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プロローグ

※タイトルは某同人STGの楽曲から

 乱れた動悸は正常な呼吸を失敗させ、鼻から入った酸素が喉の奥をツンと刺激した。


 四月中旬とはいえ、夜はまだまだ冷える。寒い日となると、わずかに息が白くなるほどだ。運動のため発熱体と化した全身とは対照的に、張りつめるほどに凍てついた空気が頬に触れ、矢野美代子の体力を悪戯に奪っていった。


 異様なほど静まり返った住宅街を、美代子の乱暴な足音が裂く。一直線に駆け抜けるその足音はブレが無いほどに力強く、そして焦りを帯びていた。人々が活気に満ちる『昼』ではなく、東の空に『夜』が来訪してからすでに三時間、この時間帯に住宅密集地を全速力で駆ける姿は奇妙この上ない。


 しかもそれがセーラー服が似合う女子高生ならなおのこと。


 美代子は同年代に比べれば少しばかり童心の残るあけっぴろな性格の娘ではあるが、彼女の人物像とその他周囲を取り巻く環境を総合してみれば、どこにでもいそうな平々凡々な女子高生である。


 ただし今日ばかりは……今夜ばかりは不運だった。


 全国展開する飲食店でのバイトを終え、さあ帰ろうかというその時である。いつも利用している愛用の自転車がパンクしていたのだ。そういえば来る途中、急にペダルが重くなったことを思い出し、何か尖った物でも踏んづけたのだろうと思い至った。


 パンクしているのなら、乗って帰るわけにもいかない。携帯で親に迎えにきてもらうことも考えたが、後日自転車を取りに来るのが面倒だ。家の車じゃ、自転車を積むことはできそうにないし。


 ほんのわずかの間思案した結果、危機意識の薄い美代子は自転車を押して帰ることにした。

 もちろん、夜遅くの女子高生の一人歩きなど危険極まりない。自宅まで徒歩十分か十五分、かつ大きな犯罪とは無縁な片田舎ではあるが、用心するに越したことはなかった。

 そして案の定、美代子は想定外の追跡者から、逃げている。


 しかし――そいつはあまりにも想定外すぎた。


 痴漢や変態ならば、恥を忍んで近くの民家へ駆け込み助けを請うこともできた。しかしそうしなかった理由は、近所の迷惑にならないように遠慮したわけでも、また救援を呼ぶことを追跡者が許さなかったわけでもない。

 意を決して、美代子は走りながら背後を振り返る。


 そこには誰もいなかった。


 足音は自分のもの以外には聞こえず、また自転車独特のタイヤとアスファルトが擦れる音や、原付のようなエンジン音が聞こえるわけでもない。


 聴覚だけでなく、視覚情報も今確認している通り。

 本当に、何もない。まるで目に『視えない』幽霊のような存在に追われるような感覚に陥り、彼女はただひたすら走っていた。


 だからこそ見も知らぬ他人の家に助けを求めるのは、寸前のところで躊躇われるのだ。もしかしたら全身を襲うこの恐怖感は、ただの勘違いかもしれないという最後の期待が枷として働いてしまうために。


「はぁ……はぁ……」


 息が切れ、走る速度が落ちる。特別運動ができるわけでもない美代子にとっては、一分程度の全速力でも体力を使いきるのには十分な運動量だった。


 へとへとになり、ついには塀に半身を預け、その場に屈みこんでしまう。

 逃げなくちゃと本能が叫ぶも、棒になってしまった脚は動くことを拒む。

 逃げることが困難となった今の状況にさらに恐怖心を覚えながらも、美代子は背後へと視線を送り、追跡者の有無を確認した。


 しかしやはりそこには何もいない。何も『視えない』。街灯の光と夜の闇がストライプ状となった夜道が、奥へ奥へと伸びるのみ。


 分からない。自分が何から逃げているのか分からない。自分の抱く恐怖心が、本当に何者かから襲われていることに対するものなのか、分からない。自分の置かれている状況の前途が『視えず』、この先どうすればよいのかワカラナイ。


 とその時、懐から間の抜けた電子音が高鳴り、美代子はギョッとして身を竦ませた。

 突然のことに一瞬だけ頭が真っ白になるも、それが自らの携帯電話の音だということに気づき、わずかに緊張をほぐす。ただ、それが今の状況を解決する糸口になるとは限らない。

 美代子は恐る恐る携帯電話を取り出し、開いた。

 ディスプレイに表示を確認し――彼女は顔をしかめた。


「また……」


 闇を散らす光とともに現れるディスプレイには、何も表示されていなかったからだ。最近ダウンロードした着うたとともに、ただ白い壁紙が映し出されるばかり。


 通常、電話が掛かってきた場合、ディスプレイには相手の電話番号が表示される。アドレス帳に登録してある相手ならばその名前が出るし、非通知ならそのまま『非通知』の文字、公衆電話の場合にもそのまま表示されるはずだ。


