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第5章

「いいかい? 『夜魔』とは『闇』そのものだ。暗闇に潜んで、人間に『恐怖』を与える存在。明確な生物に分類されているわけでもなければ、完全な無機物でもない、そこにあるだけのモノ。人間の感情の一部として、太古の昔から我々と共に過ごしてきた、いわゆる相互扶助の関係だ。……と言って、大まかな想像はできたかな?」

「え……すみません、全然分からないです」

「いや、それでいいんだ。『夜魔』とは本来、人間にとって理解できないモノだからね。目に『視えな』ければ、その存在に気づくことすらない。けど、これだけは理解……共感してほしい。これを受け入れてもらわないと、話が先に進まない。……暗い場所、もしくは夜ってのは、昼のような明るい場所に比べて、何故か怖いと感じるだろ?」

「えぇ、まあ……」

「人間が抱く恐怖そのものが『夜魔』の正体だ、と思ってくれても構わない。実体があるわけでもないし、『視えないこと』自体が『夜魔』なのだから、私の言っていることが理解できないのも当然だろう。事実私も、『夜魔』の生態を完璧に把握しているわけじゃない」

「実体がないって……でも私、昨日新堂君に助けてもらった時に、見ましたよ。大きなカエルの姿をした……」


 そこまで言ってしまって、思い出したのだろう。全身を嫌な寒気が襲ったように、美代子は身体を震わせた。


「そう、本題はそこからなんだ。君を襲ったのは、突然変異で人間に仇を為すように進化してしまった『夜魔』だ。奴らは人間が抱く恐怖そのものではなく、意志を持って行動をし、人間を襲う」


 そこで、村井準教授の視線が美代子の背中へ逸れた。どうやら新堂の様子を窺っているのだろう。美代子は振り向くこともできず、ただ背後の新堂がコーヒーをすする音だけを聞いていた。


「奴ら……突然変異した『夜魔』が現れたのは、今から約二十年くらい前だ」

「二十年?」


 準教授の説明を遮ってまで、美代子は納得がいかないように驚いた。

 訝しげに首を傾けたまま、素直な疑問をぶつける。


「でも、『夜魔』って昔からいたんですよね?」

「そうだね。それこそ何千年も前から……人間が一定の知性を持ち、恐怖を他の感情と区別化できるようになった頃からね」

「そんなに前からいたのに、二十年前に突然変異したんですか? 何千年に比べたら、二十年なんてつい最近ですよね?」

「約二十年前に、何かがあったってことだ。昔にはなく、現在の『夜魔』が突然変異するに至った理由が。それは……なんだと思う?」


 いきなり問い掛けられても、分かるはずがなかった。


 二十年前といえば、美代子や新堂が生まれる少し前。そんな時期に、『夜魔』という化け物が突然変異をした理由。昔から行ってきた何かが破たんしたか、もしくは突然変異の原因となる何かが登場したかは何となく見当はつくものの、それ以上は分からなかった。


 と、村井準教授は自分のポケットから、正解を取り出した。


「正解はね、携帯電話だよ。携帯が普及し始めた一九九四年から一九九七年くらいに、突然変異した『夜魔』が現れるようになった」

「携帯電話が? ……どうして」

「厳密には解明されてはいない。だから私は、現在もっとも支持されている仮説を話す。『夜魔』は闇そのものだから、当然ながら視覚はない。じゃあどうやって周囲の状況を把握したり、他の『夜魔』とコミュニケーションを取っているかといえば、『夜魔』は身体から特殊な電波を発するらしいんだ。まるでイルカが超音波を発して、仲間と交信するようにね。それでその電波というのが、携帯電話に採用されている波長と似通っているらしいんだ。……あぁ、ちなみに携帯って、通話していなくても、電源が入っている限り一秒ごとに基地局と通信しているんだよ。だから電車やバスの優先席付近では、気をつけることだ。本人が意図しないでも、ペースメーカー等に影響があるかもしれないからね」

「はぁ……」

「そしてその電波こそが、『夜魔』を突然変異させた最大の原因とされている。ま、証拠らしい証拠はないんだけど、状況等にすべて筋が通っているからね。今はこの説で決着がついている」

「携帯……」


 呟き、美代子はハッと思いだした。

 先日『夜魔』に襲われている途中、何度か意味不明な携帯が鳴っていた。


「それは『夜魔』が自分の電波を飛ばしていたんだよ。矢野君の携帯に着信だけ鳴らしといて、結局どことも繋がっていなかっただろ?」


 確かに、通話口の向こうは電位音どころか雑音すらなかった。

 と、ここで一旦小休止なのか、準教授が一息ついた。それに倣って、美代子も先ほど差しだされたコーヒーに口をつける。ぬるくなったコーヒーは身体を温めることはなかったものの、緊張していた身を弛緩させるのには十分だった。

