9『鍛錬』
彼方が阿良節らと協力関係を結んでから早くも一ヶ月が経った。
科学の進歩は凄いようで、体に負荷のかからない合法ドーピング剤がたくさん製造されていた。
彼方はそれを飲まされていたのだ。
怪我が完治してからの僅かな期間で成長を果たし、筋肉質で健康な体を手に入れていた。
しかしそれまでの日々は地獄と言って差し支えなかったと彼は思う。
朝から怪しげな薬を飲むことを強要され、学校が終わればトレーニング。
明らかに体の限界を突破して鍛えているにも関わらず、筋肉痛は強力な鎮痛剤で感じることはなかった。
おまけに英語で書かれた謎のパッケージの粉を大量に飲まされる始末。
親には運動部に入ったと言ってごまかしているが、実際の部活よりも数倍キツイのでは、と内心思っていた。
すごく不健康で歪な鍛え方をしたにも関わらず、彼の体は以前より遥かに強靭になっていた。
(なんだかすごくズルした気分だけど、筋肉が付くってこんなに喜びが溢れるものだったんだ……!)
過程はさておき、当の本人もまんざらでもなさそうである。
「彼方君、進捗はどうかい?」
日課のトレーニングを終えて休息しているところに阿良節が声をかけてきた。
「目標がよく分かってはないんですけど、全身に力が漲ってる感じがします……!」
「そうかそうか順調か。それじゃ、そろそろ本題に入ろう」
「本題……?」
不思議そうに尋ねる彼方に、阿良節はにんまりと口を広げて笑った。
「そうさ。君のトレーニングの目標は、零と無限の管轄の完全なる制御だよ」
とうとう来たか、と内心思った彼方。
彼の体は、以前とは比べ物にならない程鍛え上げられている。
今ならあの力も思いのままに操れるかもしれない。
「……分かりました。よろしくお願いします」
「準備と覚悟万端って感じだね。それじゃ、今日からは新しいメニューを追加だよ」
一体どんなトレーニングになるのだろうかと彼方が思っていると、阿良節の背後から夏々莉が現れた。
「やほー! 今日から私が君の先生だよ!」
「先生ではないでしょ……」
少し呆れながらも阿良節は答えた。
「彼方君、零と無限の管轄の全力を受けてなお立てるのは彼女だけだ。君の全身全霊を費やして夏々莉に勝つ。それが君の課題さ」
夏々莉と戦って勝つ。
これまで助け助けられの関係だった少女と、次は倒すべき相手として対峙する。
戦えるのだろうか。
いや、倒さねばならない。
「木舘さん……、俺は」
「手加減なんかしないし、させないよ?」
そう告げると夏々莉は右目に手のひらをかざし、その手を流れるように横へ流す。
そここら眩い光が溢れ、目を細める彼方。
彼女の右目は紋章が刻まれた魔眼と化していた。
「うちの実家はご先祖様が神様に魅入られたらしくてね。代々この魔眼の力を受け継いてるんだ」
「……信じ難いけど、目の前で見せつけられちゃあ信じざるを得ないなぁ」
「ふふ、凄いでしょ?」
嬉しそうに、そして悪巧みをするかのように夏々莉は微笑む。
「私の魔眼はフェルマータ・オルクス。その特性は『万力の減少』。私の体に触れたものや直接体にかかる力を減少させる力。君が起こす黒い嵐だって、私なら逆らってみせるよ」
あのマシンの軍勢を二度も吹き飛ばした彼方の力。
それを彼女は物ともしないと宣言した。
彼方自身も、黒の吹雪の中彼女が歩み寄る姿を覚えていた。
これは、強敵だ。
「んーまぁ、私も力を全開で使った後は新藤君みたいに体が苦しくなっちゃうんだ。だからあんまり多用できないんだけどね」
えへへ、と恥ずかしそうに笑う夏々莉。
「それでも君の相手をするには不足はないはず。それどころか私がコテンパンにしちゃうかもね?」
「…………」
彼方は浅く息を吸い込み夏々莉の目を見た。
その瞳は美しく、しかし絶対に屈しないという意思を示していた。
彼方は吸い込んだ息を吐き捨て、高らかに宣告した。
「今はまだ君の方が上だと思うけど、最後には必ず跪かせて見せるよ。木舘さん」
「ほう……良い度胸じゃん……ッ!」
お互いの視線が結ばれ、目には見えない火花を散らす。
目の前に立つのは、仲良しなクラスメートでも、共に死線を潜った仲間でもなく、ただの超えるべき壁であった。
阿良節の計らいで用意された特設ルームに案内された彼方と夏々莉。
動きやすい服装に着替えてその部屋に入ると、体全体が痺れるような感覚を感じた。
「この部屋には特殊な磁場が発生していてね。S粒子の性質を弱めて対物に効果があるようにしてるんだよ」
「対物に効果、って……?」
不思議そうな返事をする彼方に夏々莉は説明をする。
「SEEKERがメインで使用するS-O9って、そもそも物質との衝突にはすごく弱くてね。例えばこの拳銃も弾丸がS-O9なんだけど、マシン以外に当たると弾丸の方が砕けちゃうんだよ」
こんなふうにね、と夏々莉が言うと同時に素早く取り出した特殊拳銃の引き金を引いた。
銃声と共に発射されたS粒子の弾丸は壁に衝突し、美しい緑の粒子と化して砕けた。
壁には傷一つ付いていない。
「だから私達の武器って人に向けても無害なんだよね。あまりに出力が大きいときは別として。……だけどこの部屋だとその性質が抑えられてるから」
「それなりには痛い、ってこと?」
「ご名答。安心して、傷ができない程度だから」
そういうと夏々莉は右手で拳銃を左手に翠の盾を出現させた。
さらに右目の魔眼を発動させ、戦闘準備万端だという意思表示を行った。
いつでも掛かってこい。
夏々莉は暗にそう告げていた。
「……阿良節さん。この戦闘の終了条件、もしくは僕の勝利条件は」
「二人のバイタルチェックでダメージを数値化して、ある数値を超えた時点で終了。要は相手のHPを先にゼロにした方の勝利だね」
「ゲームみたいで分かりやすいですね……!」
「彼方君」
部屋の外にある監視部屋から、阿良節が彼方に呼びかけた。
「生半可な実力じゃ、あの子には勝てないよ?」
声の方向に振り向かず、彼方は答えた。
「百も承知です……ッ!」
そうして彼方も特殊拳銃を構えた。
「それじゃあ、模擬戦を開始します。両者とも準備は……完璧だね」
二人の状況を確認した阿良節は大きく手を振り上げ、目の前に置かれたボタンを叩いた。
直後、猛々しいサイレンが反響する。
「状況、開始ッ!!」
阿良節の合図と共に夏々莉が飛び出した。
流れるような手さばきで拳銃を刀に変形させ、腰を低くして振りかぶる。
(速ッ……! しかも足元を狙ってきてる!)
