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夢見るアイ  作者: 玉名 くじら
第二章

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10 水族館に行こう④


 魚の群れが散った後の、静まり返った水槽の前の、ほんの数秒の沈黙。

 誰も動けなくて、ただ水槽の水の音だけが聞こえる中で、一人だけ反応が早かった。

 「もー、コージったら! あーしらもコージのこと、だーい好きだよ!」

 「うおっ!」

 ユイが俺のお腹にタックルするように突っ込んできた。まったく。猪突猛進なところは相変わらずだな。

 そのまま抱きついてるので、頭を撫でる。

 「ん」

 まるで猫のようだな。

 静かな空間で擦れる音だけが響き、ユイが俺の服を掴む指の強さが増した。

 そんな中で、三人がハッとして俺に近づいてきた。

 別にユイを剥がすでもなく、そのまま暫くそこで待っていた。



 その後、みんなそれぞれ違う方を見ながら奥へと進む。

 体を覆う熱気は空間が暗くなるにつれ引いていった。

 気がつけばそれぞれが俺に触れるか触れないかの距離を保っていた。

 ただ、展示している生き物が先ほど違って個性的だからだろうか。

 さっきまでの熱気は嘘のように散ってしまった。ちょっと寂しい。


 「面白い形してるねー」

 「でも愛嬌があります」

 ユイと寧々は変わらず楽しんでいる。

 「あれなんて星羅さんそっくりですね」

 「何いってんのよ。静の方がそっくりよ。しかも美味しそう」

 「美味しそう!? もしかしてわたくしのことをそのように見ていたと」

 「んなワケあるワケないでしょ」

 「では、どうして朱くなっているのか、端的に論理的にお教えいただけますか?」

 「こ、これはあれよ! チンダル現象による光の散乱のせいよ! 深海の青い光が、わたしのこの繊細な肌に反射して、補色の赤を強調してるだけ。そんなの光学的な常識でしょ?」