 それでも自分の知らない世界を見聞きしたことによる興奮は冷めない。

 準教授が再び話し始めようとすると、美代子も身を正した。


「おや、なかなか熱心な受講者だね。どっかの誰かさんとは大違いだ」

「どっかの誰かさんは全部知ってることだからな。聞き飽きたんだよ」


 見れば、新堂は棚からファイルを漁って読みふけっていた。その表紙のタイトルから読み取るに、どうやら村井研究室の過去の研究生が書いた卒業論文なのだろう。

 美代子も大学自体には興味があったが、今は抑え、準教授の方へと向き直った。


「先ほど『夜魔』には実体がないって仰ってましたけど、私が視たのは、その……大きなカエルの姿をしていましたよ」

「あぁ、それはまぁ、突然変異種だからと答える他ない。『夜魔』は姿の無い闇のままで大きくなるのには、限界があるんだ。だから地上に存在する生物の型を借りて、さらに大きくなる。例えばそれはカエルだったり、蛇だったり、あまりないが、北欧神話に出てくる怪物だったりもする」


 そこで準教授は、わざとらしくコホンと咳払いをしてみせた。そして次に美代子を見つめたその眼は、真剣そのものだった。


「とまあ、ここまでが矢野君を襲った『夜魔』についての生態だ。君が知りたかったことの全部……だと思う。けどこれがすべてじゃない。君が出会ったのは突然変異した『夜魔』と……それを退治した光太郎君だ」


 後ろで無関心を決め込んでいた新堂の耳が、ピクリと動いた。


「ここからは『夜魔』ではなく、光太郎君も関わる話になるんだけど……聴くかい?」

「……はい、知りたいです」

「チッ、即答かよ」


 と不機嫌に言いつつも、新堂は決して遮ろうとはしなかった。

 邪魔されないことを許可だと捉え、美代子はさらに奥へと首を突っ込む。


「最初に参考までにだけど、突然変異した『夜魔』には二種類いる。直接人を襲う『夜魔』と、人間に恐怖を植え付けるだけの『夜魔』だ。光太郎君が判断した限り、矢野君を襲った『夜魔』は後者だよ」

「え、じゃああのカエルは、私に危害を加えようとしたわけじゃないんですか?」

「いや、恐怖心を与えることだって立派な危害だよ。どちらにせよ、突然変異した『夜魔』は退治しなくてはならない。光太郎君みたいに、『夜魔』に両腕を喰いちぎられてからでは遅いんだ」

「ブファッ!」


 無関係を決め込んでいた新堂が、突然盛大に噎せた。床に口にしていたコーヒーを撒き散らしながら、慌ただしくせき込む。


「なんだい汚いね。ちゃんと掃除しておくように」

「ちょ……待っ……先生、なに人のプライバシーをさらっとばらしてるんだよ」


 ティッシュで口元を拭う新堂の視線は鋭い。

 しかし万人が怯んでしまうような彼の睨みにも、準教授は溜め息混じりにいなすだけだった。


「別に隠すことでもないだろう。昨日、矢野君を襲った『夜魔』を退治するにあたって、君の『ウロボロスの牙』もしっかりと見られていたわけだし。それに一部の真実を避けて全体を説明するスキルは、私には備わってないよ」

「いちいち全部説明する必要もないだろうが……」


 声小さく悪態を吐く新堂は、乱暴にティッシュをかき集めると、床を拭きだした。

 その後頭部を、美代子はチラリと盗み見る。


「新堂君の腕が義手なのは……その……」

「あぁ、そうさ。五年くらい前だったかな。新堂君は運悪く、人間を喰らう方の『夜魔』と遭遇してしまった。そして両腕を失ってしまったんだ」


 自分のことを話されているのに、床に這いつくばる新堂は素知らぬ顔だった。


「彼の腕を喰った『夜魔』は、『ウロボロスの牙』と彼が名づけた。二匹の蛇がお互いの尾っぽを喰らっていた姿だったからね」

「でも、昨日は新堂君の腕から蛇が伸びてたように見えましたけど……」

「そう。光太郎君は『ウロボロスの牙』の『闇』を受け入れたんだ。彼の『復讐心』という『闇』を糧に、彼は『ウロボロスの牙』を具現化させている。片手に一匹ずつ、計二匹の蛇の姿をした『夜魔』を腕の中に飼っていると思ってくれればいいよ。実際は全然違うけど、まあ説明しにくいからね。ところで、突然変異してしまった『夜魔』を退治する方法もあるんだけど、それは光太郎君から聞いているかな?」

「圧倒的な『闇』で押し潰すか、圧倒的な『光』で浄化させるか……でしたっけ?」

「その通り。光太郎君は過去に受けたトラウマを『復讐心』に変え、『闇』の力を増幅させているんだ。自分の腕を喰った『ウロボロスの牙』への『復讐心』をね。その『闇』の深さは、大型の『夜魔』を一撃で葬りされるほど。矢野君が思っている以上に、光太郎君が抱えている『闇』は深いんだよ」

