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第10章

 吹き抜ける夜風が熱気をさらい、反射的に身震いした新堂は首をすくめた。今夜はいつも以上に冷える。学生服の上に、何か羽織る物でも持ってこればよかったと、今さらながらに後悔した。

 いや、本当に後悔するべきことは、数時間前の自分の考え方か。

 新堂は星の少ない夜空を仰ぎ、大きく息を吐いた。白く染まった水蒸気が、夜の闇へと霧散していく。


「なーにやってんだろうな、俺」


 独り言ち、民家の塀に背中を預けた。

 今日の放課後のことである。教壇の教師が去ると、昨日と同じように、美代子が一目散に新堂の机に来た。そして徹頭徹尾理不尽な言葉を残していったのである。


『我が騎士よ。今日私はバイトがあるから、護衛よろしく! あ、行きはまだ陽が出てると思うから、帰りだけでいいよ』


 ただでさえクラスメイトに勘違いされているというのに、この女はよくもまあ大声で堂々とそんなことが言えるものだ。半眼で睨み上げた新堂は、無愛想に『じゃあな』と言っただけで、その場を去ったのである。


 もちろん、護衛なんかするわけがない。研究室に戻って、とりあえず先生をコテンパンに殴り倒してから、陽が落ちるまで寝よう。今日の残りの時間の計画を立てながら、自室である村井研究室に戻ったわけだが……結局、計画は前者しか実行されなかった。

 新堂に殴られ顔面絆創膏女と化した準教授が、余計なことを言った。


『君は、矢野君を守ってあげる気はないのかい?』

『ねぇよ』

『彼女が助けを求めていても?』

『なんかさっき、護衛を頼まれたがな。するわけがねえ。こっちだって暇じゃないんだ』

『そうかい』


 意味深に笑った準教授が、コーヒーカップを口に運ぶ。

 そして口調が変わった。講義をする時用のそれだ。


『光太郎君。矢野君は、とても『夜魔』に狙われやすい体質であることを話そうか』

『……は?』

『昨日も言ったと思うが、矢野君は君とまったく正反対の色を所有する人間だ。『夜魔』の力を持つ光太郎君と正反対……つまり『夜魔』とはとても縁遠い関係なんだよ。けど、だからこそ『夜魔』は矢野君のような人間を狙いたがる。というか、本質的に惹きつけられるんだ。プラスとマイナスが引きあうように、黒と白が混じりやすいようにね。だから彼女は、一般の人間よりも『夜魔』と遭遇しやすいんだ』

『…………』


 疑い深く準教授を睨みつけるも、今の言葉が嘘であることはすぐに分かった。

 そんな話は今の今まで聞いたことがないし、何より美代子が『夜魔』を惹きつけやすい体質ならば、この十六年間で一度も出会っていないことに矛盾している。たからたぶん、昨日の話を元にした口から出まかせだろう。

 しかし嘘だと分かっていながらも、新堂は問い返せずにはいられなかった。


『それで? それが本当だとしても、俺があいつを守る理由にはならないだろ』

『毎夜毎夜、『夜魔』を探しに歩くのは、いささか大変なんじゃないかな?』

『……あいつを囮にしろっていうのか?』

『結果的にはそうなる。捉え方の違いだよ。ま、どの道今夜もパトロールに出掛けるんだろう? だったらついでってことでいいじゃないか。何をそんなに嫌がることがあるんだい?』

『…………』


 心が揺らぐ。別に美代子を守ることが嫌でもなければ、囮にすることを拒んでいるわけでもない。

 合理的なのだ、準教授の言っていることは。

 どうせ『夜魔』を探しにパトロールに出るのなら、ほんの数分、美代子の側にいても大きなロスにはならない。そう言われてしまえば、新堂には返す言葉はなかった。完全に負けだ。これ以上、ごねる理由がない。

 折れた新堂が諦めの溜め息を吐くと、突然、準教授が渋い顔をした。


『うっわー、しまった。せっかくだから、さっきあの台詞を言っとけばよかった』

『どうしたんだ?』


 訊くと、準教授がキメ顔で言った。


『誰かを助けるのに理由がいるのかい?』

『……さて、日没まで寝るか』


 それが数時間前の話。美代子と会うべく夜道に出た新堂は、早々に後悔していた。

 寒いのはともかく、実は美代子のバイト先を新堂は知らなかった。なので最初に出会った場所で待ちぼうけを食らっているのだが、ボーっとし始めてから数分、さらに彼女の仕事が何時に終わるのかも知らないことに気づき、愕然としていたのだ。