 なのに、今掛かってきている電話には、そのいずれの表示も無い。

 真っ白で、『視えない』。まるで、美代子の背後から迫りくる追跡者のように。

 異常をきたした自分の携帯を不思議がるのと同時、彼女はさらなる嫌悪感を抱いた。


 この現象は、美代子が逃げることを決意した際とまったく同じものだった。

 パンクした自転車を押し、バイト先の飲食店から一二分した頃、今と同じように着信があった。最初は何気なく携帯を確認したものの、ディスプレイに表示された異様さに首を傾げる。番号の表示されない相手の電話に出てもよいものか、わずかに逡巡したその刹那だった。

 ゾクリと、美代子の背中に得体の知れない恐怖感が這いずり回る。

 言葉では言い表すことのできない危機感を察知し、走らない自転車をその場に放置したまま、美代子は走り出したのだ。そして今に至る。


 一度目は電話に出る余裕などなく、また逃走中に着信はなかった。

 未だ鳴り続ける自らの携帯電話を、美代子は無言のまま睨みつける。この電話は、背後の正体不明な恐怖と関係があるのだろうか。いや、間違いなくある。不思議な電話に不思議な追跡者。漫画やゲームのようなファンタジーとは無縁の、平凡な日常に暮らしてきた美代子にとって、そんな不思議が二つも偶然重なることなど有り得るはずがない。


 だからこの電話は、今の美代子にどのような効果を招くのか。

 電話に出ることが、吉と出るか凶と出るか。

 幸いにも全速力の逃走の甲斐あってか、背後に襲う恐怖心は先ほどよりも薄くなっていた。体力の回復していない今、数秒くらいなら電話に出る余裕もある。まさか電話に出るだけで、今の状況が急激に悪化するとは到底思えないし。

 そう結論付け、一度背後を振り返り何もいないことを確認した美代子は、すでに一分以上鳴り続ける携帯電話の通話ボタンの上に指を載せ、耳に当てた。


「誰……ですか?」


 口の中で異常分泌した唾液が喉に絡む。美代子は全神経を聴覚に集中した。

 しかし――、


「どうして……」


 携帯からは、何も聞こえなかった。誰も喋らないどころか、どことも通じていない。一切の雑音が介入していない無音が、美代子の三半規管に広がるだけだった。

 安心したように、もしくは落胆したように携帯を閉じる。その時、


 ――ゾワリ。


 全身の鳥肌が一斉にもろ手を上げた。この感覚は知っている。『恐怖』。ほんのさっきまで、自分に差し迫っていた感情。

 目に『視えない』何かが……『視えない』恐怖の正体が、今、目の前にいる。

 塀に背中を預けたまま、美代子は大きく目を見開き、前方を凝視した。『視えない』。何も『視えない』のに怖い。何も『視えない』から怖い。ほんの数メートル先の『視えない』物体が、自分を喰らおうと迫る――、


「携帯のカメラを向けてみろよ。『視える』から」


 その声は突然だった。地べたに尻をつく美代子の、真横から。

 恐る恐るといった感じで、美代子は眼球を横へスライドさせた。暗くて鮮明に捉えることはできないが、少し離れた場所で、闇夜の路上に立つ影が一つ。

 生唾が落ちる喉元を必死に稼働させ、美代子はその人物に助けを求めた。


「たす……けて」

「言われずとも助けるよ。けどその前に、アンタは目の前の『夜魔(やま)』を『視』なければならない。『認識』しなければ、『視えない』恐怖に押しつぶされるぞ」

「『夜魔』……?」

「いいからまずはカメラを向けろ。携帯は持ってるんだろ? 話はそれからだ」


 言われるがまま、美代子は手にしている携帯のモードを切り替えた。画面にPhotoの文字が出てから、レンズを眼前の質量のある恐怖へと向ける。

 そして――画面に映し出された巨大な生物を『視て』、美代子は喉を引き攣らせた。


「ヒッ……!」

「『視た』か? ソイツが突然変異した『夜魔』だ。まあ『視る』限りソイツは人間に恐怖を与えるだけの無害な奴だが、突然変異した『夜魔』は例外なくぶっ殺さなきゃならない」


 人影の低い声が何やら解説らしきことを言っているが、今の美代子はそれどころではなかった。携帯の画面に映し出された巨大で奇妙な生物を『認識』してしまい、あまりの動揺に言葉を失っていた。


 目の前にいたのは、カエルの姿をした巨大な化け物だった。高さは一メートルから一・五メートルほど。体長は道路幅と同等に近い。当然だが、この程度の大きさの生物は世界にも多数存在するものの、カエルとしての規模は常軌を逸脱していた。


