第4章
「いやぁ、はっは、悪い悪い。光太郎君が友達を連れてきたのさえ初めてのことだったから、ついつい取り乱してしまったよ。そうかそうか、昨日光太郎君が助けたっていう、クラスメイトの子だったか」
額に大きな絆創膏を張った村井準教授が、豪快に笑ってみせた。顔とスタイルに似合わず、とてもオヤジ臭い振る舞いだ。
準教授の正面でパイプ椅子に座る美代子は、どう反応していいか困っているのか、曖昧な愛想笑いしかできなかった。そのため、壁に寄り掛かってこちらを窺っている新堂の舌打ちと悪態が、はっきりと聞き取れた。
「……別に友達じゃねーよ」
「えぇー、私たちって友達じゃなかったの?」
「ん? なんだいなんだい? 痴話喧嘩かい?」
ふくれっ面の美代子と、興味津々に首を突っ込む準教授。
後者の戯言は無視し、新堂は鬱陶しそうに返した。
「ただ同じクラスにいるってだけの関係だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「でも去年も同じクラスだったよね? 私たちの学年、十二クラスもあるから、二年連続で同じクラスだとけっこうレアだよ」
「ただの偶然で友達関係だと思われても困る」
二人は現在、高校二年生だ。美代子が去年も一緒のクラスだと言ったことで、だから自分が年中学ランだったことを知っていたのかと、新堂は思い出した。
「それは本当に、偶然だったのかな?」
高校生二人のやり取りを見ていた村井準教授が、意味深に呟いた。
さらに不機嫌そうに眉を歪めた新堂が、真っ向から反論する。
「あぁ? んじゃ、なんだっつーんだ? 教師が意図的に俺とコイツを同じクラスにしたって言いたいのか?」
「いやいや、そうじゃない。それは本当に偶然だったんだろうさ。けど光太郎君の言葉を鵜呑みにする限り、君たちは一年生の時、あまり接点はなかったんだね?」
「そう……ですね。一年通しても、事務的な内容を一言二言交わしたくらいです」
「なのに君たちは、今こうして仲が良さそうにお喋りをしている。おっと光太郎君、仲が良さそうというところに反論したそうな眼をしているが、抑えてくれ。論点はそこじゃない。問題は、ほとんど接点の無かった二人が、どうしてこうも短時間で接近できたかということだ」
黙って聴いてはいたものの、結局村井準教授が何を言いたいのかさっぱり分からず、新堂と美代子は頭上にクエスチョンマークを浮かべた。急接近した理由と言えば、昨日『夜魔』に襲われていた美代子を新堂が助けたことが起因だと、二人は思っていたのだが。
学生に向けて講義をするような口調で、準教授は説明した。
「いいかい? 人にはね、その人特有の色というものがあるんだ。単純に個性だと思ってくれても構わない。そして私が見る限り、新堂君の色は黒で、矢野君は白だ。完全に相反する二つの色は、とても相性が良い。けどだからこそ欠点があってね、人間の反対色というのは、混じり合いやすいからこそ混じわるきっかけがないということなんだ。ま、私はあまり運命論は好きじゃないんだがね」
大きく息をついた準教授は、一度コーヒーで喉を潤し、さらに続けた。
「でも君たちは、偶然にもそのきっかけに遭遇した。まさに運命の出会いだ。平凡な日常を送っているだけなら絶対に交わることのない黒と白が、『夜魔』を通して急接近した。磁石のN極とS極が引きあうように、きっかけを手にした君たちは徐々に交わっていくだろう。現に矢野君はしつこく光太郎君に纏わりつき、光太郎君も結局、彼女を撒くことなんて簡単だったろうに、それをしなかった。実は満更でもなかったんだろう? 光太郎君」
「え、そうなの……かな?」
「…………」
大きく目を見開いた美代子は、ちょっとだけ期待の籠った瞳で新堂の方へ振り向いた。
しかし新堂は、半眼のまま準教授を睨みつけるだけだ。その顔は……何か可哀相な物を見つめるように憐れんでいた。
そして小さく開いた彼の口が、問う。
「それで結局、先生は何が言いたいんだ?」
「二人とも、末長くお幸せに」
「よーし、覚悟はできてんだろうな? そこに直れ!」
右手の指を固めた新堂が、腰を低く構えた。
対して準教授は、両手をあげて早くも降参。
「ったく、冗談に決まってるじゃないか。これくらいで怒るなんて、光太郎君もまだまだ子供だね。それともカルシウムが足りていないのかい?」
