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第13章

 俺は今、何をしている? どこに向かって歩いている?


 ワカラナイ。脚が赴くままに、両腕が疼くままに、目的地もないまま勝手に動く。

 目的地がない? 否、目指す理由はあった。場所は分からずとも、やりたいことは明確に頭の中にあった。いや、正確には腕の中に。


 妙な胸騒ぎがする。無いはずの両腕が、一つになろうと己の身体を導いている。

 腕の先端から頭を覗かせている『ウロボロスの牙』も、とても高揚していた。早く早くと急かす子供のように、新堂を引っ張る。しかし強引に連れられることに抵抗もしないまま、新堂は脚を動かしていた。


 この気持ちは、なんだ? 自分は何を、求めている?

 不思議な感覚だった。探していた物が、ふと棚の上から降ってきたような気分。

 意味も分からず、興奮が収まらない。

 ふと、意識しないまま脚が止まった。


「ここは――」


 墓の前だった。『新堂家』と掘られた墓石を、新堂は呆然と見つめる。

 目尻に溜まった涙も拭わないまま、新堂はその場に両膝をついた。


「俺は……どうすれば、いいかな?」


 頭を垂れ、墓石に問うた。


 当然ながら、応えはない。幽霊となった家族が降りてきて、新堂を優しく包み込むなどという奇跡も起きない。

 無情で絶対的に正しい現実は、温かな月明かりと共にただ新堂を照らすばかり。

 そのままの体勢で、一瞬だけ泣いた。一度だけ嗚咽を漏らした。

 五年前の悪夢と、その五年間の終結を受け入れ、区切りを胸に刻む。


 その時だった。


 ポケットの中の携帯が震えた。周りを囲まれた気配を感じ取った。

 ゆっくりと、新堂は立ち上がる。その瞳に、すでに涙はなかった。

 一つの決意を定めた鋭い瞳で、一度だけ周囲をぐるっと見回す。


 一匹の……いや、二匹の蛇がお互いの尾に噛みついている『夜魔』が、新堂を中心とした円を作り、いくつもの墓石を囲みながら蠢いていた。


 しかし新堂は携帯を取りださない。カメラを使わずとも、その姿ははっきりと『視えて』いた。一度『認識』した『夜魔』は、機械を通さずとも脳裏に刻まれるからだ。それが五年間も追い求めていた相手なら、尚更のこと。


 それに……両腕の『ウロボロスの牙』の高揚ぶりが、最高点に達していた。自らの元を殺したい衝動と、本体と融合したい衝動が反発し、矛盾したままの感情が新堂の体内を駆け巡る。


 ただ興奮する『ウロボロスの牙』とは対照的に、新堂本人は冷静だった。


 驚きは、なかった。何となく、気づいていたからだ。『ウロボロスの牙』が自分を引っ張っていた時点で、何となく会える気がしたのだ。

 大きく息を吸い込み、覚悟を決める。

 これが五年間も求めていた、自分の答えだ。


***


 二匹の蛇が円形を崩し、新堂の両側で鎌首をもたげた。夜の『闇』よりもさらに深いその全身は、見上げるほどに巨大だった。五年前よりも……幾度となく見てきた夢の中よりも、ウロボロスはさらに成長していた。


 だが、大きさだけでは新堂は怯まない。

 顎を掲げ、両側から威嚇する四つの紅い瞳を睨み上げる。

 お互いを敵と認めたその瞬間、二匹が同時に彼を襲った。大の大人一人は軽々呑みこめるような大きな口を開けながら、新堂へと牙を剥く。

 大蛇の突撃は、石畳を粉々に割った。破片が飛び散り、周囲の墓石を痛める。


 しかしその中に、赤い血肉は混じっていなかった。

 二匹の蛇が直撃する直前に、新堂は『ウロボロスの牙』を地面へ振り下ろす勢いで上空へと跳んでいたのだ。その高さはゆうに十メートル以上。大学の講義棟五階よりもはるかに高い。