彼方も拳銃を変形させるが向かってくる刃の方が速い。
ならば。
「木舘さん、ごめん!」
「!」
そう叫ぶと同時に刀をまっすぐ、夏々莉の頭部めがけて振り下ろした。
しかし夏々莉も刃の向きを変えて守りに入る。
2つの刃が交じり合い、ガラスが砕けるような音と共に霧散した。
彼方は攻撃の反動でよろめき、夏々莉もバランスを崩しながら後退する。
「へぇ〜。おびき寄せたの?」
即座に拳銃から刃を出現させ戦闘態勢に入る夏々莉。
「そんなことは……。人間の弱点である頭に一発入れれば、少しは怯むかなぁって」
「殺りに来てるじゃん。いいねぇ〜!」
「そんなつもりじゃ……ッ!」
トンッと音を立てて夏々莉が跳躍した。
今度は盾から刃を伸ばし、身体を捻りながら振りかぶる。
「だったら私は、死なない武器で殺しにかかるッ!」
上空からの斬撃。
さて、どう凌ぐべきか。
(いや……、守ってばかりじゃダメだ!)
攻勢に出ねば。
彼方は両腕を降ろし、呼吸を整えて夏々莉を見据える。
彼女を倒す。
「――――――統制ッ!」
彼方の号令で漆黒の吹雪が発生した。
夏々莉は風圧で吹き飛ばされ、彼女が構える盾も消滅する。
しかし。
「はっはーッ! 甘いぜ新藤君ッ!」
そう叫ぶと空中で体制を立て直し、魔眼を発動させた。
「フェルマータ・オルクス−デルタカソードッ!」
彼女の瞳が光り輝く。
すると夏々莉は急速に落下し、ふわりと柔らかく着地した。
同時に吹雪を物ともせずに突撃してくる。
(なんでこの風圧の中を走ってこれるんだッ!?)
「これしきの嵐、私の神様の前じゃそよ風より軽いねぇ!」
彼の質問に答えるかのように夏々莉は叫び、着々と距離を縮める。
すぐ目前にまで迫ると、夏々莉は再び跳躍してドロップキックを繰り出した。
思わず彼方は両腕でガードするも、大きく後ろに押し出される。
「ぐぅ……ッ!」
夏々莉はそのまま宙返りして着地し、一歩距離を取る。
(零と無限の管轄が効かない……あの魔眼は厄介だ)
向こうの武装は無力化できるものの、当の本人には全く効果が無い。
むしろ動きにキレがかかってる気さえする。
だがこちらの体力もまだまだ余裕がある。
以前までなら力の発動で意識が飛んでいたが、今はかなりはっきりしている。
機転を効かせろ。
夏々莉を倒す術を考えろ。
(―――あ……! もしかして……ッ!)
彼方が何かに気付いた様子なのを察した夏々莉。
(……さて、どうする新藤君……?)
同じく、彼の様子を楽しそうに眺める阿良節。
(ようやく気付いたかな? 零と無限の管轄はその名の通り、零から無限まで自在に操作できる。今まで粒子を『零』にしていたんだから、もちろんその逆だって……!)
阿良節の思惑通り。
彼方は拳銃から刃を発生させ、目の前で構えた。
一度の深呼吸を終え、目を瞑り。
「――――――統制ッ!!」
漆黒の吹雪は――――――発生しなかった。
代わりに彼方の背中から3対の翼が出現し、彼の構える刀は大幅に巨大化していた。
およそ3倍の刀身。
あれを交わすのは困難だ。
「へぇ……やるじゃん……!」
夏々莉も再び盾と刀を取り出す。
零と無限の管轄の能力のためか先程までは顕現させられなかったものの、ようやく呼び戻すことができた。
しかし彼女が先程まで感じていた体の身軽さは失われていた。
妙な威圧感が夏々莉を襲い続けている。
だが、今なすべきことは一つだ。
正面衝突で、相手を倒す。
対峙する二人の思惑は、ただ一つのことをブレずに示していた。
お久しぶりです。色々忙しくてサボってました。(死)
マイペースですがこれからもお付き合いください。