「……マジで何してんだろうなぁ」


 幸いにも通行人はいなかったので、呆然と立ち往生する新堂が不審な目で見られることもなかった。だが辛い、辛すぎる。いつ来るのか分からない相手を待つのは、かくも苦痛なものなのかと、新堂は忠犬ハチ公の偉大さをその身を持って知ったのだった。

 そして忠犬ではない新堂は、すぐに諦めた。


「ま、いっか。帰ろ」


 元より来るつもりはなかったのだ。薄情な奴だと罵られることも、覚悟の上である。

 塀から背中を離した新堂は、暗闇の中を歩く。

 だが、その時。


「わぁ!」


 正面から奇声を上げられた。いや、どちらかといえば喜声か。

 声の持ち主を確認した新堂は、深く溜め息を漏らし、彼女の元へと早足で向かった。

 その脳天に、軽い調子でチョップをかます。


「護衛してほしいなら、時間くらい言っとけ!」

「ごめんごめん、すっかり忘れてた。でも、すぐに帰っちゃう新堂君も悪いんだぞぅ」


 ぷくりと頬を膨らまされるも、新堂は素っ気ない態度で無視し、「おら、行くぞ」と言って、先導を始めた。

 その後ろを、美代子が嬉しそうに頬を緩めながらついて行く。


「つーか、お前、自転車は? まだパンク直ってねえのか?」

「直ってるよ。けど、自転車乗っちゃったら、新堂君に護衛してもらえないじゃん」

「乗ってこいよ……」


 頭を抱えた新堂が、呆れた口調で言った。


「あのさ、毎回こうやって送ってやれるわけじゃねえからな。自分の身は自分で守れ」

「走って逃げて、早く自宅へ駆けこめ。だったっけ?」

「それと懐中電灯を持ち歩くのも効果的らしいぞ。たとえ微小でも、奴らは『光』ってものに弱いからな」

「うん、分かった。……なんか新堂君、昨日や今日の昼に比べると、ずいぶんと優しくなったねぇ」

「あぁ?」


 高圧的に威嚇する態度は同じだが、確かに素直に助言を与えている自分に気づいた。

 優しくなった? いや、違う。安心したのだ。安堵から得た心の余裕が、美代子に対して気を遣えるようになったのだ。優しくなったかどうかは、捉え方の違い。

 じゃあ、どうして自分は安心しているのだ?

 待ちぼうけしていた時間が、無駄にならずに済んだから?

 美代子の無事な姿を見れたから?

 それとも――美代子の側にいられることが?

 チラリと、新堂は斜め後ろにいる美代子を盗み見た。

 そしてふと思い出す。準教授が話していた、白と黒の話。

 黒一色で染め上がっている自分が、もし美代子の色に染まることを安堵しているのだとしたら――。

 俺の本質は、黒なんかではないのかもしれない。


「ん、どうしたの? 新堂君」

「な……なんでもねえよ」


 盗み見ていたことがバレ、新堂は頬を朱色に染めながら顔を前に戻した。


「まあ、対策っつってもアレだけどな。突然変異した『夜魔』に遭うことなんか、滅多にないんだよ。ただ運が悪かっただけ……交通事故と同じようなもんだ。もしくははぐれメタル並みの出現率だな」

「えー、でもはぐれメタルって、けっこう出るよ。すぐに逃げちゃうから経験値が入らないだけで」

「…………」


 ゲームの例えを出したのが悪かったなと、新堂は後悔した。この五年、彼はゲームとはまったく無縁な生活を送っていたのだから。


 と――。


 闇夜がもたらした静寂を、変な歌声が切り裂いた。


「あ、私の電話だ」


 早く出ろと言わんばかりに鳴り響く携帯を求め、美代子は鞄の中に手を突っ込んだ。

 だがしかし、その時点で異常事態が発生していることを、新堂は悟っていた。

 なぜなら、懐に忍ばせてある新堂の携帯も、美代子の着うたと同時にバイブレーションが震えだしたからだ。女子高生の彼女がどれほどの頻度で携帯に触れているかは定かではないが、二つの携帯が同時に鳴るなど、とある可能性が強くなる。


 すなわち、『夜魔』の出現。


 しかしそれ以上に、周囲の異変を肌で感じ取った新堂は、戦慄を覚えていた。


「なんだよ……この気配」


 間違いなく、突然変異した『夜魔』の気配。新堂が『ウロボロスの牙』を手に入れてから、幾度となく対峙し、退治してきた化け物。

 ただ――気配を察知できる方向がおかしかった。あり得なかった。

 前と横、そして背後。完全に囲まれていたのだ。

 囲まれているということはつまり、少なく見積もっても三体以上。統計でいえば、一度のパトロールで一体見つけられれば運が良かったくらいの遭遇率であるはずなのに、今夜に限って一度に複数も出現するとは……。

 懐から携帯を取り出しながら、新堂はチラリと後ろの美代子を一瞥した。

 まさかコイツの体質が、本当に『夜魔』を惹きつけたのか……?


