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短編小説

秋の山で

 木の枝を離れてしまった枯葉の運命を思うことなど、普段はない。


 身を切るような風が吹き抜けてゆく。風は僕をあっという間に追い越し、真っ青な空へ向かって上昇する。樹上に残っていた赤や黄色の葉が一斉に散って宙を舞い、太陽の光を乱反射しながら狂ったように回転している。


 その姿は空を飛ぶ自由を初めて知って喜んでいるようにも大樹の庇護を失って途方に暮れているようにも見える。いずれにしても、しばらく虚空に複雑な軌跡を描いた木の葉たちは風の勢いが弱まると同時に緩やかに降下を始め、既に地面に到着している仲間たちの上にそれぞれの思いを抱えたまま積もっていく。


 互いの体が密着すると木々の枝に規則正しく一定の間隔を保って配列されていた頃よりも親密になれるのだろうか。ひょっとしたら恋が生まれたりすることもあるのかもしれない。恋人たちは体を重ね、あたためあう。密やかに愛の言葉をささやきながら……。


 立ち止まって深く息を吸い込んだ。(かす)かに湧き水の香りが混じる冷え切った清浄な大気が鼻腔をツンとさせ、気管を通り抜けて肺を満たす。

 再び風が吹いた。目の前にある巨木の枝が揺れ、錆びついた鋼鉄のドアを無理矢理開けるような音をたてて(きし)む。僕は自由になったのか? それともあてもなくさまよっているのか? 灰褐色の厚い樹皮に覆われた逞しい幹に尋ねても返事はない。かじかんだ指先にそっと息を吹きかけ、ゆっくりと歩き始める。


 渓流沿いに山奥へ向かう凹凸の多い林道の終点を過ぎ、十一月も終わりに近い森の中に入った。厚く降り積もった枯葉を踏むと音をたてて割れ、崩れる。カエデ、ミズナラ、そしてブナ。地上に落ちた葉は薄く、脆い。かつて空と大地の境界で絢爛たる秋を彩っていた鮮やかな色素は、誰も見ていない時を見計らって(よう)(へい)から抜け、真っ黒な大地へ滴り落ちてゆく。一部の枯葉は灰色に近くなるまで脱色が進み、風化した骸骨のような白い葉脈を痛々しく露出させている。


 枯れた葉はもう死んでいるのだ。誰も恋などしていない。乾ききった硬い維管束やセルロイド質の薄い膜が登山靴の厚くて硬いゴム底の圧力で崩壊して砕け散る感触は、過去に火葬場の収骨室で幾度も感じた何かに似ている。更にぐっと地面を踏み締めると、地面の底が抜けたかのように腐葉土の中へ靴底が沈み込み、すっかり忘れてしまった遠い記憶……会社の独身寮が燃えて何人もの同僚が亡くなった夜、雪の降る空へ舞い上がった赤い火の粉。父が突然死した日、実家とは九百キロメートルも離れていたにもかかわらず、父の気配をはっきり感じて目覚めた夜明け前の暗闇と静寂。母の真っ白な遺骨を長い竹の箸で挟んで持ち上げた時の、あまりに軽く、脆いことへの戸惑い……が蘇る。


 枯葉は僕に踏まれて次々と粉々になっていく。おそらく枝の先で燦々と降り注ぐ夏の太陽を全身に浴びて()(すい)のように輝いていた頃を思い出しながら……。それは僕がまだ若く輝いていた頃のことを(まれ)に思い出すのに似ている。僕は既に若葉ではないし、はち切れんばかりの勢いを秘めた濃い緑の葉でもない。それどころか、細い枝の端にやっと留まってひらひらと風に揺れている黄色い葉ですらない。


 僕は落ち葉となった自分自身を一歩一歩踏み潰しながら進んでいるのか……。

 地面に落ちてしまった葉が、再びしなやかな枝の先端に瑞々しく輝くことはあり得ない。いずれ雨に打たれ、流されて窪地に溜まり、粘菌や微生物たちによって分解される。やがて土に還り、最初から何もなかったかのようにその存在は終わる。


 僕は今、(ひろ)(しま)県の北外れにある『県民の森』という自然公園の入口辺りを歩いている。この奥に連なっているのは()()(やま)吾妻山(あづまやま)()(なし)(やま)など、いずれも標高千二百メートル前後のなだらかな山々だ。


 比婆山は()(りよう)とも呼ばれ、日本の神話に登場する伊邪那美命(いざなみのみこと)という女神の亡骸を葬った墓であると、この辺りでは言い伝えられている。

 吾妻山は、比婆山に葬られた伊邪那美命を夫の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が「ああ、吾が妻よ」と山頂から偲んだことが山名の由来だという。


 伊邪那美命と伊邪那岐命は日本の国土を生み、その後に多くの神々を生んだ。けれども火の神を生んだ際に伊邪那美命は大やけどを負い、それが元で亡くなってしまう。伊邪那岐命は愛しい妻を蘇らせようとして死者の世界である黄泉国(よみのくに)へと向かうが、その望みは叶えられなかった。


 ここから一番近い標高千百四十九メートルの毛無山は林道の終点から頂までの高低差が三百五十メートルほどのたおやかな山だ。過去に幾度も登ったことがあるので今ではすっかり庭のようにも感じられる。緩やかな山道を一時間半ほど登れば三百六十度の眺望が広がる芝に覆われた山頂に着く。今日は快晴だから(とつ)(とり)県の西部に(そび)え立つ中国地方の最高峰、標高一七二九メートルの大山(だいせん)を北東の方角に見ることができるだろう。


