異界への扉を開く者
「なあ、これってどう思う?」
谷内田がそういって差し出したのは数冊のライトノベル、それも結構有名どころのファンタジーだ。
へえ、こいつこういう趣味してたんだなと素直に驚く。
なにせ普段は新・漢語林とかプログラミング解析だとか、なにそれ普通の高校生が愛読書として読む本ですか?どう見てもそれ辞書だよね、専門書だよね?と突っ込みたくなる本ばかり手に持っているからだ。
谷内田は付箋の貼ったページを捲ると「この辺りから俺には理解が出来んのだが」と指をさした。
どの本も小説の初め、起承転結でいう「起」の部分に貼られた付箋には、よくよく見ると谷内田が疑問に思っていることを細かい文字で書かれていた。
曰く、「黒髪黒瞳? アジア人でもいいのでは?」だの「心理的に無理? 最初に誘拐を疑え」だの「発狂レベル。脅迫以外何物でもない」だの。いったい何がどうしたら「起」でここまで疑問符だらけの感想がでるのか、俺が逆に聴きたいわ。
「どうって……この部分は小説の導入部分だろ? なんでこんな疑問をもつんだよ」
「疑問っていうよりは、この時点でありえないだろうっていう話なんだけどな」
「ありえない? 何が」
そんなこともわからないのかと軽く馬鹿にされた感じがするが、まあそれはこいつのデフォだからこちらの対応も慣れたもんで軽くスルー。
そんな俺の態度に片眉を軽く上げるという芸当をするのも、俺と同い年の奴がする仕草ではとてもないが、こいつのデフォの一つだ。
付箋の貼られた部分の前後を詳しく読んでみると、なんのことはない本当に「起」の部分で、谷内田が持ってきた小説すべてが異世界に召喚されたやつがその世界で「勇者として召喚した」だの「聖女」だのと言われ、見知らぬ世界に無理やり連れてこられつつも、正義感に燃えてとか日本に帰してもらうために前向きに頑張ろうとしているところだった。
ここからパーティの仲間と友情をはぐくんだり、あわよくば恋愛したり、協力したりなんかして、強敵な化け物どもを倒し、沿道の人々と友好関係を築き上げて自分の立ち位置を確立していくんじゃないか。そして最後には魔王を倒してハッピーエンドになるんだろう。
ライトノベルとしてはよくある鉄板もので、谷内田のいうところの「ありえない」を「起」の部分で言ってしまっては先に進めない。
「ええと? 谷内田は小説に何を期待してんだ? ライトノベルの召喚ものなんだから、これはこれでありだろう?」
至極当然のことだと思うがなと言うと、谷内田は鼻で笑う。
「久遠がもし異世界に召喚されたとするだろう? そうしていきなり勇者だから魔王を倒せとか言われて久遠は倒すことができるのか?」
「は? 何その前提。これは小説であって現実じゃないんだから、その考え方こそありえない」
「小説だからってなんでもありってことはないだろう? 逆に小説だからこそ読者を引き付けるためにある程度の真実を盛り込まなければならないと理解しないのか? とすればだ、この小説には多少なりとも現実が含まれている」
それはそうだ。
読者の共感を得られなければ、小説は誰にも読まれないからな。
だからといって異世界召喚ものに現実を求めること自体間違っていると思うんだが。
異世界召喚だとかでどこにでもいる高校生がいきなり政治的百戦錬磨の王族と友好関係を結んだり、現実ではボッチだったはずなのにハーレムを築けるほどカリスマ性に飛んだりとかは空想にしても、そこに至るまでの感情の流れとか、認識とかは読み手が理解できなければどんなにその小説の設定が面白くても誰にも読まれない。…………うん? そう考えると谷内田の言う通り、いくら小説だとはいえ感情面は共感しなければいけない、読まれる世代に沿った感情移入がしやすいような現実的なものでなければならないということか。
だけど言葉の受け取り方は人それぞれなんだから、主人公の人なりが自分と添わなくてもそれはそれで正解なんだと思うが、どうなんだろう。
「久遠はどう思う」
俺の感情の動きを読んだのか、谷内田はにやりと笑って差し出した小説を俺に寄越した。
「俺だったら……、召喚されたら自分たちでなぜ乗り切ろうとしないのか理由を聞く、かな」
「……ふーん?」
「召喚されたとして、ギフトとかいってその世界では絶対的な力を得るわけだろう? だから魔王を殺せだとか簡単に言う連中は信用しない。 だいたい戦争の経験がなくて殴り合いの喧嘩もしたことがない、鶏や魚すらさばいたことすらない日本人が血なまぐさい戦場に向かえるわけない。 力をもらったとしても精神的に病む可能性のほうが高いね。トラウマ対処なんて異世界にはなさそうだし。まあ、そんなこんなで、俺は自分以外の人間、特にそこそこ血気盛んな国の人間を再召喚することを強く薦めて日本にかえらせてもらう」
小説にある召喚が現実では起こるわけがない。
だけどその仮定をうち破って話を振ったのは谷内田だから、これぐらいは言っていいだろう。
だが、ふといらない疑問を持ってしまった。
―――――谷内田が召喚されたらどうするのか。
そしてそれを口に出した俺は、この後一生後悔するはめになる。
「俺か? 俺なら……何にもしないな」
「は? 何もしないってなんだよ」
「俺が召喚されることはないって知ってるからな」
谷内田はくくくと喉の奥で笑って、俺の手首を握り締めた。
「合格だよ、久遠」
そっと呟いた声にぞくりと悪寒が走ったのはなぜだろう。
取られた手首を振り払おうと、力を込めた瞬間、
「俺は自分が召喚されないことを知っている。―――――なぜなら、お前を召喚するために俺はここにいるのだから」
谷内田は驚愕に動けない俺の腕を掴んで椅子から無理やり立ち上がらせると、そのままそのほそっこい体からは想像がつかないほどの力強さで教室を突っ走る。
目の前には閉まっている窓と、その先にある空と四階分下にある地面だ。
それなのに谷内田は躊躇することなく、俺の体ごと閉まっている窓へと飛び込んだ。
「う、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
がしゃんと窓ガラスの割れる大きな音と、数秒遅れてつんざく悲鳴が校庭に響きわたる。
落下する体に意識を持っていかれそうになりながらも一緒に落ちた加害者を見ると、不思議なことに谷内田は宙に浮いて胡坐をかいて俺を見ていた。
「―――――おまえ……!?」
「まあせいぜい頑張って、魔王を倒してくれ。―――――――――――勇者さま?」
消しゴムで消される絵のようにざっざっと乱暴に消えていく谷内田の、最後まで残った唇が、にやりと不敵に嗤った。




