エピローグ
「ふーん、白い『ウロボロスの牙』ねぇ」
眠たそうに欠伸をかました村井準教授が、コーヒーを啜りながら呟いた。
その態度があまりにもぞんざいだったため、説明した新堂はムッと唇と尖らせた。
「こっちは真剣に訊いてるんだ。ちゃんとした反応を返してくれよ」
「ちゃんとした反応って……私はとても眠いんだよ」
蜉蝣の一件から一夜明けた翌日である。
準教授の研究室にて、二人は軽めの朝食をとっていた。その最中に昨夜あった出来事を簡潔に説明した新堂だったが、彼女の反応はいまいち虚ろだった。
というのも、準教授は昨日のあの時間帯、ずっと研究室で新堂たちの帰りを待っていたらしいのだ。心配していてくれたことは有り難いものの、そんな彼女を余所に、美代子と蜉蝣を家に送った新堂が帰宅したのは、だいぶ遅い時間になってからだった。
それから家に帰って、寝て、朝早くに出勤して……。
確かに、新堂よりかは睡眠時間は短いかもしれない。
「そんなことを言われても、白い『夜魔』なんて今まで例がないからね。『闇』の象徴である『夜魔』は、基本黒いからねぇ。……実物を見てみないと、なんとも。でも君は今、白い『ウロボロスの牙』を出すことはできないんだろう?」
「そうなんだよ。黒い時にはいつでも発現できたんだけど……」
昨夜、研究室の倉庫に戻ってから何度も試したが、あれ以来、白い蛇が出現することはなかった。もちろん、元々の黒い蛇も同様。同じ感覚で出してみようと思うも、蛇が現れる兆しすら感じない。
もう二度と白い『ウロボロスの牙』を造り出すことはできないのか、とは思っても、体内に感覚は残っているのだ。二匹の蛇が蠢く、エネルギーが流動するような感覚が。
「分かってることは、『闇』ではなく『光』が造り出した『夜魔』ってことか。ふーむ……。ぐー……」
「寝んな」
新堂の拳が準教授の額を貫いた。
額を押さえて呻く準教授は、大人げなくも涙を浮かべた。
「『ウロボロスの牙』が黒かった時は、君の『復讐心』が原動力だったわけだろ? それが『闇』なわけだ。でも白くなったってことは、『復讐心』に代わる原動力があったってわけだろう? それがつまり『光』に相当するわけだが……光太郎君には、そんな心当たりがあるかい? 白い蛇を発現できた時、君は何を思った?」
「俺は……」
無数の『夜魔』に包まれた時のことを思い出す。
だがそれはまるで時間が経ってしまった夢のように、鮮明には覚えていない。
残っているのは、その時抱いた感情だけ。
「俺は確か……矢野と蜉蝣を助けてやりたいと、心から願ったな」
「じゃあ、それだ」
犯人を突き止めた探偵のように、準教授は新堂の顔を指で差した。
「じゃあって何だよ。じゃあって。ちゃんと説明しろよ」
「矢野君と日向井君を助けたい心が、君の『光』の原動力になった。ということは、つまりだ。君がその二人……もしくは誰でもいいのかもしれないけど、助けたいと心から願った時に、白い『ウロボロスの牙』は出てくるんじゃないかな?」
「そうかぁ? そんな単純なものでもないと思うけど」
「なんだよぉ。君が納得できる説明が欲しいっていうから、せっかく理に適った理屈でまとめてやったのに」
目を細めて拗ねたように顔を背けた準教授は、残っていたコーヒーを一気に呷った。
新堂は、肘から先のない自らの腕を見る。
この失われたはずの両腕で、誰かを助けることができるのなら……。
そんな人生も、悪くないのかもしれない。
「ま、君の能力はおいおい研究していくさ。少し時間がかかるかもしれないけどね」
「あいよ」
軽く頷き、新堂は義手を装着する。もうすぐ登校の時間だ。
脇に置いてあった鞄の中身を確認して、ふと顔を上げると、間近に準教授の顔があった。
彼女は突然、無遠慮にも新堂の目の下辺りに触れた。
「光太郎君。君の目の下の隈、けっこう薄くなっている気がするんだが?」
「さ、最近気を失うことが多かったからな。そのせいだろ」
照れた新堂は顔を背け、同時に距離をとった。
準教授もすぐに自分のデスクに戻る。
「うん。君は隈がない方がカッコイイからね。今は両手に華状態なんだし、少しくらいは身なりに気を使った方がいいかもしれない」
「は……? 何のことだ?」
その時、研究室の扉がノックされた。準教授が返事をすると、控えめに開けられる。
顔を覗かせたのは、矢野美代子だった。
「先生、おはようございます。新堂君もおはよう。ついでだから、迎えにきちゃった」
「何のついでだよ。余計な御世話だっつーの」
たぶん照れ隠しなのだろう。不機嫌そうに顔を歪めた新堂は、露骨な舌打ちをした。
しかし次の瞬間、彼の表情は凍りついた。
視線の先は、半分開いた扉の向こう。つまり美代子の後ろだ。
「もう、女の子が迎えに来てるんだから、もっと嬉しそうにしなきゃダメだよ!」
そう窘めたのは――セーラー服姿の蜉蝣だった。
幽霊でも見たように慄いた新堂が、いつも通りの笑顔を浮かべている蜉蝣を指で差す。
「お……お前、女だったのか!!?」
「うっわー、ひっどいなぁ。さすがの僕でも傷つくよ。今まで僕のことを男だと思ってたのかぁ……。でも、そうやってはっきり言っちゃうのも、君の良いところなのかもしれないね。かかかか」
あっけらかんと笑う蜉蝣とは対照的に、美代子はカンカンに怒っていた。
「新堂君! 女の子に対してそれは失礼だよ! ちゃんと謝りなさい! もぅ、蜉蝣ちゃんも笑ってないの!」
なんだか知らないが、蜉蝣に謝ることになった。
謝罪が済むと、美代子が新堂の右腕を引っ張る。
「さ、早く行こうよ。遅れちゃうよ」
「お、おい、待てって。引っ張るなって」
「かかか。朝っぱらからお熱いことだねぇ。そしてハブられた僕は、新堂君の左腕を華麗にゲットだぜ!」
二人の女の子に引きずられるように、新堂は研究室を後にした。
復讐を区切りに、新たな決意を胸に込めた新堂の人生が、今始まる――。
〈了〉