 この山道は神々も往来した(いにしえ)の道らしい。この先の広島県と(しま)()県の境には()(ずも)(とうげ)という名称の(あん)()があり、それを超えて歩き続けると千五百万年前に誕生したと言われる日本海へ至る(ただし、現在は島根県側を歩く人は皆無に等しく、踏み跡が消失しつつあるが……)。道を覆う枯葉の下には腐葉土と太古の火山の噴火を記憶している黒い土が厚い層を成している。この世に生を享けて五十年が経とうとしている僕は平成二十八年という時代のひんやりとした空気を吸いながら、今に至る時間の堆積の上を歩く。


 出雲峠の向こう側には黄泉国への入口があるらしい。神々や人々は生を終えた後、木の葉を散らすように思い出を地面に振り落としながら黄泉国を目指して歩く、という話を幼い頃に母から聞いたことがある。神々や人々を離れた思い出は、きっと今も黒い土と腐葉土の中に埋もれているに違いない。

 思い出……。僕は、あたかも希少な植物の標本を収蔵庫に保管するかのように思い出を胸にしっかりと抱きしめている。その中には生きる喜びにあふれた思い出もあれば、死に取り憑かれた時の思い出もある。


 四年前、僕は死を願っていた。


                   ◆


 平成二十四年……


 九月一日(土)晴れ

 生きているのが辛くなって死にたくなって自分を消したくなって世の中から消えてしまいたくなって……。死んでしまったらどんなに楽になることだろうと、毎日そればかり考えて、首を吊ったら楽になるよ、早く楽になりたいと、そんなことばかりが心の中に浮かんでくる。自殺した人間が地獄に行くとしても、生きていても地獄なのだから死んだ方がましだ。そんなことばかり考えて一日が終わる。寝ている間に死んでしまったらどんなに楽だろうと思いながら寝る。かつては仕事も趣味も、もっとしたいのに時間が足りなくて、もっともっと時間が欲しいと思っていたのに、なんという変わりようだろう。


この病気になる前は、まさか自分のような元気な人間がなる病気だなんて思いもしなかった。これっぽっちも想像したことがなかった。K病院に入院して既に一ヶ月。数日おきにECT(イーシーティー)(電気 (けい)(れん)療法)を受けている。頭に強烈な電流を通すと死にたい気持ちが消えるという。同時に記憶の一部も消えてしまうことがあるらしいのだけれど。



 九月二日(日)晴れ

 頭が痛い。今日も体がふらふらする。まるで強い酒に酔っているかのようだ。気持ち悪い。頭の中がぼーっとしている。


 生きるという病気。生という病。生きていることそのものが病気なのだ。それも確実に死んでしまう病なのだ。どのような過程を経て死ぬのか、それだけが人によって違う。


 不安。あらゆることへの不安が僕をがんじがらめにする。あらゆることに喜びを感じない。消えてしまいたい。この世からひっそりと誰にも気付かれず誰にも迷惑をかけることなく消えてしまいたい。


 雲になりたい。白い雲になって空を飛びたい。何の感情もない雲になりたい。何も思わずに空に浮かんでいたい。



 九月三日(月)晴れ

 街には多くの人や車が忙しそうに行き来している。ああ、みんな働いているんだな、一生懸命働いているんだな……。

 あれほどにまで親しかった世界が、一気に閉じてしまった。かつて親しく開かれていた明日への扉は閉ざされてしまった……。世界があって僕が存在している。けれど、僕はこの世界に参加していない。この上もない疎外感。


 小さな白い雲が東の空からこちらへ向かってにじり寄ってきた。じっと見ていると、青くて硬い巨大な石板のような空が、水平にゆっくりと音もなく落ちてくるような気がする。


 とても悲しい。生きているのが悲しい。ただ、ひたすら悲しい。どうしたら悲しい思いをせずに生きることができるのかわからない。何もかもが壊れてしまったみたいだ。ぼろぼろだ……。


 元に戻るためにはどうすればいいのか。本当の自分に戻るためにはどうすればいいのか。

 戻る? 何に戻るのだ。本当の自分? そんなものが本当にあるのか? 本当の自分など、どこにもない。だからここでこうしてのたうち回っているのだ。なのに戻るべき何ものかがあるとでもいうのか。戻る所があるというのか。ならばそれはどこだ、どこなんだ! いったいどこへ行けばいいんだ!


 今しかない。今、ここにいる自分以外、どこに本当の自分がいるというのだ。どこにも逃げられない、いや、どこにも逃げちゃいけない。今、自分が立っている所以外、自分がいる所はない。今、自分がいる所にだけ本当の自分が存在しているんだ。それ以外の自分なんてどこにもいないじゃないか。逃げたらだめだ。


 逃げてなんかない、逃げてなんかない、逃げてはいない。ただ、立っていられなくなったんだ。立つことができなくなったんだ、自分のいる所で立つことができなくなったんだよ。這い回っている、僕は地面を這い回っているんだ。希望も夢も何もないと叫ぶ気力すら失ったまま無言で這い回っている。それが今の僕なんだ。笑え、笑うがいい。この無様な僕の姿を!


