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第17章

 何が起こったのか理解ができぬまま、新堂は『闇』の中を泳ぐ。

 屋上から落ちる美代子。

『夜魔』に喰われる自分。

 そして嬉々とした表情でそれらを眺める蜉蝣。


 現状の理解が徐々に失われていき、だんだん眠たくなっていく。

 もういいや。と、新堂は諦めた。

 泳ぐことを止め、ゆっくりと瞼を閉じる。

 走馬燈が流れる暇もなく、すぐに意識が薄れていき――、


『準備はできたかい?』


 村井準教授の声を聞き、新堂はわずかに目を開けた。

 未だ何も視えない『闇』の中。

 しかし、自らの意志がはっきりと浮上してくる。


 ――準備は……できた。


 そう念じると、目の前に五年前の光景が広がった。

 ウロボロスの『夜魔』に家族を殺された、あの光景だ。


 ――準備はできた。俺がやりたいことは、『夜魔』への復讐。


 でも、それももう果たしてしまった。仇の『夜魔』を討ち、自分はもう空っぽだ。


 ――じゃあ、俺がやりたかったことはなんだ?


 それはもちろん、家族を助けたかった。復讐のために『夜魔』を討つのではなく、誰かを助けるために『夜魔』を倒したかった。

 でももう遅い。俺は誰も助けられなかった。


 ――本当に? 本当に誰も助けられなかった?


 その通り。誰も助けられなかった。

 でも、誰かを助けることはできる。

 これから。今からでも。


 ドクンと、一度だけ脈が大きく打った。

 ようやく今、準備が整ったと思った。


『夜魔』を殺し続けてきた今日までの日々ですら、自分にとっては準備期間でしかなかった。だって俺が本当にやりたいことは、復讐ではなく、誰かを助けることだったんだから。

 目を醒ませ。『闇』に溺れている場合じゃない!

 思い出せ。誰かを助けたい白き心を!

 俺には今、やらなくちゃならないことがある!


***


 屋上から見下ろしていた蜉蝣は、即座に異変に気がついた。

 目を疑うような光景に、笑いに歪めていた表情を凍らせる。


「……は?」


 新堂を包んだ『闇』のドームから、一本の白い紐が飛び出したのだ。まるでレーザー光線のように俊敏さで突き抜けた紐は、落ちる美代子へと一直線に伸びる。ただその白い紐がレーザー光線でないことは、すぐに分かった。落下していた美代子に巻きつき、ギリギリとところで地面との衝突を逃れたからだ。

 身体に巻きついた白い紐は、彼女をそっと地面に降ろしながら解放した。


 そしてさらなる予想外の光景を、蜉蝣は目の当たりにする。

 新堂を覆っていた『闇』の塊が、眩い閃光を受けて一瞬のうちに消滅したのだ。

 しかもその閃光は、内側から発せられたように見えた。

『闇』の中から現れたのは、一人の少年。当然ながら、それは『夜魔』の大群に呑まれた新堂なのだが……彼の両手は、『闇』に呑まれる前とはまったく異なっていた。


 形の為さない『闇』の瘴気ではない。二匹の白い蛇だった。


 紅い瞳、そして紅い舌をチロチロと覗かせながら、白い蛇は新堂の両腕に収まる。

 蜉蝣は感づいた。美代子を受け止めた白い紐は、新堂の腕から伸びた蛇だったのだ。

 しかし一体、あの蛇の正体は……。


「な……何なんだよ、それ……」


 恐れ慄くように震えながら、蜉蝣が新堂の腕から伸びる白い蛇を指で差した。

 冷静な面持ちで蜉蝣を睨み上げる新堂は、しかし答えになっていない返答をする。


「俺はようやく思い出したんだ。本当の自分は、何色だったのかをな」


 言うやいなや、新堂は両脚を大股に開いた。身体の重心をしっかりと固定し、右腕……つまり右のウロボロスを後方へと引いた。

 そして言う。


「知ってるか? 『夜魔』を倒すには、二通りの方法があるんだ。一つは圧倒的な『闇』で押し潰す。そしてもう一つは……圧倒的な『光』で浄化させるかだ」


 右腕を振った。テニスラケットでボールを打ち返す要領で、白い蛇を横へ薙ぐ。

 目標は屋上の蜉蝣。……いや、屋上に蔓延る『夜魔』の軍勢だ。

 鞭を振るように薙がれたウロボロスが、途中で何十メートルもの長さへと伸びた。屋上へ楽々届くほど成長したウロボロスは、しかし『闇』に噛みつくこともなく、その肢体を触れさせるだけで、『夜魔』を消滅させていく。