「まずは、一匹」


 足元で石を喰らっているマヌケな蛇を見下ろしながら、新堂は小さく呟いた。

 両腕の『ウロボロスの牙』を、互いに螺旋状に絡ませる。

 一本のロープのように太くなった腕を、地面へ這いつくばる蛇の脳天へと突き刺した。

 ドリルのように回転しながら、『夜魔』の脳漿をぶち撒けていく。液体みたいな粘度がある闇色の残滓が、墓地に黒い雨を降らせた。


 化け物の断末魔は、汚いものだった。


『ウロボロスの牙』をクッションに地面へ降り立った新堂は、もう一匹と対峙する。

 お互いの間の距離は、わずか二メートル。蛇が舌を伸ばせば、簡単に届く距離。しかし無言のまま相手を睨みつける新堂も、相棒が殺されたはずの『夜魔』も一向に怯むことはなかった。


 ただ慎重にはなっているようだ。眼前の新堂へすぐに喰いつこうとはせず、じっと息を殺して待つ。

 新堂もまた、相手の出方を窺っていた。

 両者が睨み合うこと数秒、新堂の後ろから――気配。


「――ッ!?」


 振り向く暇もなかった。多くの墓石を迂回していた蛇の尾が、新堂の頭上に振り上げられた。人間が蟻を踏み粒ほどの容易さで、蛇の尾が新堂を押し潰した。

 だが。


「んな攻撃で、俺が殺せるかよ」


 頭の上で『ウロボロスの牙』を交差させ、尾っぽを受け止めていた新堂は、完全に無傷だった。

『夜魔』を倒す方法は、いかに相手よりも深い『闇』を有しているかにある。

 新堂の『復讐心』を糧とした『闇』は、とても深かった。巨大な大蛇の一撃もものともしないほど。そしてもしウロボロスの『夜魔』に知性があったのなら、すでに気づいていただろう。


 自らの片割れを軽々しく葬り去った相手に、敵うはずはない、と。


 しかし『闇』そのものである『夜魔』に、人間と同等の知性があるはずもなかった。また、生物としての生存本能さえもない。蛇の姿をしている理由は、ただ自らの存在を強大にするためであり、結局は借り物の姿なのだ。


 故に、『闇』に逃走という概念はない。

 あるのは、人を襲う存在意義のみ。


 大口を開けた蛇が、新堂を威嚇するように高々と鳴いた。漆黒の表面とは違い、口内は赤く、妙に生々しい。生臭いわけではないが、敵の『闇』に当てられているようで、新堂は嫌悪した。


「それがお前の最期の言葉だ」


 何を思ったのか、新堂は駆け出した。勢いよく地面を蹴り、蛇の口内へと突進する。

 新堂が自ら喉の奥まで侵入すると、蛇はその大きな口を閉じてしまった。

 この大蛇が本来の生物なら自殺行為だろう。だがコイツは『夜魔』だ。消化器官など備わっていない。

 そして新堂自身が、この『闇』に呑みこまれることもない。

 彼の『復讐心』が存在している以上。

 自らの脚で彼が大蛇の体内へ侵入して数秒、勝負は決した。

 体内で暴れる『ウロボロスの牙』がすべてを喰い散らかし、大蛇は『闇』の残滓となって消えていった。


***


 墓地の中で大の字になって寝ころんだ新堂は、星の少ない夜空を仰いでいた。吐いた息が白く染まり、水蒸気となって上空へ霧散していく。少し肌寒い。もちろん気温もそうだが――何より、新堂の中にあった熱が徐々に冷めていくのを感じ取っていた。


「あぁ……、こんなものか」


 独り言の中には、計りきれないほどの哀愁が含まれていた。

 最初から分かっていたことがある。

 人生は劇的ではない。自分は必ずしも特別ではない。自分が意識している物事のほとんども、特別ではない。


 つまり新堂が五年間探し続けてきたあの『夜魔』も、彼にとっては特別だったというだけで、他の『夜魔』に比べればそう大差がなかったということだ。完全に事故と同じ。自分の運命を大きく変えてしまった存在が特別であってほしいという願望は、ただのエゴでしかない。

 だから『夜魔』退治を始めてから、薄々と感づいてはいた。


 もしウロボロスを発見できれば、いとも簡単に倒せるんじゃないかと。


 そして予想は当たっていた。新堂が五年もの間、強く憎しみをぶつけていた相手は、あっけなく倒れてしまった。決して特別ではなかった。あまりの弱さに、達成感すら感じることはなかった。