 誰が笑うというのだ。誰も笑いはしない。誰も笑ったりはしないよ。一生懸命やってきたじゃないか。いったい誰が笑うだろうか……。


 五階の病室の窓から毎日東京湾を見ている。海は最後の楽園。海に浸って永遠の眠りにつくことができたら、どんなに素晴らしいことだろう。明日までの命だと知った時、人は何を思い浮かべるのだろう。


 夕方、主治医のF医長がベッドサイドに来られた。ECTがあまり効いていないらしい。

「十回以上してやっと効く人もいますから、やけだけは起こさないでください」


 喜びなど、なくてもいいのです。苦しみが減っていけば、それでいいのです。生きることは、苦しみです。


 夜、T看護師さんの巡回。

「死にたくなったり不安になったらいつでもナースコールで呼んでください。一人で考えても悪い方に悪い方に考えてしまう。話をするだけで違うから……」

「僕には生きる資格があるのでしょうか」

「生きるのに資格はいらないんですよ。人は生かされているんです」

「僕が生きていても、何の役にも立ちません。生きている意味などありません」

「そんなことはないですよ。私もあなたも、こうして温もりを分け合うことができる。それ以上の生きる意味なんて、どこにもありませんから」

 そう言って彼女は僕の手をそっと握ってくれた。温かい……。



 九月四日(火)晴れ

 今日はECTの予定。朝日が病室を明るく照らす。


 いつものように九時頃、専用の部屋にベッドごと移動してECTが始まった。酸素マスクを当てられて全身麻酔の冷たい薬液が腕に注入されている最中、息ができなくなった。喉の奥が石のように硬くなって息を吐くことも吸うこともできない。体も、ぴくりとも動かせない。肺から酸素が消え、窒息した肺胞が急速に冷えていく。何者かに両足をがっちり掴まれ、大きな湖の真っ暗な底に向かってどんどん引き込まれていく……。と、突然、白く強烈に輝く得体の知れない巨大な球体が目の前に迫ってきた。これが体を包んだら一気に何もかも楽になるだろうということを、僕は理解した。


 さようなら……。


 ふと目が覚めた。白い天井が見える。蛍光灯の横にコウモリが翼を広げたような形の黒いシミがついている。いつもの回復室だ。いつのまにかECTは終わっていて、僕はいつものようにベッドの上に横になっている。生きている……。初めて見る顔の看護師さんが付き添ってくれている。ECTの後はいつも冷たい雨に打たれ続けたような陰惨な気持ちになるのに、今回は違う。温かな湯が満々と湛えられた無限に広い浴槽に、艶めいて潤った心が乳白色の湯気に包まれて浮かんでいるような気がする。


 夕方、伸び放題だった髭を剃った。H看護師さんに「今日は気分が良さそうに見えるよ。思い切って髭を剃ったら?」と言われ、電気シェーバーでなんとなく剃った。髭を剃った僕を見て彼女は「こっちの方が断然いいじゃん」と言い、僕が食事の際に使っている白いプラスチックのコップにこびりついた茶渋を、食卓塩で一生懸命こすって綺麗に落としてくれた。


 窓を開ける。五センチほど開いた所でストッパーに当たり、それ以上は開かない。もわっとした暖かい風が入ってきた。夕陽に照らされた海面を、茜色に染まった客船や赤い貨物船がゆっくり動いている。

 


 九月五日(水)晴れ

 昨夜、『海岸で地層を研究している軍人になった夢』を見た。

 ……緑色の作業服を着て寂しい海岸で地層(おそらく津波とか噴火の歴史)を調査した後、十トントラックで内陸に戻り、敵に爆撃された場所を四、五人の部下と一緒に回った。アスファルトの裂け目から燃え上がっている炎をスコップで叩いて消火する作業がほとんどだった。次から次へと場所を移動しているうちに、いつのまにか紺色の軍服を着ていることに気付いた。大きな病院の近くでトラックを停めて、ずっと昔から借りていた食器運搬車を返却した。それから赤い橋を渡って僕はみんなと別れ、一人で地下坑道へもぐった。蒸したジャガイモとアスパラガスを食べた後、飛行服に着替えて坑道を出た。見知らぬ青年が挨拶してきたので敬礼を返す。それから飛行服のまま重い荷車を引いて向かったのは東京。荷車に何を積んでいるのかは極秘とのことだった。ずいぶん長い距離を何日も歩き、やっと着いた。大きな川の堤防に荷車を置いて偵察に出かける。東京タワーを目指したが、迷ってしまった。いくら探しても東京タワーは見つからない。初老の紳士に道を尋ねると親切に案内してくれた。そこにあったのは確かに鉄の赤い塔だったが、残念ながら東京タワーではなかった。僕の本当の任務は何だったのだろうか。


 朝食を終え、薬を飲むために病棟ホールへ向かう。途中、ナースセンターの前でE看護師さんが微笑みながら「髭、剃ったんだね。表情がとっても良くなってるよ」と声をかけてくれた。なんだかわからないけれど胸がじわりと熱くなる。胸が熱くなるなんて……。僕はどのくらい長い間この感覚から遠ざかっていたのだろう。

