る力だし、あんな竜巻を病院で起こしたら大変だしね」
アハハ、と少し力無さげに笑う夏々莉。
「だから、今度の作戦は絶対に成功させよう。マシンのいない世界を作るために」
夏々莉は彼方の方を向き、優しい笑顔で微笑んだ。
「新藤君がいれば、理想を現実にできそうな気がしてくるよ」
ほとんど姿を消しつつある微かな夕日に照らされた彼女は、とても凛々しく、美しかった。
彼方も、端からその気である。
「任せてよ」
精一杯の笑顔で少女に言葉を返した。
それを聞いた夏々莉も、とても嬉しそうに笑ってくれた。
「あんなに泣いたの久しぶり。4年ぶりぐらいかなぁ」
「そんなに我慢してたの? そりゃ弟さんにも心配されるよ……」
「あ、いや、違うんだよ新藤君」
夏々莉は慌てて手を振り否定した。
「私、辛いとか苦しいって感情で胸がいっぱいになると、心臓に激痛が走るんだよ」
衝撃の事実だった。
「えぇ!? じゃああの時めちゃくちゃ痛かったんじゃ!?」
「それがね、不思議と全く痛くなかったんだよ! いつもならこの魔眼で抑えないと死んじゃいそうなくらい痛いのに」
夏々莉は少しだけ言葉をつまらせながら、恥ずかしそうに言った。
「新藤君が傍に居てくれるとね、すごく落ち着くんだ。きっと君のおかげだよ」
だからね、と夏々莉は繋げる。
「私の友達になってくれて、本当にありがとう」
彼方はもはや夏々莉を直視できなかった。
心拍数が過去最高記録を叩き出しているが、なんとか言葉をひねり出す。
「ど、どういたしまして……」
「えへへ。じゃあ、ここらへんで」
並木通りを抜け、二人は二手に分かれる道の前で立ち止まる。
「今日は付き合ってくれてありがとう。気をつけて帰ってね」
「うん、木舘さんも気をつけて。また明日ね」
二人は互いに手を振り合い、それぞれの帰路を歩き出した。
その5分後。
夏々莉の目の前に立ち塞がる者がいた。
黒詰鞠徒だ。
「…………何しに来たんですか」
「教えてほしいかい? んふふ、盗み聞きだよ」
気色の悪い返答をする黒詰。
「しかし君も悪い女の子だねぇ。大事な大事なお友達にあんな嘘を付くなんて」
「何の話ですか」
薄気味悪い笑顔を貼り付けながら、一歩一歩と邪悪が歩み寄ってくる。
夏々莉は顔を酷く歪めながら、フェルマータの力を発現させた。
「おぉ、いつ見ても麗しい瞳だこと」
「それ以上近づかないで……ッ! アナタが近づくだけで、私の命がひび割れるんだよ……ッ!」
それは失礼、といいつつ足を止めない黒詰。
そして夏々莉の横にたどり着き。
「零と無限の管轄が必要なのは、私にあの力を差し上げるため、だろう?」
あまりに馬鹿げたセリフに。
「そんなこと……」
夏々莉は。
「言えるわけ、ないでしょ……ッ!」
「……フハハハハッ!」
高らかな声を上げて黒詰は笑った。
「大事な大事なお友達にィ、弟のために死んでくれだなんて言えるわけないかァ! ハハハハハッ!!」
「……黙って」
「それとも、愛する弟の方がどこぞの誰かも分からん男より大切ってことかな? フン、優柔不断のカスが。そんな立ち振る舞いだから一人の人間すら守れんのだよ」
「黙ってって言ってるでしょッ!!」
少女の叫びは魔眼の力を爆発させた。
瞳から蒼色の光が増幅し、対峙する二人を包み込む。
「美しいなぁ……零と無限の管轄の利便ささえ無ければ、喉から手が出るほどほしい力だ」
そう零した黒詰は、ジャケットの内側に手を入れた。
それを抜き出すと同時に、手に握られた拳銃から弾丸が放たれる。
弾は夏々莉の額に直撃した。
少女には傷一つ、無い。
「戦争のパワーバランスが崩れてしまうよ、全く」
「く……うぅ……!」
夏々莉が膝から崩れ落ち、魔眼の光が弱まってくる。
強過ぎる力の負荷が体に返ってきたのだ。
黒詰はしゃがみこみ、先程手にしていた拳銃を夏々莉に差し出す。
形状はSEEKERの特殊拳銃と全く同じであった。
「これで新藤彼方を撃て」
「……!?」
「何、難しいことじゃないだろう? 彼に向けてこの引き金を引くだけさ。外見は他の兵装と全く同じだから疑われることは無い。中に入っている弾丸はマイクロデバイスが組み込まれていてね。そこから彼の体を調べて零と無限の管轄の正体を解き明かす」
黒詰は夏々莉の腕を掴み無理矢理に拳銃を握らせる。
「そんなこと……できるわけ」
「やれよ。やるんだよ! 何やら近々に私を捕らえるために作戦を立てているのだろう? その時にでも彼に近付いて後ろから撃つだけじゃないか!」
「なんで、作戦のことを……!」
「盗み聞きしたと言ったろう? まぁ、内容に興味は無いし真正面から叩き潰すだけだかね。……あの病院にマシンが現れないのは、私の優しさだ。思いやりだ。分かるかい?」
「…………、」
「新藤彼方の身柄を渡せば、君の弟には二度と手を出さない。約束しよう」
心配無い、と黒詰は言う。
「ベッドに横たわる人間が一人増えるだけだ。死にはしないよ」
そして地面に座り込む夏々莉を残し、黒詰鞠徒は暗闇の中へと消えて行った。
夏々莉はその手に掴まされた引き金を、ただ呆然として見つめるしかなかった。
「誰か…………助けて…………ッ!」
少女の弱音は、12月の寒空に吐かれた吐息と共に消えてゆく。