 ただ見た目こそカエルと類似しているとはいえ、本当の両生類かと問われれば疑問だ。

 全体はあまり元型を留めていない。本来皮膚呼吸をしているはずの全身は、まるで火傷を負ったように爛れ、固まった溶岩のような隆起を作っていた。しかも全身が黒く、身体の至るところから紫色の瘴気が漏れている。それはまるで、『闇』という粘度をこねくり回し、無理やりカエルの姿を形作ったような乱暴さがあった。

 しかしそれ以上に不可解なことが美代子の身に降りかかり、さらに混乱する。


「え……なんで、『視える』の?」


 携帯の画面から視線を移す。前方には、携帯のカメラ越しに『視ていた』カエル姿の化け物がそこにいた。さっきまでは、何も『視えなかった』はずなのに。


「『夜魔』とは『闇』そのものだ。『闇』は目に『視えない』。けど一度『認識』してしまえば、その視覚情報は勝手に脳に刻まれる。あとは記憶と恐怖が連動し、『夜魔』の姿を『視る』ことができる」


 男の声が足音とともに近づいてくる。街灯の下で照らされた男の姿を、美代子は見た。

 漆黒の学ランで身を包んだ男だった。いや、どこか幼さの残る顔の造形から、少年と称した方が妥当だろう。高校生の美代子と同年代だ。


 ただし彼が普通の少年と表現することは、美代子には躊躇われた。

 彼の全身は、周囲と同化するほどの『闇』に包まれていたからだ。学ランであるから全身は当然、短めの髪も、履き潰したスニーカーも、すべてが真っ黒に彩られていた。それはそう、まるで顔の肌の部分のみが、夜の闇の中で浮いているかのように。


 そして何より、彼の心が『闇』に染まりきっているのだ。目つきから分かる。ドス黒く濁った隈を携えながら鋭く細められる瞳は、殺意しか籠っていない。目の前のカエルの化け物を、それだけで射殺さんような狩る者の眼。


「あ……」


 まじまじと少年を観察していると、美代子は唐突に何かに気づいたように声を上げた。

 この顔、どこかで……。


「アアアアアアァァァァーーーーー」

「う……」


 突然、カエルの化け物が大口を開けて咆哮した。紫色の瘴気が、周囲に充満する。美代子は耐えられず、両腕で顔を庇った。ただ想像していたような生物的臭さは一切ない。代わりに瘴気を吸い込んでしまったために、心が抉られる感覚に陥る。すべてを諦め挫折してしまうような絶望感が、全身を襲った。


「喚くな化け物」


 少年が動いた。両腕を左右に大きく広げ、巨大なカエルへと突進する。

 その手には鞭。長さ三メートルもあろう黒色の鞭をしならせながら、少年は跳躍した。


「夜の帳を降ろしてやる」


 二本の鞭が、カエルの背中へと襲いかかった。先端が溶解している闇の皮膚へと突き刺さり、さらに奥へと喰い込んでいく。


「アアアアアアァァァァーーーーー」

「暴れんな。闇臭ぇだろ」


 のたうち回るカエルの背に降り立った少年は、上手くバランスを取りながら二本の鞭を操っていた。しかしそれもすぐに終わる。鞭が体内から出てきたのと同時、カエルの化け物は音もなくその場に崩れ落ちた。


「『夜魔』を殺すのには、二つの方法がある」


 少年が操る鞭には、ドス黒い球体の臓器が突き刺さっていた。ドクンドクンと弱々しく脈打つそれは、徐々に動きを無くし、次第に止まる。と突然、巨大なカエルの化け物は崩壊を始めた。四肢の先端から闇色の粒子へと変化し、周囲の夜の闇へと溶け込んでいく。

 足元が崩れる前に、少年は地面に飛び移った。


「圧倒的な『闇』で押し潰すか、圧倒的な『光』で浄化させるか、だ」

「え?」


 美代子は目を疑った。地面へと垂れる彼の鞭が、一人でに動いたような気がしたからだ。

 いや……よく目を凝らしてみる。それは鞭ではなかった。真っ赤な瞳を輝かせ、先端からチロチロと長い舌を覗かせているそれは……蛇だった。全身が真っ黒な蛇を手に持ち、少年は操っていた……? いや、違う。そうだとしても違和感がある。少年が蛇の尻尾を持っているようには見えない。どちらかというと、少年の腕と二匹の蛇が一体化しているような……。


「……ん?」


 美代子が少年の腕をじっくりと観察していると、彼は訝しげに声を上げた。

 二人の視線が、合う。


「「…………あ」」


 お互いが同時に声を上げた。


「もしかして……新堂君?」

「チィッ、最悪だ。知り合いかよ……」


 呆気にとられて少年の顔を指さす美代子と、失態を犯した自分に腹を立てる少年。

 二人は同じ高校の、同じクラスメイトだった。

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