 ホールの窓から西の空を見ると、山際の青い空に少し欠けた白い月が浮かんでいた。


 午後、F医長の回診。

「髭を剃ることができたんですね。ECTの効果が出てきたようですね」

 F医長と入れ替わりにK調剤主任さんが来られた。

「薬の副作用で口の中が荒れることがよくあるんですよ。痛みはないですか?」

「ありません」

「副作用は今後も要注意です。今日は雰囲気が今までと全然違いますね。髭も剃っているし、やる気が出てきているように見えます」


 早く仕事に戻れたらいいのだけれど……。

  


 九月六日(木)晴れ

朝日が眩しい。逆光で黒いシルエットにしか見えない船が、鏡のような海面をするすると動いている。


 明日予定していたECTを今朝実施するとのこと。


 原始

 太古

 無限

 永遠

 一瞬

 瞬間

 記憶

 意識

 地球

 宇宙

 過去

 現在

 未来

 生

 死


 ECTが始まった。冷たい麻酔薬が腕の血管に注入され、意識が遠くなっていく。


 左手を包み込む熱さに目が覚めた。僕はベッドの上に仰向けに寝ていて、口と鼻は酸素マスクに覆われている。天井にはコウモリの形をしたシミがある。

 顔を左側に向けるとベッドサイドにH看護師さんがいて、僕の顔を心配そうに見つめていた。僕の左手は彼女の両手にしっかり握られている。彼女の隣には緑や白に発光する点が波のように動いているモニター画面があり、その奥には大きなガラス越しにナースセンターがある。左手に力を込めると彼女が握り返してきた。彼女に右手を振って『大丈夫』と合図しようとしたが、何かが手や腕に絡んで動かせない。見ると、右手首と腕が包帯のようなものでベッド柵に固定されている。いつもと違う……。

 どうしたんだろう。ECTをしている時に何か問題でもあったのだろうか? 今日は呼吸が止まってあの世に逝きそうになる感覚はなかったのだけれど……。


 後から聞いたところによると、僕はECTの最中、全身麻酔をしているにもかかわらず酸素マスクをむしり取り、ECTの電極を頭から引きちぎってベッドの上に立ち上がって色々なことを大声で喋りながら大暴れしたらしい……。全然覚えていない。

  


 九月七日(金)曇り

 回診の時にF医長からいただいた言葉。

「あなたは早く仕事に復帰しないといけないと思っているでしょう。けれど、あなたの最も大切な仕事は生きることです。このことは決して忘れないでください」



 九月十一日(火)晴れ

 絵を見たくなり、図書室に行ってみたいとF医長にお願いした。快諾。病棟出入口のカギを開けてくれた大柄な男性看護師さんに付き添われ、エレベーターで三階の図書室に降りる。書架に『クロード・モネ画集~光の庭と睡蓮~』があったので借りてきた。表紙には陽光に照らされた睡蓮が浮かぶ池が描かれている。じっと見ていると絵の中に吸い込まれそうだ。この池には異界への入口があるような気がしてならない。誰もが知っているはずなのに誰も行ったことのない世界が睡蓮の浮かぶ水面の裏側に存在している。そんな予感がする。


昨日までは夏、今日から秋。


 いつのまにか蝉の声を聞かなくなった。

 海はギラギラした夏の青から、深い紺が混じった穏やかな秋の色になっている。沖をゆく大きな白い船は客船だろうか……。風に吹かれながら甲板に立ってみたい。



 九月十二日(水)晴れ

 朝の巡回はT看護師さん。白くて細長い指で脈拍を測ってくれる。今日は十五時頃に医長回診があるとのこと。清潔に切り揃えられた爪が粒の揃ったピンクの真珠のように輝いていた。

 


 昼食後、図書室で『G美術館オーギュスト・ロダン展図録』を借りてきた。ベッドに腰掛けてページをめくる。彫刻の写真を見ていると静と休息を感じる。


 F医長の回診。ECTは終了。明日から作業療法を開始することになった。一歩ずつ前進しているとのこと。


 夕食は具だくさんの皿うどん。白菜、イカ、豚肉、エビ……。ほんのりと甘い香りがする。それぞれの具材の味がはっきりわかり、三分の二ほど食べることができた。



 九月十三日(木)曇り

 午前中、病棟ホールで行われている作業療法に初めて顔を出した。赤や青の折り紙で風車をいくつか作ったが、とてもくたびれた。

「回復したと思っていきなり頑張ると一気に再発します。どんなことも自分が思っているほどにはできないので、体力や頭がついていかないということに打ちのめされてしまうのです。十分すぎるほど回復したと思うまで無理しないようにしてください」とM作業療法主任。


 午後、熱い風呂に入る。



 九月二十五日(火)晴れ

 朝一番にF医長の回診。最近思っていることや感じていることを色々と話す。

「普通に話ができるようになりましたね。入院した頃に比べるとかなり良くなったので、焦らずゆっくり治していきましょう。明日から外出訓練をして、週末は外泊訓練をしましょう」

 

 昼過ぎ、ふと港を見ると、船が数隻連なって入ってきた。賑々(にぎにぎ)しい雰囲気。

 


 九月二十六日(水)晴れ

 昨夜の夢……。単身赴任中のサラリーマンPは毎晩妻に電話を掛けるが、次第に妻ではなく、学生の頃に突然姿を消してしまったかつての恋人と話をしているかのように思えてくるのだった。いつしかPは、起きている間も寝ている間もかつての恋人のことばかり思い出すようになった。ある日Pは、妻を愛しているのにかつての恋人のことで頭がいっぱいになってしまった自分を許せなくなり、死に場所を求めて放浪の旅へ出る。そしてついに海岸沿いの高い崖から飛び降りた。その瞬間Pは、かつての恋人と妻は同一人物であったことを思い出した。