「ね、ねぇ、新堂君。気配なんて分かるの?」


 己の携帯を確認し、『夜魔』が出現したことに気づいた美代子が恐る恐る訊ねた。


「恐怖そのものが『夜魔』なんだから、怖いと思う方向に奴らはいる。もしくは近距離なら、絶対に目を背けたくなる場所だな。そういう場所にカメラを向けてみろ。ほぼ間違いなく『視える』ぜ」

「うぅ……分かりにくいよぉ……」


 涙目になりながら、美代子は携帯のカメラを四方に向け始めた。

 まあ事実、新堂も正確に気配が読めるわけではない。彼の場合、ただ単に両腕に眠る『ウロボロスの牙』が反応するのだ。復讐の対象を見つけたと、気分が高揚するように。


「気を引き締めろ。俺の側から離れるなよ」

「う、うん……」


 もし本当に四方を囲まれているのなら、無闇に走り回るわけにはいかない。身近な街灯の下で身を寄せた二人は、お互いの携帯カメラで周囲を捜索する。

 最初に現れたのは、馬の形をした『夜魔』だった。三十メートルほど離れた暗闇の中、大気を震わす嘶きが聞こえた。


「額に角が生えてるから、ユニコーンってところか?」


 だが、どちらにせよ関係ない。実在する生物であろうが、想像上の幻獣であろうが、『夜魔』であることには変わりがないのだ。

 そして奴らを滅する方法は、新堂にとっては一つ。

 口の端を吊り上げ、不敵に笑った新堂が、両腕を肘の辺りから切り離した。


「こいつをちょっと持っててくれ」

「えぇー!」


 突然義手を渡された美代子が、素っ頓狂な声を上げる。

 その間にも、新堂の肘の辺りから、二匹の黒い蛇がうねりを上げた。

 しかし相手は言葉も意志も伝わらぬ化け物、『夜魔』。こちらの準備など、待ってくれるはずもなかった。


「くっ……」


 再度大きく嘶いた馬が、額の角を前方に向け、突進してきたのだ。蹄の音どころか、足音すらない。四肢は普通に走るように地面を蹴っているのだが、まるで闇のソリにでも乗っているかのような、滑らかな突進だった。

 リニアモーターカー並みの静かな突撃に、距離の感覚を誤ってしまう。避けることはできたものの、間一髪だった。

 横へ跳んだ新堂の側を、闇の残滓が風に乗って吹き抜けていく。

 立派な角で獲物を捕らえきれなかった馬は、静かな急ブレーキを掛けた後、再び新堂たちの方へと身を反転させた。

 そして次なる攻撃のために、角を標的に向け、再度地面を蹴った。


「せっかく『形』を手に入れたってのに、攻撃方法が単純すぎるな。やっぱり『夜魔』ってのは、どいつもこいつも脳なしか」


 両腕から垂れ下がる蛇たちが、伸びる。伸びる。まだ伸びる。その長さは約六メートルといったところか。ただ地面の上でとぐろを巻いているため、正確な長さは分からない。が、最初に美代子を襲ったカエルを倒した時よりは、確実に長いだろう。


 蛇の紅い瞳が、馬形の『夜魔』を捉えた。


 生きる鞭が如く、二匹の蛇が飛びかかる。時速七十キロ以上で迫ってくる化け物にもものともせず、蛇たちは牙を剥く。

 右腕から伸びる蛇は、額の角に巻き付いた。全身に力がこもったように見えたのと同時に……立派な角を難なくへし折る。

 左の蛇は、馬の胸の辺りへと噛みついた。鋭い牙を立て、肉を喰い破る。


 そしてその出来事は一瞬。新堂が左腕を振ると同時、馬の体内へと侵入した蛇の頭が、背中から飛び出した。貫通したのだ。しかも、まるでコーヒーゼリーの中にトンネルを掘るような容易さで。