「…………」


 どう返していいか分からず、美代子は自然と閉口していた。

 そして――ふと、新堂と眼が合った。いつの間にか彼の方を見ていたようだ。


「んな憐れんだような眼ぇしてんじゃねーよ。お前の同情なんていらねぇ。アレだ、同情するくらいなら金をくれってやつだよ」

「お、光太郎君、古いドラマを知ってるねぇ」


 ニヤニヤと歯を見せた村井準教授が、さらに饒舌になる。


「前から光太郎君にも言ってることなんだけど、両手が義手で、取ると武器になるなんて百鬼丸みたいでカッコイイよね。矢野君もそう思わないかい?」

「百鬼丸?」

「あー……やっぱり女の子は知らないかぁ。偉大な手塚治虫大先生のキャラクターなんだけどね、まぁタイトルは別のキャラの名前だし」

「男の俺だって知らなかったよ、最初聞いたときは」

「やれやれ、今時の高校生は……いや、今時の高校生だからこそ、手塚治虫作品は読むべきだ。漫画だけど、高校の図書館にも置いてあるんじゃないかな?」

「チッ……なんの話だよ……」

「ただの世間話だよ」


 あくまでも砕けた態度を崩さない準教授に対し、新堂は肩をすくめてみせた。

 そして彼女は腰を深く椅子に沈め、美代子の方に向き直った。


「ま、『夜魔』については、こんなところかな。どうだい、矢野君。自分の知らない世界の真実を垣間見れた感想は」

「はぁ……何て言うか、ビックリしました」


 美代子もまた、緊張を解いて身体を弛緩させた。

 ありきたりというか、幼稚園児並みの彼女の感想を聞いた新堂は呆れたように肩を落としたものの、準教授の方は満面の笑みを見せながら重々に頷いた。


「そりゃまあ、ビックリする話だからね。何か質問とかないかい?」

「あ、じゃあ一つだけ」


 控えめに手を挙げ、美代子が問う。


「村井先生は、どうしてそんなに『夜魔』について詳しいんですか?」

「おっと。そうか、それを失念していた。もしかしたら私と光太郎君が共謀して、矢野君を騙しているかもしれないからね」

「いえ、別にそういう理由で訊いたわけじゃ……」


 それでも、準教授の母親のような温かい包容力のある笑顔は崩れなかった。


「私は……というか光太郎君もだけど、『夜魔』に対抗する組織に属しているんだ。その名も『Anti Night Devilアンチ・ナイト・デビル』。頭文字を取って、通称『ANDアンド』と皆は呼んでいる。ま、組織っていってもちゃんとした秩序があるわけじゃなくて、いわば被害者の会みたいなものさ」

「『アンチ・ナイト・デビル』……」

「突然変異した『夜魔』が現れてから、まだ二十年。『AND』のような組織は全国各所にあるらしいけど、まだそれを繋ぐパイプが整っていないんだ。だから正式に『夜魔』を討伐する団体、というにはまだ遠い。光太郎君のように、『夜魔』を倒せる能力を持っている被害者も、そうそう多くはないしね」


 不意に、美代子の表情が沈んだ。


「その……『夜魔』の被害者って、けっこういるんですか?」

「どうだろう。被害の程度によっても、その質問の解答は変わってくる。矢野君のように遭遇するだけなら、たくさんいると思う。また光太郎君みたいに、身体的な被害を受けるのはずっと少なくなるね。さらに『夜魔』の能力を利用できる者は、極めて珍しい。それに……『夜魔』によって、家族を殺された者も、ね」

「おい」


 後ろから、声がした。あまりに棘のある響きだったので、その声が誰のものだったのか、美代子は一瞬だけ分からなかった。

 重力が倍加したような剣幕に圧されて、美代子は振り返った。

 暗闇をも射殺さん意志を持った新堂の瞳が、村井準教授を貫いていた。


「もうすぐ陽が暮れるぞ。そろそろ帰った方が良いんじゃないか? 今度は『夜魔』に襲われても助けてやんねーぞ」

「おや、もうそんな時間か。長く話していたつもりはなかったんだけどね」

「今はまだ陽が短いからな」


 素っ気なく、言う。

 新堂の態度が急に変化したことに、美代子は不思議に思った。


「ま、そういうことだ。何か他に訊きたいことがあれば、いつでも私の研究室を訪れてくれ。居ない時もあるがね」

「あ、はい」

「というわけで、光太郎君。お客様のお帰りだ。下まで送ってってあげなさい」

「……あぁ、……分かった」

「おや、やけに素直な返事をするじゃないか。こりゃ明日は雨かな」


 などと嘯く準教授に、新堂は舌打ちで答えるだけだった。


「おら、とっとと帰んぞ。お前の家まで送ってくのは、絶対に嫌だからな」

「う、うん……」


 返事も待たずに、さっさと部屋を出ていってしまう新堂。笑顔で手を振る村井準教授に深くお辞儀をした美代子は、慌ててその背中を追ったのだった。

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