 

 昼前、妻が病院に来てくれた。妻に付き添われて港の近くにある料理店へ出かけ、アナゴ丼を食べる。濃くてとろっとした甘いタレが白い身にほどよく絡んだ、(とろ)けるように柔らかい煮アナゴだった。食後、妻と手を繋いで波止場まで歩く。潮風の香りで胸が一杯になる。波が護岸に砕ける音が耳に心地いい。


 夕方、古い友人のNから電話があった。高校の後輩、S君が(ひろ)(しま)県呉(くれ)市にある大きな病院に入院しているとのこと。

 


 九月二十七日(木)晴れ

 体重七十一・二キログラム。


 S君の病気は肺ガンらしい。彼のために何かできることはないかと色々考えてみたが、思いつかない。


 夕陽に照らされた対岸が大粒のルビーを並べたように輝く。


 死にたい気持ちはかなり消えている。



 九月二十八日(金)晴れ

 明日は初めての外泊訓練。



 九月二十九日(土)曇り

 朝食後、妻が迎えに来てくれた。久しぶりに社宅で家族と一緒に過ごす予定。



 九月三十日(日)雨のち晴れ

妻は、昆虫や鳥たちにも『感情』はあるけれど、『腹を抱えて笑える』のは人間だけだと言う。昆虫や鳥が大好きな妻が真顔で言うのだから間違いないのだろう。けれども、誰も見ていない所ではカブトムシやカラスたちも腹を抱えて笑っているかもしれない。何を見て笑うのかは想像もつかないが。


 夕方、妻に付き添われて病棟に着く。ナースセンターで外泊中の出来事を報告。



 十月一日(月)曇り

 F医長の回診。

「大きな波は失せているのでぼちぼちやっていきましょう。作業療法は継続することに意義があります。今は精神的なスタミナを付けることが大切なんですよ」



 十月二日(火)晴れ

 昨夜は眠れなかった。

 作業療法で字を美しく書く練習をするが、集中力が続かない。



 十月三日(水)晴れ

 昨夜も眠れなかった。午前中はぼおっとしているが午後からは頭が冴えてくる感じ。

 


 十月五日(金)晴れ

 今日は心理検査があり、とても疲れた。



 十月九日(火)晴れ

 F医長はアメリカで行われる精神医学会へ主席するため来週一杯不在とのこと。代診はI先生。



 十月十日(水)晴れ

 心理検査の結果が出た。心に深い傷が残っていて肉体的、精神的な予備力がまだ不足しており、回復には時間がかかるとのこと。これから僕はどうなるのだろう。本当に仕事に戻れるのだろうか……。振り返ってみると、朝早くから日付を超えての長時間勤務や休日出勤が当たり前だった。働いている時は何の疑問も感じなかったが、そういうことを長年続けてきたことも負担になっていたのではないか、とのことだった。けれど、会社で働く限り長時間勤務も休日出勤も避けることはできない。これからはどうしたらいいのだろう。

 僕は生き方そのものを間違えてきたのだろうか。世の中に自分を合わせることにばかり気を遣ってきたのだろうか。


 

 十月十二日(金)晴れ

 夢を見た。僕は『マモル』という名の色白の細長い青年で、川土手に沿って延びる高い塀の上を歩いている(これは大学の塀だ。きっと山登りの練習のためにわざわざ高くて細い塀の上を歩いたのだと思う)。同じ大学の、テニス部らしき女子学生が十数名、短い草の生えそろった明るい川土手の上でラケットを持って柔軟体操している。僕は彼女たちの方をなるべく見ないようにした(おそらく彼女たちのカエルのように長くて形の良い脚と、白い朝顔が一斉に咲いたようなスコートが眩しすぎたせいだ)。僕は黒い門扉がしっかりと閉じられた正門の、高い高い石の門柱のてっぺんに立ち、遠い異国の丘に立つ巨大な人物像のように手を水平に広げた。眼下にはストンと切れ込んだ崖の下に朝の太陽に輝く青い海が広がっている。僕は海を目がけて頭から飛び込んだ。凄まじい衝撃と共に海面を突き抜け、深くてひんやりした海の底に潜る。不思議なことに、(えら)もないのに海中で呼吸ができる。僕は本当は地上の住人ではなく、海の住人だったのかもしれない。


(うつ)の薬を徐々に減らしていきます。焦らずにいきましょう」とF医長より。



 十月十五日(月)晴れ

 昼過ぎ、T看護師さんの巡回。

「昼からどんな調子ですか?」

「落ち着いています」

「あれは夕方の薬? 気が早いんですね」

「忘れないように用意しています」

 すらっと背が高い彼女は肌の色が雪のように白く、涼しげな切れ長の目をしていて、どことなく妻に似ている。


 同室のM氏が隣のベッドから話しかけてきた。

「土日は外泊だったのかい?」

「ええ、そうなんです」

「ずいぶん元気になったようだねえ。よかったよかった」

 一応僕のことを気にしてくれているようだ。嬉しかった。


 夕方、T看護師さんがベッド周りのアルコール消毒に来てくれる。

「最近ずっといい感じね。声も明るくなって」

「自分でも前よりかなり良くなったと思います」

 彼女が笑顔になる。桜色をした唇の間から真っ白な歯がチラッと見えた。



 十月十六日(火)晴れ

 ラジオ体操で始まる病棟の朝。

 九時、H看護師さんに「お風呂の用意ができたよ。一番風呂に入ったら気持ちいいよー」と声をかけられた。「ありがとう」と返事をして白髪がふさふさのM氏と一緒に浴室へ行く。熱い湯で目が覚める。