 それだけではなく、貫通した蛇の口には、握りこぶし大の塊を咥えていた。

 馬形の『夜魔』が機動力を無くしたように、その場で横倒しになってしまった。不思議なことに、人をも乗せられるほどの巨体が倒れたというのに、まったくの衝撃音はなかった。地面に伏した『夜魔』が、闇の粒子となって徐々に崩壊していく。

 倒した敵に一瞥もくれないまま、新堂は二匹の蛇を、本来の腕の長さまで戻した。


「あ、新堂君……それ、なに?」


 左の蛇が咥えている闇色の物体を指さして、美代子が怯えながら訊いた。


「あぁ? これは『夜魔』の心臓だ。見りゃ分かるだろ」

「わ、分かんないよ!」


 当然である。人間の心臓ですら生で見たことがないというのに、一昨日初めて遭遇した化け物の心臓など知っているはずもなかった。

 未だにドクドクと動く心臓から目を逸らしながら……それでいて興味がないでもなく、チラチラと盗み見ながら、美代子が再度訊いた。


「『夜魔』の弱点って、心臓なの?」

「いや。前にも言ったように、『夜魔』を倒す方法は、さらに大きな『闇』の力で押し潰すことだ。でも見ての通り、俺の『ウロボロスの牙』は小さいからな。あれだけの巨体相手には、押し潰すってのは難しいんだよ。だから心臓を破壊して、生物にとっての明確な『死』を与えてんだ。っと――」


 未だに周囲に『夜魔』が残っていることを思い出す。普段は一体倒せばそれ以上でなかったことがほとんどだったので、油断していた。

 蛇が、咥えていた心臓を丸呑みした。胴体の中を、丸い物体が通過していくのがよく見て取れた。

 再度警戒心を高め、新堂は周りを観察し始めた。


「ま、まだいるのかな?」

「たぶんいる。けど、俺たちを襲ってくるかどうかは分かんねえ」


 カメラを向けても、一向にそれらしい姿を捉えることができない。

 このまま、この場で待機してやり過ごすか。もしくは美代子を早々に家まで帰して、一人で狩りに出かけるか。どちらにせよ、複数の『夜魔』を同時に相手した経験がないので、危険であることには変わりがなかった。


 何も起こらないまま、約一分が静かに過ぎ去った。


 まだ気配は感じるものの、新堂の『ウロボロスの牙』は落ち着いている。つまり手の届く範囲に、狩るべき獲物がいないということ。『夜魔』が二人の存在に気づいていないのか、もしくは物陰からこちらの様子を窺っているのか。

 事が起こらず、やはり先に美代子を家まで送った方が安全かと、新堂が思い始めた、その時だった。

 新堂の携帯のカメラが、胴体の長い『夜魔』を捉えた。


「――――ッ!?」


 場所は二つ先の街灯の下。距離にして五十メートルくらいだろうか。

 長細い『夜魔』が、新堂たちの位置とは逆方向へと、地面を這って逃げる。

 視界の悪い暗闇ではあるが、新堂はそのシルエットを正確に捉えることができた。

 なぜなら蛇の姿をした『夜魔』は、この五年間、新堂が探し続けた相手なのだから。


「え……新堂君!?」


 気づけば勝手に脚が動いていた。

 美代子の声が、異様に遠くに聞こえた。

 鼓動が高鳴る。

 頭が真っ白になる。

 一心不乱に、新堂は二つ先の街灯の下へと駆ける。

 走りながら、左右の腕を交差させた。お互いを捩じり合わせた『ウロボロスの牙』は、螺旋を形作りながら、まるで大きな一匹の蛇のようにうねりを上げる。

 大蛇と化した『ウロボロスの牙』が、逃げる蛇形の『夜魔』を――喰い千切る。

 一撃だった。牙を喰いこませただけで『夜魔』の胴体は真っ二つに切断され、闇の粒子となって朽ちていった。


「…………」


 しかし新堂の表情は晴れない。

 いや、分かっていたことだ。五年前に新堂とその家族を襲ったウロボロスは、人の頭を丸呑みできるほどに巨大だったし、何より二匹の蛇で構成された『夜魔』だった。カメラでその姿を確認した時点で、復讐相手でないことは理解していた。