「先生の冗談はいつも無駄に長いんだよ!」
結局、新堂の正拳によって、準教授は二つ目の絆創膏を張る羽目となった。
そんな二人のやりとりを見て、美代子は気づかれないように噴き出し、同時に安心もする。授業中いつも寝てばかりで、休み時間も一人でいる新堂には、決して友達がいるようには見えなかった。原因は新堂が発する誰も近づいてほしくないオーラ……もとい他人を威嚇する目つきのせいだが、それでも遠目から新堂を見ていた美代子は心配だった。
けど、こうやって腹を割って話せる相手が一人でもいるのなら、それはそれでいいと思う。クラスメイトに心を開いてくれないのは確かに悲しいが、新堂自身がそれを嫌がっているのなら、それも仕方のないことだろう。
それに……。
新堂は担任やその他の教師のことを、そのまま教師、もしくは単純に名前で呼ぶ。なのにこの村井準教授だけには、しっかり先生と言っていた。それだけ新堂が彼女に信頼を寄せているという意味でもあり、それがちょっとだけ羨ましくもあった。
「で、光太郎君が矢野君を私のところに連れてきた理由はなんだい? 『夜魔』と遭遇したことに対してのカウンセリングを求めてきた、ってわけでもないんだろ?」
「あー、ようやく本題か。それなんだが……」
新堂は美代子の後ろから、彼女の後頭部を指で差した。
「先生に単刀直入に訊く。コイツの記憶を消す方法とかって無いか?」
「えぇー!?」
素っ頓狂な声をあげて、美代子は背後に立つ新堂の方を振り返った。
「記憶消去か。なるほど、ちょっと待て」
「できるのっ!?」
村井準教授の方に向き直った美代子が、ショックを受ける。
そして某国民的キャラクターである猫型ロボットが如く、机の陰からとんでもないものを取り出したのだった。
「じゃじゃーん、金属バットぉ!」
「えぇー!?」
「記憶を消したけりゃ、物理で殴ればいいじゃない」
「……記憶どころか、存在そのものが消えそうだけどな」
「力加減は腕の見せ所さ。さぁ、矢野君、頭を前に出して」
「い、いやですよ!」
シュッシュと音を立てて金属バットを研ぐ準教授を前にして、美代子は全力で精一杯身を引いていた。
一通りからかった後、準教授は笑いながらバットを壁に立て掛けた。
「ま、もちろん冗談だけどね。まったく、矢野君は良い反応してくれるね。これが光太郎君だったら、ものすごく白い目で見つめて、私を精神的に追いやってくるんだ」
美代子がホッと安堵したのも束の間、新堂が眉を寄せて凄む。
「んな茶番はどうでもいいんだよ。で、できるのか? できないのか?」
「できないね。そんな都合よくピンポイントで記憶を消す方法なんてあるわけないよ。漫画の世界じゃないんだから」
「先生の『瞳』でも?」
「それこそ存在が消えかねないじゃないか」
二人の間で板挟みになっている美代子はオロオロとするばかりだったが、新堂が折れたように溜め息を吐いたの聞いて、この話はここで終わりだと悟った。ようやく自分が怒る番だ。
「ひどいよ新堂君。私は真実を知りたくてついてきたんだから」
「忘れられるに越したことはないと思ったんだよ。『夜魔』の正体を知っても、百害あって一利なしだ」
「いや、そうでもないぞ光太郎君。もし記憶を消せたのなら同じことを繰り返す可能性もあるが、『夜魔』の実態を知ることで今後の対策を取ることもできる。前から言っているだろう? 知ることは、安心することだ。人は安堵したいがために、知識を求める。未知なる物こそ、恐怖の対象。そして『夜魔』はその恐怖につけ入り、人間を襲う、とね」
「……ふん」
鼻を鳴らしただけで、新堂はそれ以上は黙りこんでしまった。やたら素直な彼を見て、美代子は不思議に思う。美代子に『夜魔』と関わってほしくないがために詳しい説明を避けていたのだと思ったが、記憶を消せないことが分かると、すんなり引き下がってしまった。新堂が美代子を避けていたのは、もっと別の理由があったのだろうか。
ふと、解答に至る。彼が美代子を村井研究室にまで連れてきた理由。
まさか……。
同じことを思っていたのか、準教授が美代子との言葉を代弁した。
「なるほどなぁ。もしかして光太郎君、女の子と二人きりで話すことに慣れていないんだな?」
「ち、違う! ただ説明するのが面倒だっただけだ。俺は口下手だからな!」
そう言う割には必死な否定で、さらに火照ったように顔も赤く染まっていたのだった。