 昼過ぎ、I先生の回診。昨夜は眠れなかった。

「そわそわして眠れなかったので追加の睡眠薬をもらいました」

「足がむずむずしませんでしたか?」

「それはなかったです」

「睡眠薬を飲んだ後は眠れましたか?」

「はい」

「では様子をみていきましょう」


 清掃担当のRさんが手で腰を叩きながらやってきて、

「もう十月も半分になった。すぐに十一月、十二月が来る。あっというまに年が明けるよ」と言いながらベッド周りの床を掃除してくれる。そう言われてみれば、病院の塀に沿って並んでいる銀杏が少し黄色くなっている。でも、今年はいつもの年に比べると色付くのが遅いらしい。


 夕食前にH看護師さんが病室に姿を現す。

「病院から眺める景色はとってもいいけど、下から病院を見上げると『うわーっ、もう逃げ出したい』ってなる。毎日すごいプレッシャーを感じるんだぁ……。ねぇ、今はもう死にたい気持ちはない?」

「ほとんどありませんが、完全になくなってしまえばいいと思います」

「体重、減ってない?」

「どちらかといえば減っています」

「吐いたりしてない? 喉が押さえつけられるような感覚とかない? 遺書とか書いてない? いい風が入ってくるね。涼しいね……」

 

 Nから電話。今朝、S君が亡くなった……。一緒に山に登った仲間がまた一人逝ってしまった。早すぎるよS君……。右手を顔の横に上げて「これは本当の話じゃけん」と真顔で語る君の言葉は、たいてい半分は冗談で、よく僕たちを笑わせてくれたよな。君の結婚式の披露宴で仲間たちと肩を組んで山の歌を唄った時のことをつい昨日のことのように思い出す。残された奥様と子供さんはさぞ悲しい思いをされていることだろう。

 通夜は二十日十八時から呉市内のH斎場。

 告別式は二十一日十時三十分から同じくH斎場。


 告別式に行きたい。でも、とても無理だ。情けない。電話を切った後、手を合わせる。



 十月十七日(水)曇りのち雨

 検温の時間、H看護師さんが「辛かったり苦しかったりしたらいつでも遠慮なく私らに相談するんだよ」と言って手を握ってくれる。温かくて、ほっとする。



 十月十九日(金)晴れ

 Nから電話。『R高校山岳部一同』で生花を注文したとのこと。



 十月二十一日(日)晴れ

 西を向いてベッドの上に座り、手を合わせる。

 


 十月二十二日(月)雨

 久しぶりの雨だ。午前中に入浴。

 

 昼過ぎ、一階にあるリハビリ室まで行ってパソコンのキーボードを十五分ほど打つ。ミスタイプが多くてなかなかうまく入力できない。プログラミングを職業にしているのに、これでは復職しても仕事にならない。


 現実を知ることが必要だ。事実と現実を知らねばどうして未来を考えることができようか。このままでは仕事はできない。仕事ができなければ金を稼ぐことができない。生きていくには金が必要だ。では、仕事ができなければどうやって金を稼ぐのか。金を稼がねば生きられない。

「病状が悪くなる時には体が先走って色々するけれど、気持ちがついていかずに失敗してはどんどん落ち込んでいきます。そんな時期にはとっさの判断もできないし、物事に優先順位がつけられない。反対に、回復時は気持ちに体がついていかないんです。焦ることはありません」とM作業療法主任。


 夜、アメリカから帰ってきたばかりというF医長が病室に来られた。

「お変わりありませんか?」

 その姿を見て、その言葉を聞いて深く安心する。

 


 十月二十四日(水)晴れ

 午後、F医長の回診。今後、復職できるように本格的な訓練を行いましょう、とのこと。訓練は隣の街にあるY病院で実施するらしい。一週間後を目処にここを退院し、Y病院には社宅から通うことになるようだ。

「金曜日、Y病院に行って復職訓練のことを詳しく聞いてみませんか?」

「行かせていただきます」


 S君がこの世を去って一週間が経つ。僕が生きている限り、君のことは忘れない。



 十月二十五日(木)晴れ

 朝一番で自己管理分の薬のセットをH看護師さんと一緒に行う。彼女の恋人は造船所に勤めているらしい。とっても優しくて頭が良くて格好いい人なのでついつい自慢してしまっていけない、とニコニコして喋りながら手を動かしている。三ヶ月後に結婚する予定なんだけど、恐いくらい幸せ、とのこと。

 


 十月二十六日(金)晴れ

 妻と一緒にY病院へ。施設を見学し、専門医やスタッフの方々と面談した。その結果、十二月から三月までの午前中に『集団認知行動療法』という心理療法を行い、二月から四月までの午後に、実際の業務に近い作業プログラムを通じて職場復帰に向けたウォーミングアップを図る『復職支援プログラム』を実施するのが一番いいのではないかとのことだった。申込書を書いてY病院を後にした。F医長にはY病院から詳細を連絡しますとのこと。 