 「美味しそうの答えが聞けていません」

 「あーもううるさい。こ、光司ー」

 「待ちなさい。もう」

 サッと俺の後ろに隠れる星羅。そしてなぜか俺の顎を持ち上げる静。

 なんなんだこれは……。


 「ほら、星羅が答えないと光司の口唇を奪ってしまいますよ」

 「卑怯よ」

 全く。どうしてこの二人は落ち着きがないんだろうな。

 仕方ない。ここは俺が一肌脱ぐか。

 俺の顎に添えてあった静の手首を掴んで、静を引き寄せる。

 「!?」

 「なんだ。こんなことするからてっきり余裕なんだと思ったが、どうしたんだ。震えてるぞ? 慣れないことはするもんじゃないな」

 「はわわわわ」

 俺の後ろで寧々みたいな反応をする星羅。


 それよりも問題なのは静だ。メンダコ以上に真っ赤になっている。今にも湯気が出てきそうなくらいだ。

 「あわわわわ」と初めて見る乙女の顔をしていた。こんな顔も出来たんだな。

 「ほら、いたずらはこの辺にしておけよ」

 「……はぃ……」

 普段の殊勝な態度は鳴りを潜めていた。


 「星羅もおふざけが過ぎるとダメだぞ……って聞いてるか?」

 「あ、うん………」

 星羅も俯いて静かになっている。

 「ちょ、いつまで静を抱いてるし」

 「あ」

 「そうですよ、もう」

 「すまんな」

 「いえ。別にこのままでも……」

 そういうわけにはいかない。薄暗いからって、こんなことを、ここですることじゃないからな。


 軽く静の頭をポンポンと撫でて離れようとすると、俺の服を掴まれた。

 「どうした?」

 「あ、いえ……」

 そっと指を離す静。そしてそんな様子をじっと見ていた星羅。

 俺に構わずもっと水族館を楽しめばいいのに。



 大きな水槽を超えると、それまでとは打って変わって全くの別世界が現れた。

 「海月空感……まるで星の海だな」

 「ええ。……本当に綺麗…ですね」

 静が横に立ってそんなことを言う。その横顔は今まで見たなかでとても儚く、砂のように崩れてしまうような感じがした。

 静は水槽に視線を向けたまま、続けた。


 「星みたいです。手を伸ばしても、届かないところも」

 ちらっとこっちを見る静。

 「でも……違いますよね」

 小さく首を振って、俺へ向き直ると一歩距離を詰めた。

 「星は見上げることしかできませんけど、これは同じ場所で同じものを見ていられる」

 さらに距離を詰めてくる静。ほんの僅か、息が触れるくらいの距離。

 「それって……私にとっては、十分すぎる奇跡なんですよ」

 視線を戻して、少しだけ笑う。

 「ですから——」

 視線が揺れ、ほんの一瞬だけ言葉を探した。

 「……離れないでくださいね、光司」

 そうして俺から離れ、振り返る。

 「もし、いつか……あなたが、どこか行ってしまうとしても、その時は——」

 一瞬の静寂の後、一拍目を閉じた。

 「私がみつけます」


 そんな静にユイが後ろから抱きついて、普段と違う微笑みを向けた。

 「違うでしょ。あーしたちで見つけるんでしょ?」

 「ふふ。そうでしたね」

 そしてユイはニィッと笑った。だが、目は真剣そのものだった。

 「あーしと出会った責任とってよね。最後までさ」

 責任……か。

 場所に不釣り合いな重い空気になってきた。


 そんな空気の中で寧々が静かにクラゲを見ながら近づいてきた。

 水槽から視線を俺に向けると、いつもの柔和な微笑みを湛えている。

 「唯さんらしいですね。でも、あたしは少し違います」

 再び水槽へと視線を戻す寧々。

 「無理に繋ぎ止めたりはしません」

 そのまま俺の袖を掴む寧々。声は少し震えている。

 「あたしは帰ってきてくれる場所には、なりたいです。いつでもここにいますから」


 そんな寧々の横に星羅が立った。

 「まったく。光司もそんな急に言われたら困っちゃうわよね」

 「あ、ああ…」

 星羅は三人に向き合う形で肩を竦めて笑う。

 「みんな真面目すぎるでしょ」

 星羅は俺の顎に指を当てて、いつもの余裕のある笑顔で言い切った。

 「こういうのはね、もっとシンプルでいいの」

 そして間をおかずに続ける。

 「わたし、あなたのこと気に入ってるの。だから、手放す気なんてないわ。逃げてもいいけど——」

 少し目を細める星羅。

 「ちゃんと捕まえに行くからね」


 その時、誰が笑ったかは分からなかった。一人かもしれないし、全員かもしれない。

 水槽の光が揺れて、四人の影が重なる。

 その中で、静がぽつりと。「……困りましたね」と大仰に頬に手を当てた。

 しかし、ほんの少しだけ楽しそうに。

 「全員、本気みたいですよ? 光司」

 それに続くように三人も俺をじっと見つめている。


 急にどうしてこんなに急ぐように聞いてくるのだろうか?

 少し、目を閉じる。先ほどまでの星の海にような光景とリフレインする言葉の数々。

 俺の反応が無かったからだろうか。やけに静かだ。

 目を開けると、四人が並んで黙って立っていた。

 それは決意のある表情で。

 それとは対照的に、パノラマ水槽の中では幻想的なクラゲの群れが、まるで銀河のようにきらめいていた。


 そこはまるで深海の星空のようで、現実世界と切り離されたような感覚がした。

 真っ暗な空間の中で白く輝くクラゲがまるで星のように。数多の情報や感情のように思えてしまった。

 それぞれが自由気ままにゆっくり動いていた。

 クラゲが、一斉に止まったような気がした。

 本当に止まったのか、それともそう見えただけかは分からない。


 その瞬間、星羅が一歩前に出た。

 それはいつもの余裕のあるお嬢様といった表情ではなく、一人の少女の顔をしていた。

 「ねぇ光司……」

 「なんだ?」

 「昨日光司のパソコンを開いたの」

 「!?」

 な、パスワードがかかっていたはず……。

 「もしかして……」

 「うん。あーしが解除したよ」

 「ユイ……」

 そうか。ユイなら解けるか。まぁ、見られて困るものじゃない。……ない、はずだが。


 「画面の中に閉じ込めておくのは、もう終わりにしましょう。わたくしたちは、ここに『居る』のですから」

 静が一歩踏み出し自身の胸元を指し示すように俺の前へ立つ。

 「そうか。読んだのか」

 「ええ。読みました。読ませていただきました」

 「あーしたち、全部読んじゃったよ? あの、送れなかったメッセージも」

 「光司が伝えたかった本当の気持ち。それをここで聞いちゃダメかな?」

 寧々、ユイ、星羅と俺の前へ一歩。また一歩と近づいてきた。


 「それは……」

 俺が伝えたかった言葉。確かにあった。だが、彼女たちが来たことによってそれを今更言うべきか迷う。

 そんな俺を見て寧々がそっと俺の手を握った。

 「……でしたら、いつか。光司さんの準備ができた時でいいですから。その言葉を、あたしたちの目を見て、直接聞かせてくださいね」

 「そうよ。そんなんでわたしたちの関係なんて壊れないわよ」

 「ええ。もう一人にはしませんよ」

 ユイだけはニッコリと微笑んだままだ。

 そんなこと言われたら先延ばしなんてできないな。


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