 静かに瞼を閉じる。すると、魂の抜け殻として過ごしていた三年間、さらに『夜魔』退治を始めての二年間が、走馬燈のように蘇ってきた。


 俺は何のために『夜魔』を殺し続けてきた? 何のために憎しみ続けてきた? このためだろう? 家族の仇を取るためだろう? このためだけに生きてきたんだろ? だったらもっと喜べよ。ようやく目的が達せられたんだ。『夜魔』に喰われた家族も、これでやっと報われるはずさ。そうさ、俺はやったんだ。雁字搦めにされていた『闇』の呪縛に打ち勝ったんだ!

 でも……。


「なんだか、虚しいなぁ」


 胸の辺りに、何故かぽっかりと穴が開いたような気がした。

 虚無感が、脱力感が全身を支配する。

 その正体は、明確に理解していた。


 目的を、復讐を果たしてしまったことで、自らの存在理由がするりと抜け落ちてしまったからだ。目標達成は、普通は喜ぶべきことであるはずなのに、そこから何も生まれない新堂の心は飢え、急激な速さで乾いていった。


 それが虚無感の正体。


 だったら復讐を果たすべきではなかった? 心の安定のために、ずっとあのウロボロスを憎み続けているべきだった?


 いや、そんなわけはない。これはこれで、正しかったはずなのだ。

 だから結局、どう足掻こうとも、この結末は変わらなかったに違いない。

 生きる意味を失った、この結末は。


 ちょっとした運動のため、荒れていた息がようやく平常通りに戻ってきた。胸の鼓動も静まり、まるで本当に動いているのか疑ってしまうほど。いや、実はもう死んでいるのかもしれない。そうでなくとも、このまま死んでしまえたら……。

 バカな考えだとは理解しつつも、新堂は呼吸を止めた。

 そのままゆっくりと思考も止めていき――。


「かかか。こんな所でなーにやってるんだい? 運動会でも開いていたのかい? っと、別に君は妖怪じゃなかったね」


 聞き覚えのある笑い声が耳に入り、新堂は全身の活動を再開させた。

 驚いて上半身を起こし、声がした方に首を向ける。

 おかっぱ頭の子供が、どこの誰だか知らない墓石に座っていた。

 目を細めた新堂が、疑わしげに問うた。


「蜉蝣……。お前こそ、こんな場所で何やってんだよ」

「僕も『夜魔』の気配を感じ取ってね。実は新堂君が戦ってる時から観察していたんだけど、相手が蛇の姿をした『夜魔』だったから、手は出さなかったよ。あれって、君の仇の『夜魔』だったんでしょ?」

「……あぁ」


 目を伏せ、顔を背ける。

 何もかも失った今の自分の顔を、誰にも見られたくはなかった。


「じゃあ見事に倒せたんだ。それで今の気持ちとかどう? 達成感は?」

「どうしてお前がそんなことを訊く?」

「ただの興味だよ。新堂君の『闇』は『復讐心』だったよね? だから『闇』から抜け出せた『夜人』が、どんな想いを抱いているのか、単純に気になっただけさ」


 ニコニコと、相変わらず棘のない笑顔を浮かべる蜉蝣。

 口を噤む気だった新堂だが、結局その笑みに毒された。もしくは自分の境遇に投げやりになっているのかもしれない。彼は吐き捨てるように、心境を語る。


「まったくもって不快な気分だ。全然気持ち良くはない。復讐なんて……するもんじゃなかったって、今さら後悔してるのかもしれない。生きる目的を失って、俺はどこに向かって歩けばいいのか分からない」

「じゃああの蛇形の『夜魔』には生き続けてほしかったわけだ」

「それは違う。あいつを滅せたことは正しいことだった」

「君の言ってること、ぐちゃぐちゃに矛盾しているよ」

「…………」


 そうかもしれない。きっとまだ心の整理ができていないためだろう。本当にこれが自分の望んだ結末だったのか、もっと他に道はなかったのか、困惑した頭が、乱雑に散らばった思考をでたらめに言葉に変えているだけだ。


