第3輪『酸い葡萄』
昔々、あるぶどう畑で一匹のキツネがたわわに実ったおいしそうなブドウを見つけました。
キツネは是が非でも食べてみたいと跳び上がりますが、ブドウの房はみな高い所にあり、届きません。
何度跳躍してもついに届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と捨て台詞を残して去ってゆきました。
第3輪『酸い葡萄』
昔親に読まされた、下らないキツネのイソップ童話。
自分の欲しいものが手に入らなかったからと言って、聞くに堪えない棄て台詞と負け惜しみを吐いて去っていく。
「………………」
俺にこんな話は必要無い。俺は溜息をつき、唐突な思い出を掻き消した。
「持貫くん」
俺は机についた肘を倒し、顔を上げる。
「何?」
「クラス会のアンケート、持貫くんだけまだなんだけど。早く出してくれないかな」
…………内海博子。クラスの学級委員を自ら進んで務める様な、生まれついてのカタブツ女。多分、俺はこの女の笑った姿を見た事が無い。
「あっ、ごめんごめん。ちゃんと出すから」
「持貫くん、毎回そうやって言うけどさ。結局全然出してくれないよね。参加したくないなら別に参加してくれなくて良いんだけど」
こ、このアマ…………!!
良く見れば綺麗な顔をしている癖に、この腐りきった性格と上から目線で物を申す鋭い声色の所為で男はほとんど寄り付かない。
「ごっ、ごめん。今日の放課後までには書くからさ」
「よろしく」
そう言うと、内海は淡々と自分の席へと戻っていった。
(あの糞女……)
しかし今は内海への怒りに震えていても、授業を受けている間にそんな事は薄れ、放課を迎える頃にはすっかり忘れ去ってしまっていた。
「あ〜……あ、疲れたっと」
放課後、特別区域の掃除を終えた俺は一人で教室に戻ってきた。
(え〜と、今日はまず万里にメール返して……その後綾香と電話かな)
俺は鞄を取るため、教室の扉を開く。
「! 内海!」
窓から夕焼けが差し込む中、一人で佇む内海の姿が目に入った。
「持貫くん。アンケート、書いてくれた?」
(うわ、やばっ!)
「あっ、いやあと少しだから! すぐ書いちゃう!」
俺は慌てて鞄の中からアンケート用紙と筆箱を取り出し、机に向かう。
「……別に、もう良いよ」
「え?」
内海は冷たくそう言い放つと、俺の横を通り教室を出ようとした。
「………………」
俺は立ち上がり、その内海の手をとった。
「なっ、何よ急に……」
内海の言葉を遮る様に、俺は有無を言わさず内海の体を抱き寄せる。
「!? ちょっ、何なのよ!! 離して!!」
内海は俺の胸の中で暴れ、必死になって抜け出そうとする。
「……内海、ごめん…………」
しかし俺もまた内海の体を離すまいとし、そのままの体勢で呟いた。
「えっ?」
一瞬、内海の体の力が緩む。
「俺……クラスのアンケート、わざと出してなかったんだ」
「……どういう事よ」
「だって……俺がアンケートを出さない限り、内海が俺の所に話し掛けに来てくれるから…………」
「!!」
胸の中に蹲っていても分かった。耳の裏まで内海の顔は真っ赤に火照る。
「ば、馬鹿な事言わないで!! 離してよ、もう!」
内海は再び腕に力を込め、胸の中から逃げ出そうとする。
「……やだ。なんか今、内海と離れたくない気分……」
「!! やだってばあ……。もうっ……」
内海の耳は高熱を帯びているのでは無いかという程に赤みを増し、両腕も彼女の意思とは反し力が抜けてゆく。
「内海……」
「……何よ」
俺は内海を胸から離すと、今度は首を支え接吻を交わした。
「!!?」
始めは抵抗していた腕も今度は完全に力が抜け、だらりと垂れる。
「……口、開けて」
俺がそう囁くと、内海は頑なに閉じていた口を開いた。
「――――――」
暫くして俺は唇を離し、内海の顔をじっと見つめる。
内海は、自ら体を俺に預け、再び顔を胸元へと蹲らせた。
「も、持貫くん…………」
「……何?」
「……も、もう……一回…………」
――――。
俺は内海の頭に腕を回すと、内海からは絶対に見えない位置で笑みを浮かべた。
そしてもう一度、唇を交わす。
――――俺にキツネの話は必要無い。何故なら、この世に手の届かない葡萄など無いからだ。




