8話
「知識は、孤独の防波堤だった」
鯖波理比人は、部屋の机にノートを広げながら、静かに呟いた。
それは、彼が中学の頃から書き続けている“クイズノート”。
表紙には「知識大全」と書かれ、背表紙はガムテープで補強されている。
ページをめくると、びっしりと書き込まれた文字。
語源、年号、判例、哲学者の名言、そして——自作の問題と解説。
「“カレーの語源は?”——タミル語の“カリ”。
補足:インド南部の煮込み料理。イギリス経由で日本へ。
応用:『文化の伝播と食文化』というテーマで語れる」
彼は、“誰にも問われていない問い”に、ずっと答え続けてきた。
•
ゼミでの敗北、図書館での出会い。
その余韻が、彼のノートに静かに染み込んでいた。
「俺の知識は、誰かに届いているのか?」
彼は、ノートの余白に書いた。
——“知識とは、誰かの心に触れるための道具である(仮説)”
•
その日、クイズ研究会の例会で、先輩が言った。
「来月、初心者向けのクイズ大会やるんだけど、理比人くん、問題作ってみる?」
「……僕が、ですか?」
「うん。理比人くんの問題、面白そうだし。
“知識の深さ”って、伝わると楽しいからさ」
理比人は、頷いた。
——“俺の知識が、誰かの問いになる”
•
帰宅後、彼はノートを開き、問題を選び始めた。
だが、ふと手が止まる。
「これは……“俺が答えたい問題”ばかりだ」
彼は、ページをめくりながら気づいた。
このノートは、“威張るための知識”で埋め尽くされている。
でも今、彼は——“誰かが答えたくなる問題”を作りたいと思っていた。
•
彼は、新しいページを開いた。
タイトルは、「共有知識ノート」。
その1ページ目に、こう書いた。
「“カレーの語源は?”
ヒント:南インドの煮込み料理。“カリ”という言葉が語源です。
——あなたの好きな料理のルーツも、調べてみたくなりませんか?」
•
翌週、彼はその問題を持って部室に行った。
先輩が目を通し、笑った。
「……これ、いいね。
“答えたくなる”って、こういうことかも」
理比人は、少しだけ照れたように笑った。
——“俺の知識が、誰かの問いになった”
•
帰り道。
彼は、スマホのメモ帳に今日の“成果”を記録していた。
• ノート:再構築開始
• 問題作成:共有型へ移行
• 先輩の反応:肯定(実感あり)
「ふふ……俺の知識、少しだけ誰かのためになったな」
その顔は、どこか誇らしげで、どこか柔らかかった。
でも、彼は満足していた。
誰にも気づかれなくても、俺は俺を知っている。
彼は今、威張っている。誰かの問いに寄り添いながら。
•
ちなみに、クイズ研究会のSlackには、こんな投稿があった。
「理比人くんの問題、なんか好き」
「知識って、こういうふうに出せるんだなって思った」
「“共有知識ノート”って名前もいいよね」
理比人は知らない。
自分のノートが、少しずつ“誰かのノート”になり始めていることを。
•
こうして、鯖波理比人の“威張りサバイバル”は、また一歩進んだ。
彼の知識は、まだ誰にも届いていない。
でも、彼は信じている。
いつか、世界が俺に追いつく日が来ると。
彼は今、威張っている。誰よりも静かに、誰よりもやさしく。