 十月二十八日(日)晴れ

 今朝はH看護師さんの巡回。しきりに冗談を言って僕を笑わせようとする彼女の表情がおかしくて、僕はとても久しぶりに笑った。彼女の人生のテーマは『人を楽しませること』らしい。


 テーマ。そう、人生のテーマだ。おまえの人生のテーマはなんなんだ。そう聞かれてすぐに答えられる人がうらやましい、などと言っていると、気付いた時にはすぐ目の前に『死』が待っている。そう、死者の国から迎えが来て「さあどうぞこちらへ。さぞ充実した人生だったことでしょう。もう、後戻りはできませんよ。一緒にあの世へと参りましょう」と引導を渡されるのだ。僕はその時答えることができるだろうか「本当に充実していた。人生のテーマに沿って自分のしたいことは全部してきた。もう思い残すことはない。さあ、どこへでも案内してくれ」と。

 


 十月二十九日(月)晴れ

 夕方、F医長とこれからのことについて話をした。十一月二日の昼食後に退院し、Y病院の集団認知行動療法が始まるまでの間はK病院の外来リハビリへ通うことになった。


 十月三十日(火)晴れ

 昨夜の夢……。トロンボーン吹きが街へ行った。少年と少女がついてきた。きらきら光る金管が、きらきら光る太陽に、きらきらと反射して、とっても眩しい。少年は少し目を細めてトロンボーンを見た。少女は少し目を細めて少年を見た。トロンボーン吹きは少し目を細めてラのシャープを太陽に向かって吹いた。それは希望の音だった。


 優しい物語が欲しい。心が温かくなる物語が欲しい。元気になって幸せになりたい。


 図書室で『オディロン・ルドン ~花・パステル画集~』を借りた。青い花瓶に挿された赤や紫、青や黄色のアネモネの絵を見ていると、花の中心部にある黒っぽい部分が人の目のように見えてきた。心の奥底をじっと見つめられているような気がする。ルドンは四十歳で結婚した後に色彩豊かな花や人物の絵を描き始めたという。それまでは白と黒の二色で目玉のような姿の怪物を描いていたらしい。


 僕は探している。花の絵を見る時は、初めて目にするのに既に知っているはずの懐かしい色と形を。海の詩を読む時は、生まれる前に群青色の暖かい海流と交わしていたはずの言葉を。交響曲を聴く時は、いつかどこかで耳にしたことがあるはずの星たちが歌う宇宙の旋律を。


 体重六十九・四五キログラム。



 十一月一日(木)晴れ

 F医長の回診。

「明日は退院ですね。ECTが劇的に効きましたね」


 夕方、退院時処方一週間分と『お薬手帳』を持ってK調剤主任さんが説明に来られた。我が事のように嬉しいとのこと。聞くと、K調剤主任さんも以前僕と同じ病気で休職していた時期があるらしい。



 十一月二日(金)晴れ

 いよいよ退院だ。八月一日に入院してから三ヶ月と二日……。永遠に続くように思えたけれど、終わってしまえば一瞬だったような気もする。今日の昼食が最後の病院食になる。ピリッとした麻婆豆腐がとてもおいしい。


 食事を終えると同時に妻が迎えに来た。F医長とたくさんの病棟スタッフが見送ってくれた。嬉しかった。


                  ◆


 その後、僕は復職支援施設に通い、無事に復職することができた。けれど復職してから二年後、再び状態が悪くなってしまった。もう職場に迷惑をかける訳にはいかない。今後再び休職するくらいなら仕事を辞める、と退院した日に決めていた。僕は二十五年間勤めた会社を去り、住み慣れた首都圏から広島市の北外れにある、住む者がいなくなって久しい実家に妻と一緒に戻った。同時に一人娘は大学を卒業し、都内の不動産会社に就職した。娘は生涯東京に住みたいと言う。娘にとって東京は全ての思い出が詰まった大切な故郷なのだ。僕にとっては結局異郷のままだったのかもしれないが。


 東京……。たくさんの知り合いが広島から東京へ行ったままだ。人人人、家家家、道道道、車車車……。鉄とガラスとコンクリートのビルが密集する、密植された杉林の中にいるような薄暗い街。地球上の多くの巨大都市と同じく、極端に豊かな者と極端に貧しい者とが混じりあう都市にはたくさんの街があり、どの街にも違う表情があった。僕はそんな街の路地を歩くのが好きだった。あらゆる街に多くの人が住んでおり、起伏のある街並みは一つの丘を越えると谷があり、また丘があり、波打った大地の上には蜘蛛の巣のように張り巡らされた道があった。谷ごとに、丘ごとに街があり、崩れかかった小さな家が並ぶ街と、白亜の邸宅が並ぶ街があった。それらはいずれも気が遠くなるほど密度が高く、無数の細胞のように密着しており、まるで多細胞生物の複雑な組織を構成しているかのようだった。


 人々は幅の狭い海峡に流入する(うしお)のように東京を目指す。人々は渦巻き、周りにある全てのものを中心に引き込む力を生み出している。人が増えれば増えるほど吸引力は強くなり、更に多くの人々を吸い寄せる。