 ただ、蛇を見るとどうしても熱くなってしまう。

 目を伏せた新堂は、袖で額の汗を拭った。


「キャアアアァァァ!」

「――!?」


 背後から悲鳴。慌てて振り返ると、美代子とだいぶ距離が空いてしまったことに、ようやく気がついた。

 そして『視る』。腰を抜かして地面にへたり込む美代子の前の、巨大な『夜魔』を。

 なんの生物を模った『夜魔』なのかは、一目見ただけでは分からなかった。熊かゴリラか。『夜魔』ならぬ山のような大きく黒い物体が、歯並びの悪い口を開けて美代子に迫っていた。


「チッ……」


 靴の底に穴が開くくらい、強く地面を蹴る。同時に『ウロボロスの牙』を振り上げた。

 吸い込まれるように黒く、泥のように流動する『夜魔』の右手が、美代子の元へと伸びる。逃げることは期待できない。彼女の目は眼前の化け物に固定され、恐怖によって完全に支配されていた。

『ウロボロスの牙』が『夜魔』の心臓を喰い破るか。

『夜魔』の手が美代子の平常心を破壊するか。

 間に合うか間に合わないかの瀬戸際であるはずなのに……。


「正義の味方、蜉蝣様登場! 覚悟しろ、化け物めぇ! 必殺、カゲロウキーック!」


 場違いにもほどがある陽気な奇声が轟いた。

 呆気にとられた新堂は、『ウロボロスの牙』を『夜魔』へと向けながら、空を仰いでしまった。

 暗いながらも、子供のような小柄なシルエットを発見した。民家の屋根の上だ。

 その子供は身軽にも屋根から飛び降りると、塀の上へと立つ。さらにそこからまた膝を屈め、全身をバネに路上へと飛び上がった。

 高さは三メートル弱。大型の『夜魔』よりもさらに上空。

 その位置で両膝を胸元まで屈め――薄汚れたスニーカーが、『夜魔』の脳天へと突き刺さった。

 踏みつけられた『夜魔』は、耐えることも、また倒れることもなく、立ったままの状態で、いとも簡単に真っ二つに引き裂かれた。その耐久性は、液体をこん棒で叩き割ったように脆かった。

 しかし引き裂かれた『夜魔』の身体は、再び結合することはない。地面に倒れた『夜魔』の残滓は、闇色の粒子となって夜へと溶けていった。


「もう、ダメじゃないか、新堂君! 女の子を一人残して離れちゃ!」


 おかっぱ頭に、幼い少年のような服装。その姿は、昨日挨拶を交わした蜉蝣だった。

 蜉蝣は未だ唖然としている新堂を指さし、何故か怒っているようだった。


「あぁ、悪い……助かった」


 反射的に謝るも、驚きを示す新堂の瞳は蜉蝣を捉えて離さない。

 どうしてコイツが今ここにいる? いや、そんなことはどうでもいい。新堂が素直に驚いている理由は、今しがた目の前で起こった光景だった。

 蜉蝣が足で踏み潰しただけで、大型の『夜魔』が滅せられた事実。

『夜魔』を倒すためには、その『夜魔』以上の『闇』で強引に潰さなければならない。新堂の『ウロボロスの牙』でさえ、心臓を破壊し、明確な『死』というもので『夜魔』を葬り去っているというのに、ただ踏み潰すだけとは……。

 蜉蝣は一体、心の中にどれほどの『闇』を抱えているというのか。


「えっと……どちら様、かな?」


 地面に尻もちをついたまま、美代子が蜉蝣を見上げて首を傾げた。

 まあ、コイツはコイツですごく切り替えが早いなと、さっきまで『夜魔』に恐怖していた美代子の無事を確認した新堂は呆れてみせた。


「僕かい? 僕は蜉蝣。新堂君と同じ『AND』に所属している、『夜人』さ。君のことも、村井先生から聞いてるよ」

「蜉蝣……ちゃん?」

「おいおい、よしてくれよ。確かに僕は君たちより年下だけで、ちゃん付けで呼ばれるほど子供じゃないよ」


 照れたように、しかし満更でもない感じで、蜉蝣は頭を掻いた。

 美代子に手を伸ばした蜉蝣は、首を新堂の方へと向けて言う。


「それにしても、複数の『夜魔』を同時に相手だなんて、なかなかハードな仕事してるねぇ。『AND』のパトロールって、けっこう大変なんだ」

「今夜が珍しかっただけだ。普段は一匹見つけられるかどうかだ」


 先ほどまで周囲を覆っていた気配が、すべて消えた。今夜の襲撃はこれで終わりだろうと直感した新堂は、両腕の『ウロボロスの牙』を短く収めた。

 天真爛漫に振舞う蜉蝣は、意味深な笑みを浮かべながら、年上二人を見つめ上げる。


「いやー、それにしても嫉妬しちゃうねぇ。お二人の仲の良さには」

「どこをどう見たら、仲良さそうに見えるんだよ」

「一般論だと思うよ。夜道で女の子の護衛だなんて、普通の関係じゃあないと思われても反論できないと思うけどな。ま、僕は親しい友達がいないから、余計に二人の関係が輝かしく見えちゃうのかもしれないけどね」