 表情を沈ませた新堂が、軽く首を横に振る。

 そして再び目を向けると、蜉蝣は歪んだ笑みを浮かべていた。

 あまりの奇妙さに……いや、嫌悪すら抱かせるその笑みに、新堂は訝しげに眉を寄せた。


「それじゃあさ、僕が君に存在理由を与えてあげようか?」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りの意味だよ」


 不可解な言い回しとしたり顔の蜉蝣に、新堂は首を傾げるばかりだ。言葉通りの意味という意味すらも分からない。


「とはいっても、ちょっとした事実を教えてあげられるだけだけどね」

「事実?」

「聞きたいかい?」


 無言のまま、新堂は睨みを効かせた。それを肯定と捉えたのだろう。墓石から降りた蜉蝣は、嬉々として話しだした。


「何も難しいことはない。事は単純明快さ。君が復讐に至った理由だよ」

「そんな理由、あってないようなものだ。誰だって家族が殺されれば、相手を憎む」

「そうだね。けど論点はそこじゃない。要は、どうして今夜、君が仇としていた『夜魔』を討てたかということだ」

「意味が分からない。もっとかいつまんで話せ」

「五年前を思い出してみなよ。君の復讐劇は、前提から変だとは思わないかい?」

「…………?」


 さらさら理解はできないが、自然と新堂はあの日のことを思い出していた。

 最初に家族のうち誰が殺されたかは知らないが、二階の自室から新堂が下りてきた時にはすでに、三人とも『闇』の沼に浸かっていた。そして新堂自身も『視る』。いや、その時は肌で感じ取っていただけなのだが、『闇』の中心には、『恐怖』の根源である、目に視えぬ物体を捉えていた。

 恐れ慄き硬直してしまった新堂の腕に、まだ小さかった二匹の蛇が噛みつき――。


「その後のことは、覚えているかい?」

「……確か、異変を感じ取った先生が助けてくれたんだった」


 そこで新堂は、蜉蝣の言いたいことが何となく分かった。


「先生が現れたタイミングが、あまりにも良すぎた。つまり五年前の事件は、俺の家族を殺すために、全部先生が仕組んだことだったって言いたいのか?」

「…………」


 縦にも横にも首を振らず、蜉蝣は奇怪な笑みを見せたままだった。

 相手の思惑は分からないが、これだけははっきりと言える。


「それは違う。確かに俺は今の考えを抱いたこともあるし、助けがもっと早かったら、って先生を憎んだこともある。けど、あれは完全に偶然だったんだ。間一髪のところで、俺だけを助けることができた」


 準教授に直接聞いたわけではないが、それは間違いのないことだった。

 じゃなければ、新堂を助けた意味が分からない。『夜魔』を放って、新堂の家族を襲わせた意義が理解できない。それに廃人同然だった新堂を、部屋まで与え、甲斐甲斐しく介抱してくれたのも準教授だった。恩はあれど、憎悪などこれっぽっちも無い。