「わっ――!」


 慌てた蜉蝣が、頭を抱えて蹲った。

 しかし避けるという概念のない『夜魔』は、ウロボロスの攻撃をモロに食らってしまう。結果、屋上に巣食っていた大量の『闇』は、たった一撃の攻撃で大半が薙ぎ払われてしまった。


 新堂の攻撃は、まだ止まない。


 右腕のウロボロスを収縮させる反動で、今度は左腕を伸ばす。ただ今度の狙いは『夜魔』ではない。『夜魔』を操る本体、蜉蝣。

 再び屋上へ届くほどの長さまで伸びたウロボロスは、難なく蜉蝣の身体に巻き付いた。

 そのまま蜉蝣の身体を持ち上げ、校庭まで引きずり下ろす。


「かはっ――」


 地面へ下りる際、蜉蝣は地面に背中を強く打ちつけた。肺の中の空気がすべて吐き出され、一時的に呼吸困難に陥る。


 だがそれだけでは終わらなかった。


 ウロボロスが収縮を始め、蜉蝣は新堂の元まで地面を引きずられた。

 止まると同時に、新堂は蜉蝣の上へと馬乗りになる。左腕で蜉蝣を拘束したまま、右手のウロボロスが顔の前で牙を剥く。抜けだそうと必死にもがいたが、抵抗も虚しくウロボロスが緩むことはなかった。


「なんなのさ、その腕は!?」


 先ほどまで浮かべていた嗤いは、今は見る影もなかった。

 恐怖に震えた瞳で、蜉蝣は新堂に向かって虚勢を張る。

 苦し紛れの威嚇に効果はなく、新堂は無表情のまま答えた。


「さぁな。俺にも分からねえ。けど、一つだけ確定していることがある。……こいつらは『闇』とは真逆の存在、つまり『光』のエネルギーを宿しているらしい」

「『光』だって!? 『夜魔』に喰われた君が、どうして『光』なんか……」

「それが俺の元々の色だった、ってことだろう」

「元々の……色?」


 息苦しいのか、目に涙を溜めた蜉蝣が訝しげに眉を寄せた。


「先生の受け売りだけどな。人間には元々、そいつ特有の色があるらしい。『復讐心』で塗り固められた俺は、勝手に自分の色を黒だと思い込んでいたけど、実は違ったんだよ。……いや、本当の色を無理やり黒で染め上げていた、って言った方が正しいかな」

「『夜魔』に襲われる前の君は、『闇』とはまったく正反対の心の持ち主だったってこと?それを思い出したってわけ? 今さら!?」

「ま、滑稽な話ではあるだろうけどよ、『闇』一色のお前が抵抗できない時点で、俺の『光』はけっこう強力なんじゃないか?」


 じたばたともがくものの、白い蛇が解ける気配はまったくなかった。

 体力を失っていった蜉蝣は、次第に抵抗が弱くなる。

 ついにはピクリとも動かなくなり、馬乗りになる新堂から目を逸らした。

 小さく呻くように、諦めの言葉が漏れる。


「……殺せよ。君にはそれだけの力がある」

「あぁ……言われずとも殺すさ」


 右腕の蛇の顎が外れた。獲物を丸呑みするように、真っ赤な口内を晒す。常軌を逸脱したその大きさは、蜉蝣の頭がすっぽりと収まってしまうほど大きかった。

 捕食者に睨まれ、蜉蝣は静かに目を閉じる。

 しかし訪れたのは蛇の牙ではなく、新堂の問いだった。


「殺す前に一つだけ、お前に問いたいことがある」

「今さら何さ。これ以上、僕に生き恥を晒せっていうのかい?」

「お前は人間か? それとも化け物か?」


 瞼を閉じていた蜉蝣の瞳に、再び光が宿った。

 限界まで憎しみを込めた鋭い目つきで、新堂を貫く。とても今先ほど生を諦めたとは思えない勢いで激昂した。


「僕が人間なわけがないだろ! 『夜魔』なんて悪魔を従える、正真正銘の化け物さ!」

「あぁ、そうだな。お前は化け物だ」

「――ッ!?」


 その一瞬で、蜉蝣の表情が悲痛なものに変わった。

 それはまるで、新堂に言われてさらに自覚してしまったように。

 もしくは、同じような境遇にいる新堂に、否定してほしかった期待を裏切られた、そんあ表情だった。

 小さく開いた口から、一度だけ嗚咽が漏れる。

 しかし蜉蝣は下唇を思い切り噛み、無理やり抑えた。

 闇夜を背にした新堂が、無表情のまま再度問う。


「どうしてお前が化け物なのか、知ってるか?」

「……僕が『夜魔』に呪われて……この世に生を受けたからだろう……?」

「いいや違うね」


 と、新堂は首を横に振った。


「お前がどんな身体で生まれてこようと、まったく関係はない。そんなものは結果論だ。お前が化け物である理由はただ一つ……お前が、お前自身が自分を化け物だと信じ切っているからだ」