 いや、そんな渦なんて本当はないのだ。ただ単に人恋しいから人は人が集まる東京へ行くだけなのだ。


 違う、人恋しいのではない、人は、人を支配するために、もしくは喜んで支配されるために東京へ行くのだ。


 支配する? 喜んで支配される? ばかばかしい。金だ、金。金を儲けるために東京へ行くのだ。


 何を的外れなことを言っているのだ、東京へ行くのは……


 それぞれがそれぞれの思いを胸に東京へ向かう。明治、大正、昭和、平成……。僕を含めて、いったいどれくらいの人たちが東京を目指したのだろう。


 今思えば、僕は都市に暮らす高揚感を得たかったのだと思う。都市には膨大な自由があり、無限の未来があり、明るい希望があると思っていた。それらはどれもが僕を惹きつける大きな力だった。僕は故郷の広島から憧れの東京にある大学へ行き、卒業後は東京のコンピュータソフト開発会社へ就職して東京に住み続け、あらゆる物と情報と力が集中するメトロポリスが生み出す得体の知れない高濃度の高揚感に、どっぷり浸かって生きてきた。けれど、僕にとってはその濃度が高すぎたのだ。まるで酸素濃度の異常に高い空気を吸い続けたように僕の神経は痙攣し、破滅してしまった。


 実家に戻ってからしばらくの間は療養していたが、現在は持ち直し、ネットオークションでコンピュータ関係の物品を売買して収入を得ている。オークションの合間にパステルで静物画を描き、月に一度のペースで山に登る。


 出雲峠の手前にある避難小屋が木々の間から見えてきた。峠を左に折れると比婆山や吾妻山へ向かう尾根道があり、右に折れると毛無山への尾根道がある。峠を越えて谷筋を降りたら黄泉国へ行くこともできるだろう。


「今日は鳥が全然いないね」と妻が少し残念そうな顔をして言った。首から下げた大きな双眼鏡に片手を添えながら。


「いつもはたくさんいるのになあ。こんなに天気がいいのにどうしたんだろう」僕はショルダーストラップで腰の辺りに吊っていたデジタル一眼レフカメラを両手でしっかり掴んで持ち上げて、胸の前に構える。辺りをぐるっと見回したが、鳥は一羽も見当たらない。


 妻と僕は木々の枝を見上げながら枯葉の積もった広い山道を並んでゆっくり歩く。二人とも茶色を基調とした迷彩ジャケットを着ているので、周囲の景色に溶け込んでしまって誰もいないように見えるかもしれない。最近は迷彩柄の服が流行しているらしい。一般の衣料品店やスポーツ用品店などでも季節に合った柄のものを安い値段で売っているので、四季を通じてバードウオッチングをしながら山登りをする僕たちにはとても助かる。しかし鳥たちは僕たちが迷彩ジャケットを着ているからといってこちらに気付かない訳ではない。何を着ていようとも僕たちが急に動いたりするとほとんどの鳥はすぐに気付き、さっと羽ばたいてどこかへ飛んでいってしまう。 


 日の当たる窪地の向こうに赤い小さな実を鈴なりに付けた高木があり、その太い幹を目がけてスズメほどの大きさの鳥が数羽飛んできた。目を凝らすと、ゴジュウカラとコゲラだ。

 妻が「いたよ、あそこ」と指差して立ち止まり、嬉しそうに微笑んだ。


 僕も歩みを止める。カメラを慎重に動かして鳥の姿をファインダーにとらえた。白と黒の縞模様のコゲラがはっきり見える。つぶらな瞳、首をかしげるような仕草。後ろ頭に赤い部分があるのでオスだ。澄ました顔をして時々ぴょこぴょこ跳ねる。五百ミリの望遠レンズを装着したカメラはとても重いので、じっと構えていると両腕が()りそうになる。僕は構図を決めて高速シャッターを切った。樹皮をつつくコゲラの一瞬の姿を、無数の電子が浮遊するフラッシュメモリが記憶する。この上もなく正確にコゲラを写したデジタルデータは、永遠にコピーし続けても劣化することはない。


 コゲラは僕たちが見ていても見ていなくても生き、そして死ぬ。彼の生きる価値を決めるのは僕たちではない。彼の姿を人類が永遠に記憶しても記憶しなくても彼の存在は微動だにしない。彼が僕たちに願っているのは、おそらく『生きることを邪魔しないでほしい』ということだけだ。そうではないのか、コゲラよ。


 ファインダーの中で一瞬、コゲラの顔が笑ったように見えた。


 僕は色々なことをどんどん忘れていく。今日こうして枯葉の上を歩いた記憶も、コゲラを撮影した思い出も、日が経つにつれて輪郭がぼやけてしまうだろう。さながら希少な植物の標本でもあるかのように後生大事に思い出を保管していても、次第に標本の葉からは色が抜け落ち、次第に意味不明な灰色の記憶に変化していく。そのうちに枯葉が土に還るように僕という存在そのものも消え、いつの日か誰からも忘れ去られる日が来る。誰からも忘れられた日、僕は本当の死を迎える。


 風が吹き、赤い実を付けた木が大きく揺れた。コゲラは「ギィーッ」と鋭く鳴くと、森の奥へ向かって飛んでいった。他の鳥たちも次々に木を離れていく。


 全ての鳥が去った。深閑とした森の中、妻の手をそっと握った。僕たちは寄り添い、ほのかな体温を感じながら再び歩き始めた。

                                   (了)




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