 新堂が心の底から準教授を信頼していると、蜉蝣は深く頷いた。


「その通りだ。準教授は、すんでのところで君だけを救出することに成功した」

「だろう?」

「じゃあ問うよ。村井先生は、どうやって君を助けたんだい?」

「それは……」


 突如、後頭部の辺りがズキリと痛んだ。そしてすぐ、吐き気が襲う。

 それは矛盾した前提だった。

 本当に単純な事実ではあるが、新堂の脳はそれを理解することを拒んでいる。

 その結果の嫌悪感。

 気づいてはならないことが、蜉蝣の口から紡がれる。


「な? 変だろう? 村井先生の能力を持ってすれば、君とあのウロボロスの『夜魔』が同時に存在することなど有り得ない」


 準教授の助けが間に合わず、新堂が殺された。筋は通る。

 準教授の能力で『夜魔』を殺し、新堂を助けた。筋は通る。

 だがしかし、新堂も助けられて『夜魔』の消滅していないのは、矛盾していた。


「……『夜魔』が先生の元から間一髪逃走できた」

「ないね。『夜魔』は獲物を目の前にして逃げることはないし、君も知っているだろうけど、先生の能力は瞬殺だ。アレから逃げられる術はない」

「じゃあ……」

「かかか。見苦しく現実を否定するのはもうやめろよ。君もすでに気づいているだろう?」


 それ以上、言うな。

 そう願うも、新堂の口からその言葉は出なかった。

 不気味に笑った蜉蝣が、結論を言う。


「村井先生は、わざと君の仇――ウロボロスの『夜魔』を逃がした」


 聞いた瞬間、新堂は石畳の地面から立ち上がり、自然と駆け出していた。

 墓地を訪れる前とは違う。不幽霊のような虚ろな足取りではなく、今度は明確な目的、明確な場所を求めて、新堂は走った。

 どうして逃がしたのか。そしてどうして今まで新堂に黙っていたのか。

 訊きたいことはたくさんある。しかし今は心を無にし、一直線に大学まで駆けた。


***


 走り行く新堂の背中を見送りながら、たった一人で墓地に残った蜉蝣は、腹を抱えて笑い声を上げていた。


「かかかか。あーあ、まさかあんなに簡単に釣れるとは思わなかったよ。ったく、単細胞バカってのは罪なものだねぇ」


 大笑いで荒げていた息を整えると、蜉蝣は己の人差指を舐めた。

 すると周囲で気配が蠢く。姿らしい姿はない。ただ質量を持った『闇』が、蜉蝣の周りを取り囲んだ。


「本当に君は羨ましいよ、新堂君。願い通りに復讐を果たすことができて、なおかつ君を想ってくれる人たちがいて。……だからこそ、自分を底辺だと思っている君が憎い!」


 瞬間、蜉蝣の笑みが吹き飛んだ。鼻に皺を寄せ、人差指を力任せに噛む。

 微小ながらも血が滲むと、周囲の『闇』がざわめいた。


「ま、これは罰だよ。簡単に命を投げ出そうとした君への――」


 その時、蜉蝣の耳が微かな足音を拾った。


「――ッ!?」


 瞳を大きく見開いた蜉蝣は、足音がした方へ、勢いよくぐるりと首を向ける。

 暗闇の向こうから、セーラー服姿の女子高生が一人、こちらへ向かって走ってくるのが見て取れた。弱々しい月明かりでは誰だか明確には分からなかったが、近づいてくるにつれ、それが知り合いであることに気づいた。


 またも口元を不気味に歪めた蜉蝣が、右手を軽く振る。すると周りを囲っていた『闇』の気配が、一瞬のうちに消え去った。


「あ……あれ? 蜉蝣ちゃん?」

「や、美代子ちゃん」


 現れたのは美代子だった。蜉蝣は軽い調子で手を上げる。

 彼女は蜉蝣が墓地にいることをまったく不審に思っていないように問うた。


「ねぇ、蜉蝣ちゃん。ここに新堂君が来なかった?」

「新堂君? さぁ?」


 あっさりと惚けてみせる。美代子もそれを信じたようだ。

 彼女は息を整えると、背伸びして辺りを見回した。


「もう、新堂君ったら、どこ行ったんだろう? もう教えられた場所、全部回っちゃったよぉ」

「美代子ちゃんは、どうして新堂君を捜してるの? しかもこんな時間に」

「うーん、ちょっとね。新堂君が無理をしてたみたいだから、心配になっちゃって」


 美代子の言葉を聞いた蜉蝣は、彼女に見えないように表情を歪めた。

 憎しみが籠った、とても友好的ではない表情。

 声を出さずに、口の中で呟く。

 コイツもか……。


「ねぇ、蜉蝣ちゃんは、新堂君が行きそうな場所、知らない?」

「え? うーん……僕は新堂君とは最近知り合ったばかりだからね」

「そっかぁ……」


 悲しそうにうな垂れる美代子。

 そんな彼女に蜉蝣は手を伸ばした。


「あ、でもさ美代子ちゃん。ちょっといいかな?」

「ん、なに?」


 反射的に、美代子は蜉蝣の手を取った。

 その瞬間――彼女は糸が切れたように倒れてしまった。

 地面へと倒れ込む前に、蜉蝣が美代子の身体を支える。呼吸はしているが、意識が無いことを確認してから、蜉蝣は口元を三日月形に歪めた。


「君のせいで、君を想ってくれる友人が悲しい目に遭ったら、君はどんな顔をするのかな?」


 ここにはいない男の顔を思い浮かべ、蜉蝣は独特な笑い声を上げた。

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