「……は?」


 嗚咽も吹っ飛ぶ、間抜けな声が出てしまった。

 呆気にとられた蜉蝣は、新堂の言葉を理解した瞬間、鼻で笑ってしまう。


「なにさ、それ。つまり僕自身が自分のことを人間だと言い張れば人間になって、化け物だと言い張れば化け物になるってこと?」

「そうだ」

「じゃあさ、例えば犬や猫……ゴキブリなんかでも、自分が人間だと信じれば人間になっちゃうってことじゃない?」

「そうだ。ゴキブリに考える力があるかは知らないけどな」

「……なんだよ、それ。そんなの、屁理屈にもなってないよ……」


 蜉蝣の表情が、ぐにゃりと歪む。

 目尻から、涙が零れた。喉の奥から、嗚咽が漏れた。

 だが蜉蝣はもう、それらを押し殺したりはしない。本能に従うまま、素直な感情を溢れだす。

 震えた声で、懺悔をするように蜉蝣は願った。


「僕は……人間になれるのかな?」

「お前が信じればな」

「僕は……人間であってもいいのかな?」

「誰にも否定させやしねえよ」

「僕を……人間だと認めてくれる?」

「お前が宣言すれば」

「僕は!」


 夜空に向かって、蜉蝣は高々と宣言した。


「僕は、人間だ!」

「あぁ、お前は人間だ」


 深々と頷いた新堂は、白き蛇の拘束を解いた。しかし蜉蝣は地面から起き上がらず、寝ころんだまま泣きじゃくる。とても一つ下とは思えない純粋な振る舞いを見て、新堂は小さく笑みを漏らした。


「ま、つっても、お前が人間だろうが化け物だろうが関係ないっていう奴もいるだろうけどな」

「…………え?」


 蛇の牙を使って頭を掻いた新堂が、少し離れた場所を顎で差した。

 暗闇から、一人の少女がこちらに向かって歩いてくる。

 いつの間にか目を醒ましていた、美代子だった。

 彼女は蜉蝣の前に座ると、立っている新堂を見上げて微笑んだ。


「さっすが新堂君。私のことよく分かってるぅ」

「言ってろ」


 照れたように顔を逸らす新堂。

 蜉蝣と正面から向かい合った美代子は、己の心の内を伝えた。


「蜉蝣ちゃんが何だろうと、関係ないよ。だって私たち、友達じゃん」

「友……達……」

「うん。友達を認めてあげるのは、当然のことだからね」

「でも……僕は君を殺そうとしたんだよ」


 唇を尖らし、蜉蝣は目を逸らす。

 悪戯がばれた子供のようないじけ方だったが、自分がしたことの重大さを十分に受け止めている顔だった。

 それでも美代子は、微笑んだままじっと、真正面から蜉蝣を見つめていた。


「そうだよ。だから……」


 すっと音もなく人差指と親指を差しだした美代子が、蜉蝣の額を弾いた。

 デコピンだ。

 骨が響く音とともに、「うぐっ」と蜉蝣が呻く。


「これで許してあげる。さ、仲直りしようよ」


 デコピンを繰り出した手を広げ、手の平を蜉蝣へと差しだした。

 涙目になりながらも、蜉蝣は彼女の手をじっと見つめる。

 そして再び泣き始め……蜉蝣は手を取ることはなく、美代子の胸へと飛び付き、ギュッと抱きしめた。


「ごめん、ごめんね美代子ちゃん。ごめん……」

「うん、うん、私は蜉蝣ちゃんのしたことを全部許すよ」


 胸の中で泣き喚く蜉蝣を優しく包んだ美代子は、そっと頭を撫でた。

 その光景を側で眺めていた新堂は、不意に夜空を眺めたくなった。

 まだ日の出の時間には早いが、ようやく長い長い夜が明けたような気がした。

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