6話
「論破とは、知の勝利である」
鯖波理比人は、ゼミ室の椅子に腰かけながら、静かに拳を握った。
今日のテーマは、「死刑制度の是非」。
法学部1年生にしては重いテーマだが、彼にとっては**“威張れる舞台”**だった。
「これは、俺の知識が輝く時だ」
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ゼミは、少人数のディスカッション形式。
教授がテーマを提示し、学生たちが自由に意見を述べ合う。
理比人は、開始5分で手を挙げた。
「死刑制度は、国家による生命の剥奪であり、憲法第13条の“個人の尊重”に反する可能性があります。
また、誤判のリスク、抑止力の不確実性、国際的な人権基準との乖離を考慮すれば——」
「ちょ、ちょっと待って」
向かいの学生が手を挙げた。
「でもさ、もし自分の家族が殺されたら、加害者に死刑を望む気持ちって、自然じゃない?」
理比人は、瞬時に反応した。
「感情は理解します。しかし、法は感情ではなく、原理で動くべきです。
“目には目を”では、法治国家とは言えません」
「でも……感情って、無視できないでしょ。
被害者遺族の気持ちを“非論理的”って切り捨てるのは、ちょっと冷たくない?」
その言葉に、ゼミ室が静かになった。
理比人は、言葉を失った。
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議論は続いたが、彼はもう発言しなかった。
ノートに書いた論点は、ページの端で静かに眠っていた。
「……俺の知識、届かなかった」
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ゼミ後。
教授が声をかけてきた。
「鯖波くん、論点は鋭かったよ。
でもね、法って“人の痛み”の上にあるものなんだ。
知識だけじゃ、届かないこともある」
理比人は、黙って頷いた。
その言葉が、胸に刺さった。
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帰り道。
彼は、スマホのメモ帳を開いた。
でも、今日は“成果”が書けなかった。
代わりに、こう書いた。
——“知識は、誰かの痛みに届くのか?”
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その夜。
彼は、自分の“クイズノート”を開いた。
ページの隅に、こう書き加えた。
「知識とは、誰かの心に触れるための道具である(仮説)」
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翌日。
クイズ研究会の部室で、小野寺ひかり先輩が声をかけてきた。
「昨日のゼミ、見てたよ。理比人くん、すごかったね」
「……負けました。感情に」
「ううん、ちゃんと伝わってたよ。
あの子、帰りに“あの人、すごいこと言ってた”って言ってたもん」
理比人は、少しだけ目を見開いた。
「……本当ですか?」
「うん。たぶん、ちょっとだけ、届いてたよ」
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その夜。
理比人は、スマホのメモ帳に今日の“成果”を記録した。
• ゼミ:敗北(論理的)
• 教授の言葉:痛みの上に法がある
• 彼女の言葉:届いてた(推定)
「ふふ……俺の知識、少しだけ人に触れたかもしれない」
その顔は、どこか誇らしげで、どこか寂しげだった。
でも、彼は満足していた。
誰にも気づかれなくても、俺は俺を知っている。
彼は今、威張っている。静かに、少しだけ優しく。
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ちなみに、ゼミのグループチャットでは、こんなやりとりがあった。
「昨日の鯖波くん、すごかったね」
「ちょっと怖かったけど、なんか……真剣だった」
「また話してみたいな」
理比人は知らない。
自分が、少しずつ“議論したくなる人”になっていることを。
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こうして、鯖波理比人の“威張りサバイバル”は、また一歩進んだ。
彼の知識は、まだ誰にも届いていない。
でも、彼は信じている。
いつか、世界が俺に追いつく日が来ると。
彼は今、威張っている。誰よりも静かに、誰よりも強く。




