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僕が在籍している2-5の教室は校門をくぐりまっすぐ行った先の教室棟であるB棟にある。B棟にはおもに2年生の教室があり、2-5は3階にある。ちなみに1,2組が1階で3,4組が2階で5,6が3階である。立館高校には昔、成績の良いクラスが上層に教室を持つという奇妙な風習があり、今もその名残で普通の高校なら3組の生徒やら2組の子といった具合に呼ぶところをなぜか2階の生徒やら3階の子といったフロア単位で呼称するというおかしな伝統が残っている。もちろん今は成績によりクラスの教室の階層が決まるなどということは一切ないのだが、立館高生のほとんどが上層の教室を希望するという現実がのこってしまっている。それが原因で1組と6組の生徒にいざこざがおこったりして、1階学生と3階学生の関係は必ずしも良好ではないというのが現状だ。僕は他階層同士の生徒のもめ事が起こるたびにこいつらは本気で馬鹿じゃないかと思う。そんなに上の階層がいいなら僕個人としては喜んで変わってやりたいくらいだ。上層なんて移動教室が面倒で階段を上っている間に始業のチャイムが鳴ってしまうこともあるのに、メリットなんて一つたりともないように思える。それに1階にある職員室からも離れているので先生の目も届きずらい。だから様々な問題が必然的に起こりやすくなってしまう。もしも、2-5の教室がこんなところになければ、今の僕の生活はもっと良いものになっていたかもしれない。いや、どこに教室があろうがきっと僕は同じことをするだろう。親友をいじめるという最低の行為をだ。
教室に入ると僕の前にいつも通りの光景が広がった。山岡武文が座っている椅子のまわりを囲むようにクラスのパワーバランスの最上部に位置する男たちが3人立っている。「おおーやっと来たか、早くこっち来いよ。今から朝の儀式始めるからよ」とクラスで一番の乱暴者で僕が一番嫌いな男である遠藤俊之が僕を呼ぶ。その横には北谷雅之と山本省吾が並び「はよ来な、センコー来てまうぞ」「せやせや、儀式せな、わい一日の調子悪なってまうわ」などと言いながら僕をせかす。何が儀式だ馬鹿馬鹿しいと思いながらも僕は「悪い悪い、昨日の夜、明日はどんなことしようか考えとったら楽しみで全然眠れんくなってな」と答えた。違う!昨日、僕はタケと遅くまでミドリのことについて話してただけやと頭では思いながらも僕の口は僕の意思を無視し、まるで独立した別の生命体のように言葉を紡ぐ。「楽しみにしとけよ、最近マンネリ化してきた儀式をパワーアップさせよか思っていろいろプラン持ってきたから」
「おっさっすがーのりのりやね鬼軍曹殿」鬼軍曹。それが僕のあだ名だ、あながち間違いでもないのかも知れない。自らの心、自我を消して機械のように振る舞わなければ、こんな異常な状況には到底耐えられないかもしれないからだ。
「んじゃ、軍曹も来たことやしそろそろ朝の恒例儀式いっとくか」と遠藤が言うとそれまで椅子にじっと座っていた山岡がわずかに震えた気がした。「おい、見たかこいつ震えてやがったぜ。まさか、びびって小便漏らしたんちゃう」それは確かに僕の口から出たはずなのにもはや僕の脳は自らが言ったと認識していないようだ。こういうのって一種の二重人格なのかもしれないなと思考を半ば止めた頭でおぼろげに考えた。「そら今からのこと考えると小便漏らしたくもなるよな」と北谷がネズミのような顔をにやにやさせながら山岡のうつむいた顔を覗き込む。「何言ってんねん北谷、俺たちは今から儀式を神妙に執り行うだけやろ。なあ、山岡?」と山本はととのった顔に微笑を浮かべながら椅子に座る山岡を見降ろした。山岡がうなずいたのとほぼ同時に遠藤のコブシが山岡のみぞおちにめり込んだ。山岡は苦悩の表情を浮かべるが、声は絶対に出さない、なぜならここで声をだしてしまうと遠藤たちはおもしろがってさらに暴力を山岡に振るうのだ。毎日のように続く儀式という名の暴力を避ける方法を体に付けられた無数の痣から彼は学んだ。そう、朝の儀式とは毎朝1限が始まる前に僕や遠藤たちが山岡の腹を殴ることなのだ。僕たちはこうして儀式と称して1日中山岡をいじめる。それは加害者である僕たちにとっても被害者である山岡にとっても毎日のように続く日常のほんの一こまであり、もはや、朝起きたら顔を洗うことと同じように当たり前の日課であり、いまさら辞めようとも思わない、いや思えないものなのだ。
それは遠藤たちにとってただ一人の生徒をいじめるという取り立てて特別なことではないが、僕にとっては違う。山岡武文はかつて僕を地獄から救いだしてくれた恩人であり、僕の唯一無二の親友なのだ。
今回はちょっとだけ長いです。
2話のセリフの話者がかわっております、すみません。