12
冷たい風が弔問客の心と体を突き刺す。祭壇には人懐っこい笑顔で笑いかけるタケが写っていた。最後に僕がその笑顔を面と向かって見たのはいつのことだろう。電話越しに彼の笑い声を聞くことはあったが、その時に彼が本当に笑っていたかどうかは分からない。もしかすると、彼は電話越しで涙を流していたのかもしれない。そして、電話が終わると一人枕に顔をうずめて悲しみに暮れるのだ。いや、もしかすると彼は僕にたいする抑えきれない怒りにくるっていたのかもしれない。どちらにせよ、もう僕がそれを知ることは叶わないのだ。あの日、電話に出た僕に飛び込んできたのは、突然の事態に混乱し、泣き声混じりに話すタケの母の声だった。その時、瞬時に僕は悟った。すべてはもう手遅れになってしまったということに。タケの母はまだ何か叫んでいたようだが、僕の耳には一切入ってこなかった。
駆け付けた救急隊員の眼前に広がったのは、包丁が胸に突き刺さったまま血まみれで絶命している息子を抱きかかえる母の姿であった。その光景はまるでどこかの有名な画家が描いた絵画のようであったという。タケは遺書を残さなかった。だから、僕らのいじめが露見することはなかった。その事実は僕を安堵させた。この期に及んでまだそういう思考に至る自分に僕は怒りを覚えなかった。もはや、僕は狂っていたのかもしれない。だから、僕はタケの遺体に対面したときも涙が一滴もこぼれなかった。
「いやー でも、助かったな。あいつが遺書かなんか残したら、絶対俺らのことかかれてたで」
「そうそう。死ぬんやったら俺らに一言ぐらい相談してくれたらよかったのにな」
「あれ、軍曹おるやん。なんやあいつ電話しても出えへんからてっきりビビって部屋に閉じこもってる思ってんけどな。おーい軍曹よ、どうすんねん。お前の地獄の特訓でついに殉職者が出てもうたぞ」
空っぽだった僕の心に遠藤たちの言葉はまっすぐに響き、それは次第に僕の心の中で反響し、怒りの感情を呼び覚ませていった。振り返ると僕は無言で遠藤たちに近づいて行った。
「お前なー これが殉職ってばれてたら遺族に俺らが賠償せなあかんくなってたかもしれんねんぞ」
そうほざく遠藤の顔はにやついていて、まるで反省の色が見られなかった。
「あーでも、賠償すんのは軍曹だけか。だっていろいろやらせたんお前やもんな」
その言葉を聞いたとき、僕の心の最後の防波堤が音を立てて決壊した。気づくと僕は遠藤に殴り掛かっていた。僕は人を死に追いやったのに、へらへらしている遠藤たちに怒ったのではなく、遠藤が言った通りに、自らが行ったことにより親友が自殺したということを認めたくなかったのかもしれない。だから、本当のことを言う遠藤を黙らせたかった。
「いてててて おいこら、あんま調子のんなよ。あっそうや、この際やからなー 本間のこと教えたるわ。俺らな、お前と山岡が親友やったこと知っててん。やから、試してみてん。親友がいじめられそうになったらお前はどうなるかなーって。したらお前、俺らのいじめに加わりだしたからさー 本間おかしくておかしくて」
そうかそうだったのか。僕は自らの保身のために知らず知らずのうちに遠藤たちに踊らされていた愚かなピエロだったのか。そう思うと今まで自分が行ってきたことすべてが今まで以上に愚かで無意味なことに思えてきた。
僕はひとり葬儀の会場を後にした。出口に向かうときに、まだ遠藤たちが何か僕を罵倒しているのが耳に入ってきたが、僕はそれにたいして何の感情も抱かなかった。
次でラストくらいかな・・・