 どこか陰が差したように顔を伏せる蜉蝣のその態度は、意外だった。

 これだけ明けっ広な性格だから、友達くらい簡単にできそうではあるが……。

 と疑問に思ったが、新堂は自分の境遇と照らし合わせることで、一人納得した。

 過去に『夜魔』の浸食を受けた者は、少なからず人間不信になってしまう。夜の『闇』とはあまり関係がないものの、心の奥深くに潜む人間としての『闇』を垣間見てしまう気がして、手放しで信用ができなくなってしまうのだ。


 新堂自身がそうだった。五年前の事件の前にも、親しい友人は何人かいたのだが、上っ面な慰めを吐くそいつらに嫌気が差し、きっぱりと関係を絶ったのだ。それ以降、友人らしきものを作らず、高校に進学してからもずっと独りで過ごしてきた。


 だからたぶん、蜉蝣には世間話ができる程度の『友達』はいくらでもいるのだろう。だが『親友』と呼べる相手はいない。新堂はそう解釈した。

 自分とたった一つ下だけではあるが、新堂は蜉蝣が歩んできた人生をひどく不憫に思った。


 が――、


 そんな胸中も知らず、この女は遠慮くなく宣った。


「じゃあ、蜉蝣ちゃん。私たちと友達になろうよ」


 新堂と蜉蝣の会話を、キョトンとした様子で聞いていた美代子が、突然笑顔を輝かせながら、そんな提案をした。


 これには新堂だけでなく、蜉蝣にとっても意外な申し出だったらしい。大きな瞳をさらに見開きながら、唖然とした表情で美代子のことを直視していた。


「……友達? 僕が? 君たちと?」

「ちょっと待て。なんでそこに俺も含まれてんだ?」

「だって新堂君も、蜉蝣ちゃんと同じ『AND』の仲間なんでしょ? だったら仲良くしなきゃ!」


 何故か怒ったように指摘された。勢いに押された新堂は、顔を明後日の方向へ向ける。

 軽く腰を屈めた美代子が、蜉蝣の顔を覗きこんだ。


「どうかな?」

「友達……か」


 照れたように頷いた蜉蝣が、大きく首を縦に振る。


「うん! それじゃあ、よろしくお願いするよ!」

「やった。決まりだね。じゃあ早速、携帯の番号を交換しよう!」


 新堂君も早く出すんだ! と急かす美代子に対して、新堂は露骨な舌打ちを披露した。


「この手でどうやって携帯出すんだよ。早く腕を返せ」

「わお!」


 今さら気づいたようだ。

 新堂の義手は、美代子が地面に尻もちをついた際、そこら辺に放り出されていた。万が一、放置したまま帰ってしまっていたならば、バラバラ殺人事件で通報されそうな有様だった。


「ごめんごめん。すぐにつけるね」

「へぇ、すっごいリアルだね。これで体温があったら、本物と見間違うよ」


 平謝りする美代子が右腕、感心しながら義手をまじまじと観察する蜉蝣が左腕。

 二人が新堂の義手を一本ずつ差し出す。

 接続のために、肘の辺りから頭を覗かせている『ウロボロスの牙』を消滅させた。

 その瞬間――、


「えっ…………」


 視界が揺れた。間抜けた声を出したのが自分だと気づかないまま、新堂は平衡感覚を失う。バランスを取るため、一歩二歩たたらを踏んでしまったが、立ち続けることが困難であることは、すぐに分かった。


 ぐるぐるぐると、世界が回る。

 ぐいぐいぐいと、身体が左右に引っ張られる。


 酔っぱらいのように、また今さっき絶叫マシンから降りたかのように、縺れ合う脚はとうとう全身の体重を支えることを放棄した。

 重力が為すまま、突然新堂は、その場に倒れてしまった。

 そして急に眠気が襲ってくる。


「新堂君!」


 意識が途切れる前に目にしたのは、困惑した美代子の顔と――、


「…………」


 口元が歪んだ、薄気味悪い笑みを浮かべた蜉蝣だった。

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